なぜ法学研究科? その2
そんな中、学部生時代に所属していた京都大学グリークラブの定期演奏会に行った。OBさんや指揮を頼んでいたプロの方など向けにレセプションをするのが習わしで、私もOBの端くれとしてついていった。
ちなみにこのプロの合唱指揮の先生が、京都に拠点を置くバッハ合唱団を主宰しておられる本山秀毅先生である。私が、今キリスト教徒になっている最初のきっかけは、本山先生の「まー、西洋の文化とか学術を専門にするんなら、古代ギリシア・ローマ文化とキリスト教の知識はないと話にならんからねえ」というものである。この言葉が頭にあったので、後年、教会に英会話を学びに行くことになった際にも、同時にキリスト教に関する知識を得ようという意図が明確にあった。
そのレセプションの場に、グリークラブの部長(顧問の大学教員のようなもの)であった、法学研究科のA先生が来ていた。先生は当時、文科省からあるプロジェクトを引き受けていて、私は、そのプロジェクトについて批判的な考察を行って博士論文の一部としていた。
A先生は非常に多忙なので、話す機会は学部生時代あまりなかったが、自分が書いたことの当事者の方が来ているというのは珍しい。早速話しかけてみる。
「センセー、ヒトゲノム研究関連あのナンタラカンタラ会議って、あらァ、無いんじゃないっスか?」
本当に私はこんな感じでしゃべる。根っからのバカだからだが、この根っからのバカにも先生はきちんと応対してくださる。
「うーん、あれ、とにかくやってみた、っていう感じやからなあ」
現に先生は責められないことも私は知っていた。前任のプロジェクト責任者である別の大学教員がワガママし放題した挙句に中途でやめてしまったのを、A先生が後任で引き受けるような形だったからである。主宰の三井情報開発(株)総合研究所と委託元の科学技術庁の事前準備がまずかったのではないだろうか。
また、プロジェクトというのは、専門家が素人の市民に難解な科学技術について説明をした後、市民のみで会議をし、報告書をまとめ上げるというものだった。実験的な世論形成事業とでも言ったらわかりやすいだろうか?しかし、市民社会における議論の活発化や世論形成を国が音頭を取って目指していくというのは、そもそもおかしい。市民社会は国家から分離しているから市民社会たりえる。官製で世論を形成するなど変ではないか。
……などなど話すと、少しは訳の分かったヤツが来たと思っていただけたのだろうか、「キミ、法学研究科でCOEやってるで。推薦人になってあげるけれども、応募する気あるか?」というではないか。「ハイ、ありがとうございます」。A先生は懐が深い。というか、そもそも偉いので私ごときが何か言っても蚊が刺すようなものであり、「こんな蚊みたいなヤツでも置いておけば役に立つだろう」と思ったのだろう。