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真相に近づくと必然的に危険も舞い込んでくる

 グレイの学園生活は担任の職を与えられたことが一番大きく変えた。

 クラスの生徒を引き連れ学園を案内し、まだ子供なのに意識だけが大人という扱いづらい人間に話を聞かせる。グレイが警戒していた争いもなく、平和に学園の案内を終えれたことが何よりの幸運だろう。


 ツキミの方もクラスに馴染めるようになってきたからか、入学式のときのように昼食に勝手についてくることもなくなった。それどころか何人か仲の良い友人を作ったようで放課後も楽しそうに帰宅している姿も見たこともあった。良いことだ。教師に引っ付いて来られたら誤解もされるし、贔屓しているのではと文句を言われる可能性もある。それをツキミは気にしないから問題なんだが。

 

 一週間の長い長い勤務により齎された疲労を感じながらグレイはため息を付いた。

 今は金曜の夜。週末の始まりを予感させる。

 事件を捜査した先週みたいなことになった後だ、嫌な予感がしないわけではない。だがあれから事件は進展も後退もしていない。新たな被害者すらもだ。

 ツキミの方も事件に首を突っ込んではいないようだし、ドルトルさんからも連絡は来ない。騎士団の方もお手上げ状態なのかもしれない。きっとツキミはつまらないと思っているのだろう。

 

 グレイは職員室に一人、椅子に保たれながら珈琲を飲んでいた。

 誰かを待っているわけでもなく、ただ帰る気にもなれずにぼんやりとしていた。

 窓の外に映る夜景は寂しさを感じさせる。ぽつりぽつりと灯されていく光を眺めていた。


 (本当に疲れた、ほんとうにだ)

 グレイの頭の中には事件のことなど考えられる余裕はなく、どうやってこの疲労感を癒そうかなどを考えていた。酒か、煙草か、読書か、それとも睡眠か。5日間ずっとクラスのことに付きっきりであったため、グレイがやりたいと思うことは山のように積み重なっていた。だが、それ以上にやらなくてはいけないことも積み重なっている。これがまたグレイの疲労に繋がってくるのだろう。


 あれほど昼間には生徒の喧騒に満ちていた学園の中は、今では寝る間を惜しんで魔術を研究するものや、レストランの店を閉める店員の姿。まるで週末が来るのが惜しまれているようにも見える。あの人達は明日はどうするのだろうか、何を思っているのだろうか。


 コンコンコンとリズムが打ち鳴らされた。音は職員室の向こうからだった。そしてドアが開かれる。

 「失礼します、グレイ先生はいらっしゃいますか」

 丁寧な発音を聞きながらぼやっとしていたグレイはすぐに反応することができなかった。

 グレイは目だけドアの方に向ける。そこには見たことのない女性が立っていた。

 

 明るい茶色の癖のある髪を一つにまとめられており、顔は端正に整えられていたが、それでもはっきりと疲労が主張されていた。深い隈に、まとめられている髪からほつれている髪、睡眠不足から肌は荒れている。

 服装は研究者であることを示すように、牛乳ビンの底のようなメガネを掛け、白衣を身にまとっていた。右手には黒いインクの跡、服などは隠そうと洗っているのかもしれないが、靴に少しだが乾燥して黒く変色した血の跡も見える。実験で動物などを使用することもあるため、よくあることだが、ファミューダ教授の事件のこともあったため、それが動物のものかと一瞬だがグレイは疑った。もしかしたら人の血かもしれない。いや、血に人も動物も関係ない。


 職員室に入ってきた女性はグレイの姿を見つけると、不安そうにこちらに向かって歩き、問いた。

 「あ、あの......グレイ先生でしょうか」

 「ああ、はい。私がグレイです」グレイはぼんやりとしていたため返事が遅れてしまった。

 「あ、あのお話があってきました」

 「お話ですか。あ、こちらへどうぞ」

 

 グレイは彼女を面会用のソファーに用意し、二人分の珈琲を淹れる。

 彼女は落ち着かないように周りを見渡していたが、グレイが座る頃には何かを話すことを決意した目になっていた。

 「私はシルミダ・インフィーと申します。ファミューダ教授のもとで魔獣の研究をしていました」

 「そうですか。ファミューダ教授のことは深くお悔やみ申し上げます」

 「いえいえ、仕方がありません。魔術師の世界でよくあることです」

 (いやないでしょ)グレイは思う。そこまで魔術師の世界は怖くないのでは?


 「それで私になんのようでしょうか?」

 「事件のことを調べておられるとお聞きし、でなにかお役に立てられたらと思いまして」

 (誰から?)再度グレイは思う。このことを知っているのはツキミだけだ。俺の知らないところであいつは何をやっていたのだろうか。


 「そうですか。ありがとうございます」

 ついつい感謝の言葉を言ってしまったが、グレイは心の中ではうんざりする。きっとこの情報源が入ったとツキミが聞けば休みがなくなるに違いない。二週間連続事件の捜査が入るなんてなんとしても阻止しなくてはならないだろう。さて、どうしたものか。

 

 「私が話そうと思っているのは、ファミューダ教授のことです。教授が殺される理由がありすぎて困るのです」

 「ありすぎる、ですか」

 「はい。魔術師としては一流ですが、その権力を振りかざす癖などがありまして、研究室の人たちは恨んでいる人がいないほどでした」

 「それは珍しい。恨む人がいたとしても、必ず信頼している人がいると思いますが」

 「そんな人はいません。尊敬して入った人がいましたが、ファミューダ教授の愚かさを見るとすぐに辞めていきました。今も研究室にいる人達は逆らうことを諦め、反抗しないことで安全を得た人たちです」

 「ひどい話ですね〜」

 

 まるで愚痴を聞かされているみたいだった。話を聞いていると今のしんどい日常ですら楽なものと思えてくるほどに、彼女たちが味わった苦痛は酷いものであった。日頃溜まっていた鬱憤などを、ファミューダが死んだことによって爆発しているかのようでもあった。

 こき使われて体を壊した人、失敗したらボロクソに言われ続けた人、気に入られたために何度もセクハラを繰り返された女性。そしてある日突然と消えた人。


 「消えた? 」

 「はい。探し回りましたが、学園、自宅、故郷にも。そして次の日やけに教授の機嫌が良いのです」

 「なんだか何回かあったみたいですね」

 「3回です。研究室から人が消えたのは」

 「3回もですか!?」いきなりの衝撃的な発言にグレイは素っ頓狂な声を上げてしまう。

 

 (3回も人が消えておきながらよく隠し通せたものだ)

 話を聞いている限り、グレイが想像していたファミューダ教授とはかけ離れていた。いや、グレイが想像していたのは魔術師であるファミューダであり、人間としてのファミューダではなかったのだろう。

  

 「1回目はあまりに酷い扱いに耐えかねて逃げ出したのかと思われたのですが、2回、3回と続いていくうちにファミューダ教授によるものだと確信していきました」

 「はあ」

 (面倒なことになってきたな)

 ファミューダ教授が殺害の事件が、3人の失踪事件にも関わっており、恨みを持つものは多数。どこまでも続く穴に小さな財宝を目指し潜っているようだ。とはいってもグレイにとってはその財宝はゴミほどの価値を持たない。

 (そうだ、俺は財宝を求める冒険者じゃない。強制的に働かされている奴隷だ)

 自分で自分を納得させる。あまりにその表現が的確であったため、気に入ってしまうほどに。

 

 「これが消えた三人の情報です」

 「拝見します」

 彼女がカバンから差し出した紙束には、消えたと言われる3人の出身からアテーナ学園での成績、どのような人であったのか、そして消える前の様子まで詳細に書かれた。その情報にグレイは素早く目を通す。

 驚くことにその紙にはどのような人であったのかを想像できるほどに書かれていた。良くもここまで書けたものだ。消えた人をどうやっても探し出すという強い気持ちが読み取れる。

 

 男、女、男。気に入らないものは男女構わずといったところのようだ。いや、それがファミューダ教授の仕業であればのことだが。


 30分ほどでグレイは文字列を追い、3人の人生を体験した。それまでの間シルミダはグレイが何と言うのかを固唾をのんで見守っていた。グレイは読み終えると紙束を机の上に置き、シルミダの空になったコーヒーカップに再度コーヒを淹れた。


 グレイはソファに座り直すと口を開く。

 「これらのことをファミューダ教授が行ったという証拠がないため、すべてを彼の仕業とするのはまだ早いと思われます。これもファミューダ教授を殺した犯人の可能性もないわけでもありませんし」

 「でも教授のはこの情報を上に報告しなかったのですよっ!?」 

 「何かしらの理由があったかもしれません。まあその理由があったとしても、彼の行動が許されるというわけではありませんが」


 「それなら、どうして彼らは消えたのですか!?」

 シルミダがヒステリックに叫ぶ。突然であったためグレイは肩を揺らした。

 「ファミューダに消されたとしか考えられないのです!それなのに、愛する人や大切な人さえ置いてどうして消えたのですか!!」

 「......」

 しらん、グレイはそう答えたかった。できるのであればこれ以上深く事件に踏み込みたくはない。


 (なんて答えたら正解なのか)

 決してグレイが心を持たない冷徹な人間ではない。彼女の気持ちは痛いほどわかる。だが、それがどうした。無責任な発言で彼女を安心させるのは簡単だ。ただ「私がすべて解決いたします。消えた人も、ファミューダ教授を殺した犯人も、私が見つけ出しましょう」と言うだけだ。だが、その責任を取らなくてはならない。言葉には責任が宿り、そしてその責任は裏切ってしまえば、信用を失うだけでなく、個人としての価値を下げてしまう。

 

 (きっとツキミなら任せてくださいというのだろうな)

 なぜツキミのことを考えたのかはわからなかった。

 グレイの内側には様々な感情が渦巻いていた。同情、不安、どうして俺がこんなことを聞かなくてはならないのかという不満に怒り。


 (なんで俺が怒らなくちゃいけないんだ。それに黙り込んでいては話が続かない。何か話さないと)

 グレイは慎重に言葉を選びながら口を開いた。

 「わかりません、それしか私は言えないのです。私は難事件を一瞬にして解決する名探偵でも、事件捜査の熟練者でもありません。ただの魔術も使えない無能な教師なのです......」

 自分で言っていて悲しくなってくる。この無力さ、そして自分があまりに持っていないものが多すぎることに。

 

 

 

 「あ、いえ、決してグレイ先生を責めているわけじゃ......。取り乱してしまって申し訳ございません」

 シルミダの表情がみるみる失われていく。先程の真っ赤な顔は青白くなっていく。

 二人の間には気まずい沈黙が立ち込める。

 グレイは珈琲に口をつけ、ごまかそうとするが、口に入る液体はなかった。

 

 「もしよろしければ研究室を見学してもよろしいでしょうか?なにか事件につながることがあるかもしれませんし」

 「はい、ぜひよろしくお願いいたします」

 彼女が最後に見せた笑顔は、無理して作られたものであった。



 **********

 

 シルミダを見送った後、グレイは二人分のコーヒーカップを洗い、帰宅するために職員室を出た。

 時刻として21時を過ぎており、先程外を見たときに灯っていた研究室の明かりも消え始めていた。普段であれば18時に家についているグレイだ、今日はとびきり遅い。残業代はちゃんと支払われるため、別に残ることはいいのだが。

 相変わらず寂びた風景を横目に、冷たい風を浴びながら帰路を辿る。家の灯りはだんだん南に行くにつれ少なくなっていく。空を見上げるとそこには星は輝いておらず、細い月が浮かんでいるだけであった。

 (それにしても今日は路上で寝ている人いないな)グレイは不思議に思った。いつものからかってくるお爺さんの姿も見えない。不気味だ、なにか嫌な予感がする。こちらを見ている細い月は、不気味に微笑んでいるようにも見え始めた。

 

 グレイは再びうつむき歩き出す。そして数分歩くと視界に動物の足が入った。もふもふの毛に、グレイが森で見た足跡とほとんどサイズが変わらない足が。

 (動物の足?なんでこんなに大きいんだ?)


 普通であれば動物の体全体が見えるはずだ。なのになぜ足が。あまりに突然のことであったため、グレイは現状が理解できない。その反応の遅さがいけなかった。

 尾の横薙ぎにグレイの体はあっさりと吹き飛ばされてしまう。浮いた体は壁にぶつかり滑り落ちながら地につく。


 (い、息ができないっ!!)

 咳き込みながら体を起こす。顔をあげるとそこには迫り来るう鋭利な爪があった。慌てて横に飛びそれを躱した。だが完璧に躱せなかったためにグレイの長い後ろ髪が宙に散る。灰色の髪は月の薄い光を浴びてうっすら輝いた。

 「......あっぶね〜」

 

 グレイが立ち上がった頃には壁に突き刺さっていた腕を獣が抜いた頃であった。

 やっとグレイは敵の姿を認識した。闇に映る紅の双眸、獅子の身体でありながら本来の肉体の4倍近い大きさを持つ。剥き出された牙、爪は刃物を想像させるほどの鋭利さを誇っており、触れただけで肉体は紙切れのように切り裂かれてしまいそうだ。吐息には火の粉が混じり、その肉体を微かに照らした。


 「これが魔獣というやつか......予想以上におっかないな」

 呟いてみるが、この恐怖は変わらない。

 魔獣はこちらに視線を離さず、どう動くのかを観察している。警戒しているのか、こちらには手を出そうとしていない。

 (逃げるか、いや追いつかれる。生き抜くためには戦うしか......!! )

 肉体に魔力を回す。魔術がほとんど使えないグレイにとって何秒持ちこたえられるかが勝負だ。

 (気合だ、気合を入れろ。こんな無能で何も成し遂げられないまま死んでたまるかっ!)

 普段は気怠けに開かれた眼が千切れそうなほど開かれる。


 「くそったれがああああああああああああっ!」

 喉が焼けるような雄叫びをグレイは上げた。喉が痛む、これほどの声を上げたのは何時ぶりだろうか、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。

 叫びが廃れた街に響く。それに反応し魔獣も吠え走り出た。グレイも負けじと野獣に向かって走り出す。勝つためじゃなく、もちろん負けるためでもない。足掻いて足掻いて生き抜くために。

 

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