突然訪問してくる人は大抵迷惑を持ち込んでくる
酔いが回ったせいでフラフラとした足取りでグレイは自宅にたどり着いた。
グレイは酒に弱いわけではない。それなりに飲める方だと自覚はしていたが、まさかエイブが一番高い酒を注文したため、つい浮かれてしまって飲みすぎてしまったというわけだ。
外は冷えていたが、アルコールの強いお酒だったため体は火照っている。
家に入ろうとするが、手が震えてなかなか鍵が鍵穴に入らず少しばかし苛立ちを感じたが、4回目のチャレンジで成功した。手こずらせやがって。
家に入り、そのままバスルームに直行する。
着ていたスーツは床に脱ぎ捨てられていくが、この家には咎める人物がいないため気にしなかった。
バスに水を貯め、その水を温めていく。もちろん魔術でだ。
別に魔術でする必要はない。温めたお湯をバスに入れればいい話だ。だが、グレイはこうすることによって少しは魔術が上達するのではないかと思い続けていた。まあしないよりかマシだろう。
ふと鏡を見た。そこには疲れた男に顔があった。
酒の飲み過ぎで青白くなった顔色、髪の毛は黒と白の中間であるくすんだ灰色をしており、伸び切った髪の毛はうねりながら目を隠す。お世辞にも清潔とは言えない。目の下にはくっきりとした隈が張り付いている。グレイは今25歳である。だが、そのことを知らない人間から見るときっと30歳ぐらいに老けて見られるだろう。それがグレイの自分の顔に関する考えであった。
何が良くってツキミは俺にかまってくるのだろうか。全く思いつかない。
こんな事を考えたところでグレイの得にはならないため考えるのをやめた。
バスの温度が丁度良くなったのを確認して丹念に体を洗い、洗い終わると湯船に浸かる。
体が温まり一日の疲れを洗い流したあと、パジャマに着替えベッドに倒れ込んだ。
ああ、疲れた。
グレイは布団の中で丸くなり、瞼を下ろす。
普段であれば眠るまでにはある程度の時間を要したが、今日はすんなりと眠る事ができた。
明日は休み。とことん寝てやろう。
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グレイが目を覚ましたのは太陽が一番高い位置に昇った頃であった。
ベッドから起き上がろうとすると頭がズキンと痛み、二日酔いの気持ち悪さが襲いかかってくる。
伸び過ぎは良くないというのはわかっているが、アルコールが入り上がったテンションで酒を控えようとは思わない。相変わらず堕落した人生だ。自分で自分を嘲笑してしまう。
ベッドから出ると今日は予定がないためパジャマのままで朝食を取り、コーヒーを飲みつつ本を読む。
部屋の中はカーテンが閉められており光量が少なかったが、グレイは苦もなく読むことができた。
鈍く痛む頭を動かしつつ、時間が経つに連れてその痛みが和らいでいることを実感する。
今読んでいる本は魔導書であり、内容を簡単に行ってしまえば宗教による魔術の変化についてだった。
魔術は自分の体内の魔力だけでなく、空気のように存在する魔力も使用する。自分の中にある魔力を体内魔力、空気のようにある魔力を自然魔力という。この自然魔力は体内魔力に比べ扱いは難しく(自分の体内で生成される体内魔力には自然と自分と似た魔力属性を持っているが、自然魔力は異なる魔力属性であったり、いろいろな属性が混ざりあった魔力などあるため扱いが容易ではない。)それを扱うためにはそれなりに魔力を扱う能力を鍛えていないといけない。自然魔力を使えるようになれば無尽蔵な魔力を使い放題できるかといえばそうではないのだが、この本では崇拝する宗教の神やら天使やらを魔力で形を作ることによって使用困難な自然魔力を使おうというものだ。
グレイも一度挑戦はしてみたものの、崇拝する気持ちが無かったこと、そして自然魔力を感じる能力が劣っているため何もできなかった。読んでいる理由は特にないが、こうして知識を蓄えることは間違いではないだろう。
頁をめくる。頁をめくる。頁をめくる。
文字列の海はグレイを安心させた。どれほど魔術が下手だとしても知識があることで相手の使う魔術の弱点を知ることもできる、それに教師なのだから生徒にそういう物があると教えることができる。
本の半分ぐらいまで読み終えた頃、家のドアを叩く人が現れた。時刻的にはもう昼食を摂るには遅すぎる時間帯だ。
グレイの家を訪れる人間は限りなくゼロに近い。それはエイブのような学園の人間であったりするのだが、そのときは約束をしてくるはずだ。どうせ変な宗教の布教者なのだろうとグレイは決めつけ、もう一度本の文字を目でなぞり始めるが、そいつはしつこくドアを叩き続ける。俺がいないという可能性を考えていないのか、それともグレイがいるということを確信しているのか。後者はないだろう。
だが数分経ってもドアを叩く音は止まらない。
流石にグレイも恐ろしくなってドアを開けようと読んでいた本を閉じ、机において腰を浮かす。
ドアの鍵を開けようとした瞬間、勝手に鍵が開いた。予想もしていない自体により思わず鍵に伸ばした手を引っ込めてしまうがすぐにグレイは後悔する。
しまった、鍵をかけなくては!とグレイは慌てて鍵を閉めようとするが、手は鍵に触れることはなく空を切った。
無念っ!!
扉の前に立っていたのは、見慣れたツキミの姿だった。仁王立ちでこちらを睨みつけ、なかなか出なかったためか彼女の表情には確かな怒りや不満のような感情が浮かんでいた。ツキミがこれほど怒りを顕にしているのは長い付き合いだが見たことがない。グレイの頭の中でサイレンが高鳴っていた。
「なんで開けてくれなかったの?」
可愛げに笑顔を作って首を傾けるが彼女の表情は引きつっていた。
だが、そんな引きつった笑顔はグレイの心臓を握り潰しかけていた。
グレイがパジャマを着替えてリビングへ戻ってきたとき、ツキミは不機嫌そうに頬杖を付き窓の外を眺めていた。
グレイの家は裏路地にあり、見える景色は眺めても面白くないものだが、ツキミはそれを見続けているということはそれほど頭にきているということであろう。もしかしたらグレイの顔が見たくないために外を見ているのかもしれない。
このまま放置していたのならば更に期限を悪くなってしまうであろう。何かとこちらを拒絶しようとしているとき、実際心の中ではかまってもらいたがるものだ。
グレイは彼女の近くにコーヒーを入れたコップを置き、ツキミの前に座った。
少しツキミには苦かろうとミルクを入れたため、コップの中では白乳色のミルクが黒の中で渦巻いている。
グレイもツキミと同じように窓の外へ目を向けたが、外には陽光は届いておらず、苔の生えた地面など退屈な風景が広がっている。風情があるといえば聞こえはいいが、ただのくたびれた風景でしかない。
自分で入れた熱々のコーヒーを流し込み文字の海で泳いでいたときの潮を洗い流す。
「今日はどうしたんだ?ツキミが家に来るなんてなんか大切な用事があるのだろう?」
「......」
まるでグレイがいないかのように無視を続けるツキミ。だが、目だけはこちらを捉えている。つまり「続けろ」ということだろう。
「悪かったよ。ツキミが来ているなんて思わなかったんだ」
ツキミはまだムスッとした表情をしたままこちらを向く。
まだ機嫌の悪そうな表情をしているが、先程よりと随分良くなったように思えた。
「ならこれからはちゃんと開けるようにしてくださいね。私かもしれないから」
「わかった。約束しよう。真夜中で寝ていたとしても開ける」
わかったなら良し、と言いたげに満足した笑みを浮かべる。
というか鍵を開ける手段を持っていたのならば早く使っておけばよかったのに。どうやったのかはわからないが。
まあツキミの機嫌が治ってなによりだ。グレイも緊張が解かれ思わず表情を崩した。
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ツキミがコップを両手で持ち上げて口をつけた。
あまり急ぎの話ではないようで、ゆっくりとこの空間を楽しんでいた。
菓子でも出すべきだろうか、グレイは少しだけ悩んだがまず家に菓子がないことを思い出すとこれからは備えておこうと思った。
コップを置き、ツキミが口を開いた。
「グレイ、今日私が来たのは昨日話した事件のことよ」
「ああ、そんな話もあったな」
昨日考え込んでいたということは言わなかった。まだ考えもまとまっていないし、実際の現場を見に行ったわけでもないので必要な要素が揃っていない。
「というかお前どこからそんな情報を得ているのか?」
「前も言ったでしょ、秘密」
前も聞いたように答えてくれないようだ。まあどうせいろいろなつてがあるのだろう。
「それが死体の周りから奇妙な魔力反応がでたの」
「ほ〜”魔獣”の魔力か?」
「正解。ファミューダ教授の死体の周りからその痕跡が発見されて、兵隊さんたちが大騒ぎよ」
ツキミがここで行っている兵隊さんというのは国家騎士だろう。国に忠誠を使った兵隊さんたち。普段この国の治安を守ってる頼れるお兄さんたちである。ちなみにグレイは職質を3回受けている。どこが怪しいんだ、三徹して隈が濃かっただけだろう。
魔獣の魔力というのは、見分けるのがたやすい。
人間とは魔力の種類が異なり、どちらかというと自然魔力が濁ったようなものだ。
俺が魔獣の魔力があったということを当てたことにツキミは驚く素振りをせずに話を続ける。
「これで兵隊さんたちがファミューダ教授が魔術を誤って魔獣を自由にしてしまったと考えたみたい」
「まあそれで魔獣の魔力が出てきたらそう思うよな。だが前言っていた人の歯型はどうなる?」
「それがなかったことにしようとしているみたい。それで逃げ出した魔獣を探しているわ」
「でもそこには魔術師がいたはずだろ?魔獣だって犯人に倒されたんじゃないか?」
「......そこには人は存在しなかったの。魔力反応では人の魔力は見つからなかったの」
「ということは犯人は魔術を使わずに殺したのか、それとも人の歯型は違うものだったのか......」
「でも何より魔獣の死体がまだ見つかっていないみたいだから、そこから情報をつかもうとしているみたい。もしその魔獣が殺したのであれば何かしらの情報を得られるし」
グレイはコーヒーを飲もうとしてコップに口をつけるが、中身が無いため口には空気が入るだけであった。
いないはずの人間の歯型。すべての現象が証明されなければ事件は解決されたとは言えないのではないだろうか。
コップの中の虚空を見つめる。
魔獣、歯型、存在しない人間の魔力。
本当に不可思議の事件だ。
「それを俺に伝えてどうなるんだ?」
「グレイに考えてほしいの」
「考えて何になる。考えたところで俺は役に立たないのが目に見えている。なんせ俺は魔術理論を教える教師であって、殺人事件を解決する兵隊さんでも探偵でもない。ただの教師だ。それも魔術を使えない雑魚だ。そんな雑魚が魔獣と戦うかもしれないという危険な橋をわたると思うか?」
「渡るわ。これはお祖父様の命令。これを断ると学校にはいられないわ」
「本当か?」
「本当よ。なんだったら今からでもお祖父様のところへ参りますか?」
「いや、別にいい」
ツキミの祖父、アラグゥ・アッへンバッハにはかなわない。それにアラグゥの命令だってわかるのは、ツキミはこの家に来たということが何よりの証拠だろう。ツキミはこの家の所在を知らない。そんな彼女がここへ来たって言うことはアラグゥが教えたとしか考えられない。
ツキミはグレイが受け入れたことを確認するとニッコリと微笑んだ。
「大丈夫。魔獣が来ても私が守るから」
「?どういうことだ?」
グレイの頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。
なんでツキミが唐突にそんな事を言い始めるのかわからなかった。これは一人で事件現場にいって、実際に見学し、捜査をするのではないのか?
「言っていたじゃない。魔獣と戦う危険性があるって。それを私が守るわ」
「え?いやいいよ。なんとかするから」
「いえ、捜査をしている間にグレイが殺されたら大変ですもの。危険なことを調べるということは、危険なことに巻き込まれることと同義。お祖父様はそこまで考慮していたわ」
「別にツキミでなくてもいいだろ?ほら、俺の同期のエイブとかめちゃくちゃ強いぞ」
「は〜分かってないわ」
ツキミはうざったいほど大げさに肩をすくめる。
グレイはそれに少しだけイラつきを覚えたが、だいたいそういう反応をするときはこちらを言い負かすほどの武器を隠し持っているときだ。ここで変に突っかかると負かされたときの心理的なダメージが深刻になる。なるべく苛つきを抑え、ツキミに聞いた。
「俺は何が分かっていないか教えてくれないか?」
「いいわ、教えてあげましょう!それは権力よ!」
「け、権力......?」
「そう!アッヘンバッハ家の権力は国家騎士がすぐに引き下がるほど。グレイの捜査が邪魔されそうになったときに私ならばその邪魔をなくすことができるわ」
なるほど。それは考えなかった。
「だけどお前がアッヘンバッハということをどうやって証明するんだ?」
名を名乗るのは簡単であるが、
「これよ」
とこちらに突き出したのは左手であった。
そこの中指で輝く真紅の宝石。
まるで血を宝石にしたかのようにその色の奥にはどこまである深さのようなものがある。その宝石は彼女の中指に指輪となってハマっており、妖艶な光を輝かせていた。
指輪は金色に輝いており、うっすらと文字が刻印されているのがわかる。
通称賢者の石。
伝説の賢者の石とはその石を持つ人間はどんな奇跡のような魔法ですら使うことができる、というものだ。だが彼女が持っているものは賢者の石のように、どんな魔法ですら発動できるというものではないのだが、彼女の魔力を増幅させるという特性を持った魔道具である。
なるほど。それを見せれば確かにアッヘンバッハということが証明できるな、グレイは納得した。そしてツキミがここまでカードを持って勝負してきたのだと感心する。
ツキミの表情にはどうよ!と言いたげな表情がされている。
これじゃあもう逃れられないな。
「わかったよ。魔獣に殺されないように守ってくれ」
「はい!任せてください!」