入学式
したしたと降り注ぐ小雨。
濡れた石畳の道を冷たく照らす三日月。
そして、咲き乱れる彼岸花のように流れる鮮血。
道端には恐怖で歪んだ40代過ぎとも思われる男の体が流血しながら転がっていた。肉体からして腹はでっぷりと膨らんでおり、身にまとっている服やアクセサリー、そして私腹を肥やしていることなどから相当金持ちであったことであることが解る。だがそこに転がっている男の四肢はすべてちぎられており、もう男の目は干からび光はとっくに消え失せていた。
その姿をざまあみろといった怨恨のある目で眺めるものがいた。
口には男の右腕であった肉塊を咥え、顔には腕から出たと思われる血液が滴っている。
噛み締めた肉からは、無駄な脂肪によってドロリとした血液が口の中がへばりついていた。
意識が消えてしまいそうなほど彼は怒りに包まれており、何よりこの醜き姿に変えたこの男に復讐を果たしたというのにその怒りは消えることなく、いやむしろ強くなっていた。
今はただひたすら飢えを満たすために男の肉を貪る。その肥えた腹部も、何度も罪もない女を犯した陰部も、その恐怖で満ちた顔も、全て、骨までしゃぶり尽くす。
味覚なんてとうにないため、ただ食し、この空腹感とドロドロと燃える復讐心を満たすために必死だった。
殺したいと思った相手を殺し、それを体内に取り込んでいく。
この姿に変えられて、これほど歓喜したのは初めてであった。
憎き男を殺したことへの高揚感は、はじめは感じていなかったが、こうして食していくごとに次第に高まっていき、復讐したと言う実感を与える。
これまで俺に酷いことを続けてきたのだからこんな目に遭うのだ。
これまで下の者を奴隷のように扱ってきたからこんな目に遭って当然なのだ。
言い訳のように頭の中では言葉が並ぶ。
罪悪感も、恐怖心もなかった。だが、非道の道に走ってしまったのは確かであったため、自分が行ったことが正当であるように暗示していく。どんなに復讐心に飲まれようと善良な心は男にはあったのであった。
そして肉塊は骨と成り果てたあと、その場をあとにする。服を見るが血で真っ白であったシャツは赤黒く染まり、体からは腐りきった鉄のような臭いがこびりついている。
まだ俺には殺さなくてはならない人間が残っている。そいつらを殺さなければならない。そうでなければまた俺のような苦しみを味わうものたちが現れる。男は爪が食い込んで血が出るほど強く拳を握った。
滴った雨の雫は服や体についている血を吸収しながら地に落ちていく。
転がっている男の頭につばを吐きかけると、返り血によって真っ赤に染まっている体なんて気にもせず夜の街を彷徨い歩きはじめた。
絶対奴らは許さない。
俺がこの手で殺してやる。
燃え盛る黒い炎のような怒り、憎悪、怨念など様々な気持ちを漲らせて。
男の復讐劇は始まるのであった。
*********
嫌な日だ。
グレイ・エレボスは頭の中で吐き捨てた。
この言葉を思考の中で吐くのは何度目だろうか。
昨日の夜から今日の朝まで今日の日が来たるまでに何度も吐いたこの言葉。
ぐるぐると思考の中ではその言葉ばかりが繰り返し、光をくれているあの輝かしい太陽ですら、なにかイヤミのように俺を照らしているような気がした。いっそこんな気分なんだ、土砂降りの雷雨に暴風が吹けばいい。なんだったら雹だって降っても構わないぐらいだ。なんて天を見上げるが残念ながら空は雨一粒も落とさなそうだった。
体は石を腹に詰められた狼の如く動くには重た過ぎ、やる気なんて将来にこれほど落ちるときはないだろうと確信するぐらいに落ち込んでいた。もう地面なんて突き抜けて、今頃反対側の地球に届いている頃だ。
グレイがこんなにも気分を害しているのは、今日が学園の入学式であったからだった。だがグレイは入学する生徒の方ではなく、その生徒たちを迎え入れる教師の側だった。
新しい才能を目にするのは凡才のグレイにとっては、何よりも悔しく、辛いものであった。そして例年よりグレイの気を落とさせているのは、知人で一番才能を持っていると思う学生が入っているからであった。普段は知り合いとして顔を合わせることはできたかもしれないが、学生と教師では違う。そこには確かにはっきりとした立場というものがあるが、そいつとだとそれが逆転しかねない。
まあ、そんな才能を持った知人がいなかったとしても、将来の果てしない可能性を手にした眩しい新入生をできるのなら見たくもないのだが、残念ながら学園は俺に今すぐに辞めさせてもいいんだぞと死神の鎌をちらつかせていた。いやちらつかせるだけでなく首元に刃を触れさせているところまで来ているのかもしれない。少しでも下手に動けば首が切り落とされてもおかしくはない。いや、もしかしたらもう刃は首の薄皮に食い込んでいる。
つまり俺は学園に泣きながらしがみついているいてもいなくても変わらない雇われた教師。
華々しい英雄譚も、子供の頃夢に見た憧れにもなれなかったくたびれた大人であった。
生きていくために嫌な仕事もし、自分より立場が上である人間にペコペコと頭を下げ、どんなに努力しようとも才能を持った人間にはそんな努力は水の泡だったかのように飛び越えていく。
何より屈辱的なのは、そんな生徒を自分が育てるということだった。
ただでさえ入学式という年に一年という嫌なイベントの日というのに、理想とは程遠い現実に更に気分を悪くする。自分で自分の気分を害してしまうとは、相当今日は調子が悪いようだ。
もう家を出なくてはならない時間帯を時計の針は指している。
行きたくないと考えていながらも、身支度は済まされており、もう家を出る準備が整っている状態であった。
本当に嫌な日だ。
そう今度は呟き、家を出た。
********
エルファーゼ王国の中心部に立派な校舎が建っている。
そこは、魔術を学び、魔術を研究し、魔術を国のために役立てる施設。
魔術学園アテーナ、そこがグレイが務める学園であった。
学園はブロックを積まれた壁でできており、入り口は東西南北の4つに分かれている。その中で一番近い南の門をグレイはくぐる。
どうせ正門である北門には新入生たちが群がり、今頃新しい学校生活に浮かれている頃だろう。そんな生徒たちの中をかき分けていくのはゴメンだ。もし家が北にあったとしても今日は反対側の南門を使うであろう。
南門は他の門より古びており、門には所々錆が見受けられる。そして周りには寒さによって地面に落ちた朽ちた木の葉が落ちておりどこか寂しげな風景が広がるため、ここは生徒からは不人気であった。だが、グレイからしたら四季によって変わりゆく風景が良いと思っていた。土の香ばしい匂い、そして肌を刺すような冬の風。まだ春は来ないようだ。
周りには生徒がぽつりぽつりと登校している姿。
学園指定の制服の上から黒いローブを身に纏っているため、すぐにうちの生徒ということを確認できた。年中を通して気温が低いこの国では基本ローブを着ている。気温は高くなることも稀にあるのだが、長袖のシャツ一枚になるぐらいで少し暑いくらいだ。
一人ひとり顔に浮かぶ表情は変わっているが、その表情には少し影が掛かった疲労、劣等感といったネガティブな要素があるように思える。グレイもそのうちの一人であった。
だが、その中で一際輝く人間がいた。
服装は周りの学生たちと同じであったが、こちらを射止めるかのように真っ直ぐ見つめる瞳はグレイたちのような陰りはなく、希望と自身で満ち溢れている。グレイはとっさに視線を外し気づかないふりを試みたが、すでに遅かったようだ。
彼女は赤いマフラーに小さな顔を渦組めていたが、こちらが気づくと顔を出し、こちらに笑顔を向け駆け寄ってくる。一歩一歩足を踏み出すごとに長いブロンドは太陽の光を浴びて黄金のように輝く。足取りは軽く、跳ぶように、弾むように、踊るようにこちらに向かってくる。グレイは思わず逃げ出したい衝動に駆られるのであったが、彼女の笑顔に縛られるように体を動かすことは叶わなかった。
彼女はグレイの目の前まで来ると可憐な花を咲かしたかのように微笑むと
「おはようございます、グレイ先生」
と鈴を転がしたかのような声で挨拶をした。わざとらしく先生とつけて。
彼女の名前はツキミ・アッヘンバッハ。グレイが学生時代に魔術を学んだ師匠であるアラグゥ・アッヘンバッハの孫娘だ。グレイにとって恩師であるアラグゥは、とても親密であったためグレイは何度も師の家に赴き、魔術を習ったり研究を行っていたのだが、その際にグレイはツキミと出会った。初めはなぜか嫌われていたのだったが、それを見たアラグゥが面白半分にグレイをツキミの家庭教師につけたため、一時期は彼女とは険悪ムードが立ち込めていたのであったが、なぜか今ではなつかれていた。グレイは逆に魔術を教えていくことに彼女の才能を目の当たりにし、嫌いになっていったのであったが。不思議のなものだ。時間が経つと反比例していくように高感度が変化していく。
「ああ、おはよう」
昨日一昨日と部屋にこもっていたため、声を久しぶりに発した気がした。
グレイの頭の中にはなぜここにいるだろうかと疑問は思い浮かんだのだが、ツキミのことだからどうせ俺がここを通ると予想して待っていたのだろうと考えた。
「どうですか、私の学生服姿は?」
「いいんじゃないか?」
「適当ですね」
「制服姿なんて教師をしているとどうでも良くなるものだ」
「ふーん、そんなものかもしれませんが、女の子には似合っているよって褒めるのが正解なんですよ先生。赤点です!」
「あそう」
グレイはつまらなそうに返事をした。そのことに月見は気付いていないのか、赤点は再試です!ともう一度
「どうですか、私の制服姿は?」
と聞いてきたので模範解答を返すとにへへと微笑んだ。言わせといて嬉しいのだろうか。
ツキミも入学式ということで浮かれているようだ。いつもより高いテンション、それに反比例していくようにグレイのテンションは下がっていく。だが大人ということもあり、そのうんざりとした表情を表に出さずに済んだ。嫌なものだ、歳を取るというのは。感情に素直にならないというのは美徳なものなのかもしれないが、そのせいで相手に自分の感情を伝えられなくなる。
二人は学園に向かい歩き出した。
グレイとツキミは頭一つ分の身長差があるため歩幅に差が出る。ここで距離を撮ろうと歩幅を広げようとすれば面倒なことから逃れられると思うが、それをしてしまうと「女性をエスコートするのにふさわしくない、赤点です」と言われかねない。テンションが高い人の起こす行動は想像を超えることがあるため下手に相手の機嫌を損ねないことが得策だと歩幅をいつもよりも狭くした。
隣ではツキミがどれだけ学園を楽しみにしていたかなんて語り始めており、適当に相槌を打つ。
教師がまだ入ってきた新入生(それも相手は少女だ)と仲良く話しているというのはあまり良くないのでは?と周りを見渡し、視線を気にしたが不人気である南門の付近であったため生徒は少なく、そして興味もなさげに落ち葉が落ちている石畳の道を眺めながら歩いていた。
静かな空間に楽しげにしゃべるツキミの声がこだまする。
それはグレイの畔の静けさのような生活を乱されているような感じがした。
「それじゃあ俺はここで」
とツキミと別れようとする。
左手には職員室がある南棟の入り口へと続く道であった。
「うん。またあとでね」
そんなことはないでほしいなとお頃の中でつぶやきつつ、手を振るツキミに手を振った。
アディオス、ツキミよ永遠にさよならだ。
どこかの殺し屋ガンマンのような科白は舌の上で小さく跳ねた。
********
入学式に、全員の教師は集まる必要はない。
それどころか入学式を行う必要なんて一切ない。何事もなかったかのように授業を始めたほうが時間を有効に使えるであろう。自己紹介とか人間関係を良好にするための時間を設けることはそれは優れた魔術師を育成することに関係はあるのだろうか。
ぐるぐるとグレイの中で思考は加速していく。
そうなっていたのは、目の前に広がる嫌なことからの逃避なのだろうか、それとも混乱しているのだろうか。
「1−E組の担任のグレイ・エレボス先生です」
校長先生が放った言葉は魔力によって音量は増幅され、建物内に響き渡り、生徒たちがまばらな拍手が聞こえてくる。俺は一歩前に出て礼をした。一言話せと言われていたが特に話すことはないため、「これからよろしくおねがいします」とだけグレイは言った。あまり大人数の人前にでることはないため、心臓が脈は早く打たれ緊張して少し上ずったかのような声が出てしまったが、特に問題ではなかったであろう。だが、恥ずかしかったため顔が少し熱い。
本来グレイはこの場にいなくても良かった人間であった。
グレイは担任を持つような教師ではなく、どちらかというと魔術理論を教える教科担当の教師であるため、このようにクラス担当になっているのはおかしい状況であった。それにあまり魔術が使えないグレイが担任を任されるなんていろいろな所から反発されるだろう。
それなのにグレイが担任の教師になってしまったのは、先程グレイの名を呼んだ校長の仕業であった。
30分前のことだ。ツキミと別れて職員室で自分の担当しているクラスの授業の時間が来るまでゆったりとしているときであった。
職員室でも担当している授業によって職員室は変わってくる。
グレイがいたのは魔術理論の教師の職員室であった。もうすぐ入学式であったが、行く必要はなかったため他の先生達とコーヒーを飲みながら雑談していた。まあ雑談と言ってもやはり今日は入学式であったため、どんな生徒たちが入ってくるのだろうかという話で持ちきりであった。
そんな和やかな雰囲気の中、運命の扉が開くかのように激しく扉が開かれたと思うと、
「グレイ先生ももうそろそろ担任をしてみないか?」
突然職員室に入ってきたと思えば、いきなり何を言い出すんだこの人。
と無表情で声のする方向を見ると、そこにはいつもお世話になっております、校長先生の姿があった。
「何を言っているのですか校長先生、新入生の担任は決まっているじゃないですか」
俺と一緒にぐだぐだとコーヒーを飲みながら話していた上司、クルファストさんが言う。いやその話に突っ込む前にほかにつっこむところがあるだろう。
「いやそれがE組を任せていたエレスント先生に個人的な仕事が入ってしまったようで、空きができてしまったのですよ」
話しつつ、俺が座っていた椅子の近くに校長は座り込み、他の先生が淹れてきたコーヒーに口をつけた。
「そうでしたか、それにしても唐突ですね」
「いろいろエレスント先生にも事情があるのでしょう」
「すると、やはりグレイ先生にさせてもいいのかもしれませんね」
おいクルファスト、何俺を差し出そうとしているんだ。
とそんなふうに軽く決まってしまった。
反論はできたかもしれない。しかし、担任になれば評価も上がるのではないかという淡い希望もあったため、承諾してしまったのであった。
なんで俺に担当を任したのだろうかと疑問に思い、後で聞いてみたが他の教師たちは魔術の研究時間が減ると言って断ったようだ。
まあこのように決まってしまったというわけだ。
この学園で教師として働き始め五年、担任を持ってもいい時期でもありいい経験にもなるときっと校長先生も考えたのだろう。
仕方がない。こうなってしまったからにはそれなりに好成績を残して昇給を目指すとするか。
野心を燃やしつつ、目の前に広がる200人近い新入生を睨みつけた。
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入学式も終わり、式が行われていた実習室に居た生徒たちはそれぞれのクラスに向かうため散っていく。
グレイは担任ということもあり、生徒たちと同じように移動を始めた。
周りの学生からはこちらを見て何を思うのだろうか?いや何も思わずにこれから始まる華々しい学園生活を思い描いているのだろうか?それとも昨日寝れなくて、校長先生の長い話が追い打ちとなりねむけまなこをこすっているのだろうか。
不必要なことばかりに思考は流れていく。こんなことはあまりないのだが、今朝もこのようだったことからグレイは自分が改めておかしくなっていることを自覚する。
下を向いて歩く。前には少し気を使うだけでぶつかりはしない。それに身長が高い方であるグレイにとっては下を向いているだけでも十分の視覚を確保することはできていた。
一歩踏み出すたびに体は動く。そのたび伸び切った前髪が顔を叩き、鬱陶しさを感じさせた。
目的である教室は入学式が行われていた魔術の実習室の反対側、東棟の一階であった。今いる場所はその中間地点である実習棟と東棟の間の広場であった。噴水やら芝、ベンチなど無駄な設備が設けられている。丁寧に掃除をされているのだろう、そこには落ち葉などは一枚も落ちておらず、噴水の中にもゴミなどは見当たらない。
クラスで最初にするのは、担任の自己紹介であろう。
うねうねと捻れ曲がっている思考を意識して自己紹介などクラスで話すことに強制的に戻す。
いつまでもこの状態だときっとあとで何かしらの支障が出る。
曖昧だが。
一歩一歩踏み出すたびに服が重たくなっていく気がする。服、肉体、そして重力。
あらゆるものが俺をクラスへと行かないように阻んでいるみたいであった。
少しずつ歩いてしまっても、クラスに入るための扉の前に立ってしまうものだ。
手が震えている気がする。緊張しているのか?
一度深く息を吐きだし、吸い込んでから扉を開けた。
眼の前には四面の大きな黒板に、教壇がまず見えた。
それはいつもどおりの光景であったが、階段式になっている生徒たちの席を見上げるとそこには緊張感、高揚感、不安感などが混ざりあった複雑な感情が写っていた。
糞が。
思わず口から出てしまいそうな感嘆詞を口を塞いで留める。
最前列には見慣れたツキミの姿があった。まさかこんなことがあるのだろうか、今日は嫌なことばかりだ。今日は最低な一日として俺の記憶の中で残り続けるぐらいだ。
ツキミはこちらを見て他の生徒たちとは違って驚いた表情を一瞬見せたが、なにやら嬉しそうに笑みを浮かべ始める。
なんてクラスの担任に俺は任されてしまったのか。これはなにかの陰謀なのかと疑いたくなる。
静かに教壇に上がる。
教室の空気は張り詰めており息がしづらい。40人の視線を背中いっぱいに浴び、黒板に名前を書いていく。緊張でチョークを持つ手が震える。グレイもこれまで教師をし40人を相手に授業をしていたのだが、これほど緊張をしたのは初めて授業をしたとき以来だ。
「このクラスの担任のグレイ・エレボスです。よろしく」
黒板から振り返り生徒たちに言った。
ちらほら頭を下げる生徒、退屈そうにこちらを見ている生徒、そしてそんな事は知っているよと顔が物語っている生徒。
グレイはめんどくさそうにホームルームを開始した。