7話、鬼の副局長
「あー、局長。ちょっと予算のことでご相談が……」
取調べの最中に、副局長である赤戸ルナが取調室に入ってくる。
ルナは発言を中断し、室内の状況を一通り目で理解した。
「はぁー……」
ルナは大きなため息を吐き、そのままナチュラルに楓の頭部を回し蹴りした。
綺麗なきりもみ回転をする楓。それを呆然と眺めていることしかできない真琴と平の局員たち。
ロイに至っては絶句している。
「テメェ!!いきなり何しやがる!!」
当然の激怒、そして疑問による抗議だ。
「黙れ、女性を取調べる際には女性の局員を同行させろと言っているはず」
「人員が足りないんだよ!それくらい言われなくても分かれ!!」
「人員が足りなかったら何をしても良い理由にはならない」
「んなこと言ったってしょうがねぇだろ!人手不足はどこの業界にも当てはまることだ!それをオレの責任にされても困る!!」
楓の言っていることも正しい。保障局はその職務の性質上、男性職員が多く、楓が顎で使える人材は限られている。
さらに突発的に発生した事件の直後ということを考えれば女性局員を捕まえられなくても言い訳したくもなる。
「そうですか、なら『局長を含めた男4人が密室で十代後半の少女を拘束し、好き勝手にしていた』と人権団体に報告させてもらいましょう」
「ぃぎ!?ちょ、待てよ!その表現はアウトだろ!このムッツリスケベ!どんな思考回路を持ってたらそういう風に……」
刹那的な速さで、ルナは楓の後頭部に手を回し、勢いを乗せて顔面に膝蹴りを決めた。
「黙れ、ワタシに対する侮辱はワタシが許さない」
「さ、流石に理不尽すぎるだろ……」
先ほど同様に両膝を床に着き、激痛にもだえ苦しんだ。
「謝罪の声が聞こえないなぁ」
このルナの一言に流石の楓もぷっつんと穏やかに切れる。
「なんだ、ケンカがしたいのか?」
「ほう?『世界最強』様はこのワタシとのタイマンがお望みと?」
邪龍と猛虎、一触即発。
両者ともに、目で威嚇する。
そして数秒の静寂。
「…………いいだろう、今回は勘弁してやる」
先に口を開いたのは楓であった。
「逃げたな」と真琴。
「逃げましたね」とフレデリク。
「逃げてしまいましたね」とウィリアム。
「うるせー!!オレは『世界最強』だぞ!負ける理由なんてない!」
「だからやりあいましょうって。ただ、制限はもちろん解除しないのでしょう?解除すれば勝てて当然ですから?」
「うぐぐ……」
そう、楓がルナと戦いたくない理由がこれであった。
楓が言うように、世界最強の魔法使いである楓が制限をレベル0まで全て解除してしまえば、この世界に楓と対等に戦える魔法使いはおそらく、いや確実に居ないだろう。しかし、それを『はい、許可します』と世界が許してくれるほど世界は楓にとって都合が良いわけではない。
楓が制限を解除して良い理由は単純で、楓が制限を解除する必要があると判断した時のみ。つまり『部下であるルナを屈服させるため』という理由では認められないのだ。
ちなみに、先ほどの立て篭もり事件においても制限の解除が認められるかは怪しい。ゆえに村雨は一度制止しようと試みたのだが、楓は暴走するように特権を行使した。
おそらく、今日の夜にはそれに関する会議が開かれるだろう、楓を含めた数名の〈偉大な魔法使い達〉たちによる会議が。
「はぁ……もう良いよ。で?予算がどうとか言ってた気がするが、何か問題が?」
楓も折れる。ここで部下とケンカをするのは分が悪い。
これ以上、信頼関係を悪化させるのは愚策であり悪手だ。
「おっと、そうでした。今回の事件に関する修繕費は保障局が負担することになってしまったので、その見積もりが想定よりも若干オーバー気味で」
「見せてみろ」
ルナが持っていたタブレットの画面をスクロールさせながら目を通した。
「……あぁ、了解した。問題ない。これで計算しておいてくれ」
「助かります。では、これで」
軽く会釈をしてルナは背を向けた。
「うい……あ、おい、ちょっと待て!」
楓の挨拶を聞いたと同時にルナは取調室を出て行った。けれど、楓は今回の事件について色々と聞きたいことがあったのである。
「チッ!あのクソアマ、自分がロイの入局を許可しておいて自分は知らん顔かよ」
「日頃の行いのせいだね」
「あ!?」
およそ常人とは思えないくらいの怒りが篭った表情をしている。
楓は部下からの扱いの雑さにストレスを感じている。
数年前はこんな調子ではなかったのに、どこで道を間違えてしまったのか。
「おっと、怖い怖い。堅気の顔じゃないよ」
「堅気じゃねぇからな」
怒りは一瞬だったのか、真琴の軽口を聞いて少しは静まった。
けれど楓が怒ろうと怒らなかろうと状況は変わらない。
「まぁ、落ち着きたまえ。それより局長、件のロイはどうする?」
「そうだな。こっちも早く仕事を片付けたいが、これ以上の尋問はルナに問題扱いされても面倒だ。フレデリク、手枷を持って来い」
「はっ!」
楓はとりあえず取り調べを延期する方向で事態を収拾しようと考えた。
この後には支部長たちとの合同練習が控えている。時間を遅らせるのは忍びない。
男性局員が取調室の棚に置かれているダンボールの中から奇妙な形の腕輪を持ってくる。
それを見たロイは何の説明も去れる前にそれを理解した。
「思念連動式の拘束具ですか。古くは西遊記に登場する斉天大聖、通称孫悟空にも使われていた緊箍児が原典だったとか」
「へぇー。博識だな。魔法学校の最年少記録更新者は伊達ではなさそうだ。理解しているが念のために説明しておくと、その腕輪は設定した人物、つまりオレが念じれば加重が変化する。最大出力は約500キログラムだ。まぁ、魔法使いならその程度の加重は問題ないかもしれんが」
「それだけ加重したということは、ボクは楓さんに殺されるのでしょう」
理解が引くほど早かった。そのため、楓は一瞬だけハトが豆鉄砲を食らったような間抜け面を披露してしまう。
「そういうことだ。とはいえ、今日は留置所行きだな。明日以降どうするかは明日伝える。ウィリアム、連れて行け」
「了解であります!」
▽
国家安全保障局の敷地内部に設置されている留置所で、檻の中にロイは入れられた。
留置所は刑務所と違い、犯罪者扱いはされていない。あくまで逮捕された状態である。
逮捕とは一種の身体的拘束であり、この時点で有罪判決は下されていない。
これはもちろん国家安全保障局も該当し、逮捕された者は無罪放免になることも当然あるし、誤認逮捕もないわけではない。
それゆえ、ロイは感じていた。
楓は優しい、こんな手枷で許してくれたと。
加重は500キログラム、拘束するには十分すぎる。
正直なところ、彼女は自分が何をしてしまったのかはよく分かっていない。
誰かに暗示をかけられ、そのせいで自意識を支配されていたということは何となく理解できた。
しかし、情けない。
何があったのか、誰が黒幕なのか。
そんなことは重要じゃない。
重要なのは、彼女が誰かに魔法をかけられて都合の良い駒として利用されたと言うことだ。
未熟でしかない。屈辱の極みであった。
そして、本来ならこの場合、死罪であってもおかしくはない。
いや、もしかしたら死罪にするつもりだったけど、どういうわけか今生き延びているだけなのかもしれない。
生きてる、あぁそうだ、生きている。
あの『世界最強』とやり合って、それで生き残っている。
たった数分だろうけど、青野楓と対等にやり合えた。
その事実が心地よかった。
例え、暗示魔法で精神をイジられていたとしても、潜在能力まで修正することはできない。
つまり、ロイは実力で楓と対等にやりあったことになる。
ロイは無意識にニヤっと笑った。
自分が『世界最強』と同じステージに立てたことに陶酔したのだ。
『あんまりニヤついてると、監視している立場として注意する必要があると思うのだけど』
「!?」
檻の中での突然の発言、辺りには話しかけてくるような相手は誰もいない。
しかし、声の主は全長20センチメートルほどの立体映像でその姿を現した。
『どうも、税金泥棒です。……この挨拶、やっぱ嫌いだなぁ』
「あー、えっと……。村正さんでしたっけ?」
『違う、村雨。村雨システム!』
「そうでした。失礼しました」
声の正体は村雨を名乗る村雨システム。
村雨システムとは青野楓が自分が楽するために創ったサポートシステムである。
楽すると言っても、人間が自転車や自動車を発明開発した理由と同じようなものである。
その性質上、村雨システムは楓ができることしかできず、また楓が導き出せる答えしか導き出せない。
ただし、楓が導き出した答えと村雨システムが導き出した答えが必ず一致するわけでもない。
また、村雨システムは人間ではないため男性でも女性でもない。そのため、ルナが指摘しているようなことにも当てはまらない。
ゆえに鉄格子の向こう側にいきなり現れたとしても問題はあまりない(おそらく)
今回の登場に関しては楓の指示ではなく、村雨は独自の判断で行動している。
上述の通り、村雨システムは楓の仕事を減らすことが主な役割である。
今、楓は国家安全保障局の支部長たちとの合同練習中、練習と尋問を同時に並行する事は現実的ではない。
「なるほど、まぁ当然でしょうね」
ロイは村雨の意図を読み取った。
ここで村雨がやりたかったのは彼女の所持品の調査である。
腕輪である程度行動を抑止しているとはいえ、留置所を破壊されて手枷の効果範囲を超えられると困るため、留置所を破壊するような危険な所持品があるかを確認したかった。
まずブーツ。
ロイが履いている物は反重力装置内臓のブーツ。
一般的にはAG(Anti Gravity)ドライブと呼ばれている魔法兵装の一種である。
魔法使いが空を飛ぶことに使うイメージのある箒は科学が発展する以前の中世ヨーロッパで用いられたアイテムであり、現代の魔法使いでそんな骨董品を使う物は居ない。
ロイが使っているそのブーツはAGドライブの中でも一般的な物でありクセがなくアメリカで人気のモデル。
超高速飛行が可能であり、最高速度はメーカー曰く時速1200キロメートル、マッハ1である。
最高速度は仕様上の限界値であり、メーカーの推奨する使用方法ではない。
より速さを求めるのであればより加速に特化したモデルが好ましい。
そういうモデルであれば、使用する魔法使いのポテンシャルにも寄るがマッハ5も可能。
これほどの性能でも専門店で10万円程度で買えるほどなのだ。
こちらに関しては確認するまでもない。
本命は篭手のほうである、しかし。
「この手枷、大丈夫なんです?」
先ほど付けられた腕輪兼手枷の存在がロイには気になるらしい。
『思念連動型だから大丈夫と思うよ。上からでも装着はできると思うけど、気になるなら左腕だけで構わない』
「……それじゃあ信じますね」
左腕に篭手を装着した。
しかし、村雨にはその篭手がよく分からなかった。
けれどそれは分からないことが分かったということである。
『これは渚氏が?』
「えぇ、設計も製作も師匠がやったはずです。ボクは魔法兵装の設定に関してはあまり……」
『逆にこれを君が製作したなら大したものだよ』
青野家は元々魔法兵装の製作に長けている家系で、青野渚も世界レベルの実力を持つ。
そして、この篭手に使われている規格は村雨が知っているどの規格とも異なっていた。
村雨のデータベースは楓が集めた世界中の技術が集積されている上に、ネットを通じて一般公開されている技術は全て把握している。そのため、村雨のデータベースに存在しない技術は一般的に知られていない極秘機密かなにか。
となれば、渚が独自に開発したものだと予想するのが自然。
自分の弟子相手に対して随分と可愛がっているなぁ、と思える。
しかし、そんな贔屓を抜きにしても流石は青野渚。
使用者であるロイのポテンシャルを限界以上に引き上げている。
それは楓本人との戦闘でも良く分かる。
それゆえに、この篭手で留置所を破壊する事は可能かもしれないが、可能かもしれないという判断をすることが村雨の仕事であり、それ以上のことは現時点では看守たちの仕事である。
『なるほど……』
「ど、どうかしました?」
『いや、兵装に関しては問題ないかな。あとはキミに対する尋問を軽くしておこうかな、と思って』
「と言いますと?」
『キミさ……』
「はい?」
『キミさ、青野楓のことを勘違いしていない?』
村雨は言うか言わないか迷った。
青野楓を客観視することが存在意義であり、事実誰よりも近くで青野楓を観察してきた。
だから、村雨は知っている。
誰よりも青野楓を知っている。
多くの魔法使いたちが理解していない青野楓のことを知っていた。
それは、青野楓が多くの魔法使いが憧れるような青年ではないという意味である。