5話、そして物語は序幕へ
前回のあらすじ
立て篭もり事件に乱入してきた少女の名はロイ・ナイトレイ。彼女の正体は楓が局長を務める国家安全保障局の一員であり、楓の叔父である青野渚の弟子であった。
「では大将。自分は別の任務に移行します」
「お疲れ」
「お疲れさん」
国家安全保障局本部に到着し、パトカーから降りた楓と真琴に運転手の男性は挨拶をしてその場を去った。
ちなみに、ロイは簀巻きにされて真琴が米俵のように担いでいる。
「あー、疲れた。酒でも飲みてぇ……」
現在の時刻はまだ3時。晩酌の時間には早すぎる。
「我慢してくれないかな。夕方から各支部の支部長との合同練習なんだし」
「んげ、あれ今日だったっけ?」
すっかり忘れていた、というニュアンスで楓は聞き返した。
「そっすよ。だから副局長も昼間のサボタージュを見逃したんだと思う」
「はぁ……今日は最悪だな……」
「否定はしない、こちらも朝からいろいろ忙しくてね。できれば手伝って欲しいレベルだ」
「何かあったのか?」
「通り魔事件。被害者は24歳の会社員で性別は女性。死亡推定時刻は深夜3時半頃」
「ったく、だから言ってるだろ。深夜残業はやめて年齢性別問わず22時には帰宅しろって」
「今回に関しては問題ない。被害者は定時である17時に終業し、仕事帰りに友人と飲んでいたらしい」
「酒で酔った所を狙われたのか。そいつは自己責任の領域だな。被害者もタクシーを使うべきだったかもしれない。しかし、たるんでるぞ。国民の安全を守ることが我々国家安全保障局の仕事だ」
「ごもっともです。まぁ、誰が一番たるんでるかって言ったら局長ですが」
「よぉーし!仕事がんばるかー!」
「このクソ野郎……」
ダメな上司に対し、流石の真琴も不機嫌を隠す気がない。
しかし、真琴以上に不機嫌な人間がいた。
「青野楓ぇ!!」
スポーツブラとショートパンツという軽装スタイルの女性が2階と3階を繋ぐ踊り場から大声で叫び、そして飛び降りた。
嵐のような勢いで女性は楓に空中踵落としをする。
素足ではなくブーツを履いており、破壊力は申し分ない。
「はぐわぁ!?」
スイッチが完全にオフになっていた楓はその強襲を受けてしまう。
普通なら頭蓋骨陥没で致命傷に至るであろうが、楓の頭蓋骨は鉄板並みの強度なのか凹んですら居ない。
「副局長、そういうのは局長室で良いんじゃないかな?さすがにやりすぎだと思う」
「黒崎大将。局長室で暴れた場合、局長室が荒れるということを理解していないのか?」
「なるほど、一理ある」
「一理あったとしてもどうかと思うぞ。こんなもん、オレじゃなかったら殺人未遂だぞ!」
あまりの痛さに頭を擦りながら抗議する楓。
「黙れ。そもそもワタシがなんで怒っているかわかりますか?」
「小学校が半壊になったからだろ?心配するな、事後処理はオレに任せろ」
「違うわっ!」
「ごばっ!」
ロイの攻撃を簡単に回避してみせた楓が国家安全保障局副局長、赤戸ルナのローキックを避けることができず向こう脛に大ダメージを受ける。
「領収書のことですよ、領収書!!」
「領収書?……あ」
立て篭もり事件のせいで先日の飲み会代30万円の件をうっかり忘れていた。
「『あ』じゃねぇよ!!何忘れてるんだよ!!」
胸倉を掴まれて恫喝される。
女性に恫喝されることに悦を感じる男性はいるだろうが、残念なことに青野楓にそのような性癖はない。
「いやぁ~、いろいろありましてね?」
目が泳ぐ。どう考えても楓が悪いのだ。言い訳など不可能。
ルナも分かっているのだ、楓がそういう人間と言う事は。
ゆえに。
「死ね!」
殺意の乗った右ストレートが楓の鼻をへし折る。
「でしゃっ!」
世界最強の魔法使いとは思えない無様な悲鳴をあげる。
ルナの攻撃には『必中』の特性が宿っており、さすがの楓も回避は困難を極める。
その上、国家安全保障局と呼ばれる治安維持組織の副局長なのだ。
パワーも十分備わっている。
楓にとって最も相性が悪く、怒らせたくない魔法使いが赤戸ルナなのである。
「ま、真琴……そろそろオレも裁判所に駆け込んでも許されると思うんだ……」
「がんばろう」
「その励ましはおかしい」
ボタボタと鼻血を垂れ流しながら骨折した鼻の骨の再生を試みる。
曲がってしまった骨を魔法で強引に元の形に戻し、魔法を接着剤のようにして結合させる。
あとは自然治癒に任せるしかない。
「はぁー。気が晴れた」
清々しい顔で背伸びをしている。
良い笑顔だ。
「おい真琴、こいつこんなこと呟いてるぞ?オフィス内暴力だ!パワハラだ!」
「部下の暴行を許してやるのも男の度量だと思うけど」
「死ぬわ!!実際『死ね』って言われたぞ!!」
「ふん、世界最強が聞いて呆れますね。この程度の暴行でおたおたと」
「加害者本人が『暴行』って言っちゃったよ、遂に開き直ったよ」
「どうせ死なないでしょ?この程度じゃ」
「すまん、肉体は不死同然でも、心は普通人なんだよ、オレ」
「「はっはっは!」」
2人は仲良く同時に嘲笑した。
「笑う箇所じゃねぇよ!!この人でなし!!」
▽
「んじゃ。ワタシはまだ仕事中なので」
ルナは軽く手を振って保障局の中に戻っていった。
楓も真琴も保障局内部に用事があるのだが、少し間を置きたい気分でもあった。
「まるでオレが遊んでたかのように……」
「日頃の信頼関係のせいでしょな。おまけに言えば午前中仕事してなかったし」
「はぁー、だからって踵落としとローキックと顔面ストレートは天秤にあわねぇよ」
「こらえてこらえて」
発言は宥めているが、真琴の立場はどちらかと言えばルナに近い。
楓のサボり癖には心底困っている。しかし、真琴が怒る必要がないほどにルナに叩きのめされているので彼自身も接し方には悩んでいる。
「そうだな……はぁー、仕事すっか」
この数分の間に何回ため息を吐いたのか数えるのも嫌になるほど楓は溜息を吐いたが顔を叩いて気合を入れる。
▽
「お疲れ様です!局長閣下!」
保障局内部の取調室に楓と真琴が入ると、厳つい保障局員2人が勢い良く挨拶する。
「うむ。楽にしたまえ」
取調室の机には2つ椅子があり、手前側に楓が座る。
「はっ!」
局員は直立不動の姿勢から股を広げて休みの姿勢に移行した。
「相変わらず、部下には支持されてるよな、君」
「オレを尊敬してないのは局長室の連中である副局長と大将たらの4人くらいだ」
真琴の小言に楓は軽く返す。慣れたやり取り。
真琴も楓の返事を予想していたのだろう、気にせず(気絶したままの)ロイを取調室に座らせて簀巻きを解く。
「さてと、それじゃフレデリク。水をかけてやってくれ」
「了解しました!」
フレデリクと呼ばれたスキンヘッドの男性は、バケツの水を容赦なくロイにぶっ掛けた。
「ぶるるる!?なんですか!?何が起きたんですか!?」
気絶から目を覚ましたが、ロイは自分の身に何が起きたのかは到底理解できていなかった。
しかし、視界の中に楓が入った瞬間、ロイの目の色が変わる。
「青野楓ぇ!!」
「それはもう聞いた」
バンッ!と大きな音を立てて楓はロイの頬をビンタし、ロイはまた気絶した。
副局長のルナに抵抗できなかったことが楓も不満なのだろう、理不尽にも怒りの矛先はロイに向けられた。
「あらら、どうすんのさ、これ?半永久に繰り返されると困るんだけど」
真琴は机に倒れこんだロイの様子をセクハラ問題にならない程度に覗き込んだり触診した。
「良いんだよ、これで」
「どういうことさ?」
意味が分からないと疑問符を顔に浮かべながら真琴は質問する。
「催眠や暗示がそんなに万能な魔法と思うか?」
「……?現に立て篭もり犯たちを含め、ここまで使役できてる。十分万能だと思うけど、そうじゃないのかい?」
「だからお前は三流なんだ。良いか、催眠術ってのは簡単に言ったら『認識の妨害』だ。自分のものではない思想や価値観を一時的に自分のものだと認識してしまう。それゆえに呪術としては低級であり解除難度は比較的易しい」
「ほう?易しい?君は世間一般が難しくてもそう形容するから困る」
「アホか、こんな洗脳もどきが簡単にできてたまるか。もしも簡単にできてたらオレ達の仕事は今の10倍以上に膨れ上がってるぞ」
「おっと、それもそうか」
「あぁ、だから普通なら2度3度気絶させれば暗示も解ける。強力な暗示なら魔法で相殺する手段も効果的ではあるが、副作用で脳障害の恐れがあるからあまり好ましくない」
「なるほどなるほど」
真琴は納得したようにロイから離れ、ロイの後ろに回った。
対して楓は手を挙げて自分の後ろで待機している局員2人に合図を送り、1人はバケツで水を汲み、もう1人は銃の安全装置を解除した。
水を汲んだ局員が再びバケツの水をロイに向かってぶっ掛けた。
「あ……つぁー……」
先ほどとは微妙に反応が違う。
気絶しすぎたせいか、頭が悪くなったのだろうか。
楓も少し反省する、脳へのダメージは魔法使いにとっても最も避けたい問題。
「あれ……どこですか?ここは」
どうやら正気を取り戻したらしい。
ロイは自分の状況を把握するようにキョロキョロしている。
その上、楓の顔を見てもロイは平静である。
「あー、ここは国家安全保障局の取調室……」
だが、楓がしゃべり終わる前にロイはぐわっと楓の手を掴んだ。
楓の後ろで待機していた局員はアサルトライフルを構え、ロイの後ろで傍観していた真琴はリボルバー式の拳銃で頭を狙った。
しかし、楓は余っている方の手で制止させる。
ロイの手からは先ほどまでの殺意を全く感じなかったからだ。
その手の暖かさは極普通の、歳相応の少女の手でしかなかった。
「あ、あなた、青野楓さんですよね……?」
「無論だ。オレと同じ顔がそう何人も居てたまるか」
「そうですよね。……すぅ……はぁ……すぅ」
確認したロイは深呼吸をして間を置く。
ほのかな緊張感が取調室に充満したが、ロイが口を開いた。
「ずっと前から憧れてました!ファンです!」
「はぁ?」
予想の斜め上の発言に、流石の楓も素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
そして、これが青年と少女の真の出会いであり、この物語の始まりでもある。
しかし、その物語はきっと誰もが憧れる英雄譚などではない。
どちらかと言えば、儚いながらも希望はある悪漢譚なのであろう。