3話、強者と勝者の違い
前回のあらすじ。
小学校の立て篭もり事件を解決しようとした楓であったが、謎の少女が乱入してしまう。少女は錯乱しているのか、なぜか楓に敵意を抱いている。
楓をにらみつけた少女は勢いよく飛び膝蹴りをした。
頭部を狙ったその攻撃を楓はのけぞって回避したのだが、少女は空中で停止。
振り向くように回し蹴りをしかける。
楓は少し驚きつつも防ぎ、その距離から衝撃波を放って強引に距離をとった。
しかし、少女は勢いは止まらない。
20メートルは引き離されたのだが、捨て身で距離を詰めようとしている。
「〈トロン〉!」
楓は手の平に魔力弾を形成した。
この魔法は基礎中の基礎であるが、直撃すれば痛いでは済まない。
プロ野球選手が放つ剛速球を一般人が受ければ怪我をするのと同じ道理。
そんな魔力弾を楓は時速130キロメートルの速さで3つ放ち、牽制する。
だが、少女はそれを当たり前のように避けた。
縦横無尽に跳ね回り、たった3つと言わんばかりに楓の牽制を無視してみせた。
零距離まで接近を許した少女の両手から放たれた掌底が楓の鳩尾を打つ。
だがそれだけでは終わらない、打撃が直撃したことを確認するかのように大量の水流が放たれた。
距離の問題もあり、楓はマトモに受けてしまう。
さらに追い打つように楓に付着した水分子が停止する。
熱とは分子の運動の速さによるものである。
分子の運動速度が下がれば熱も比例するように下がり、古典力学ではこの運動速度の下限が絶対零度と呼ばれる。
つまり、水分子の運動速度を操作する魔法を使えば水流を放った後に、氷漬けにすることはそこまで難しいことではないのである。
「マズい!」
状況の不穏さに気づいた楓は完全に凍りつく前に魔法で対抗しようとした。
だが楓は気づく。
楓が得意とする魔法は電撃。放たれる魔法の反動は自分の受けてしまう。
通常であれば反動は無視できるレベルなのだが、辺り一面水浸し状態で電撃を放てば流石の楓も間違いなく感電するだろう。
〈偉大な魔法使い達〉とまで謳われた青野楓が自分の魔法で感電死したというのは恥以外の何物でもなかった。
あわてて炎の魔法に切り替える。
楓の周囲から熱波が発せられ、少女も吹き飛ぶように距離をとった。
氷が失った熱を楓は供給し、そして水、水蒸気へと状態変化を起こす。
この作業が楓の自尊心を傷つけた。
最初から判断ミスなのであった。
飛び膝蹴りを回避したのがいけなかった。
最初からカウンターを叩き込み、一撃で倒すべきだったと後悔した。
立て篭もり事件を解決してくれたとはいえ、学校を半壊し、青野楓を襲っているのだ。
勝算がないわけではない、しかし少女は存外強かった。
身長2メートルの大男たちを瞬殺できるだけの楓が狂犬のような振る舞いをしている少女を圧倒できないということが歯がゆい。
手こずっているのは楓の落ち度だとしても、全てにおいてストレスの溜まることばかりであった。
楓は静かにキレた。
今までは少女を見くびっていたのだが、ここで決意する。
何が何でも叩き潰すと決意した。
「村雨、聞いてるか?」
『どしたの~?意外に時間かかっているみたいだけど大丈夫?』
秒針が時計盤を一周するよりも早く終わると思っていたのか村雨は軽く心配した。
村雨の問いかけを無視するように楓は自分の言いたいことだけを言う。
「制限レベルを7まで解除する。もしオレがレベル6まで解除しそうになったら警告しろ」
『ちょっ!?ホンキ!?この程度の事件の解決にリミッターの解除なんて!』
「うるせー!!システム風情がオレに意見するな!!」
『はぁ……了解。村雨システム、継続します』
村雨は呆れながらも楓の発言に承諾し、楓の顔面の刺青から紋様が2画消えた。
青野楓の刺青はオシャレ目的ではない。青野楓という魔法使いを常識レベルにまで制限するための拘束具なのである。
10から0までの11段階であり、レベル10の状態でもSランク相当の魔法使いを数秒で、しかも一撃でノックアウトできるだけのポテンシャルを持つ。
制限レベルは高いほど楓の能力を抑える効果がある。つまり制限レベル0の状態こそが青野楓の真の本気ということになるのだが、楓がそこまでの力を行使しなければならない状況というのは極めて危険な状態であると同時に、楓本人も制限の解除を好んでいない。
楓はこれでも平和を愛しているのだから。
平和を愛しているからこそ、楓の平和を乱す少女の存在が気に食わなかった。
ものすごく我侭で自己中心的で横暴な理論であるが。
対して楓の平和を現在進行形で破壊している少女は楓の不愉快さなんて知らぬと未だ猛々しい。
両腕の篭手に赤い流体が纏い始める。
それの正体を楓は気にせずに体中を巡る力の本流を感じていた。
少女は我武者羅に突撃する。
神速と形容しても過言ではない少女に突きに楓も突きで返す。
少女は自分の攻撃を防がれたことを理解し少女は上段蹴りをするが、楓も上段蹴りを合わせる。
流石の少女も感づき始める。
楓は少女の攻撃全てを後だしで対応するつもりなのではないか、と。
それに戦慄する。
無自覚かもしれないが少女は戦慄した。
目の前の男が世界最強と謳われただけの意味を理解して戦慄する。
だからだろう、少女の次の攻撃には微細ながらに恐怖が含まれる。
「〈水龍破〉!!」
赤い流体を纏った右腕から放たれた赤い水龍が狂瀾怒涛の勢いで楓を襲うが、それを楓は左手で殴る。
殴り倒した。
おそらくそんな優しい魔法ではない。
威力だけならばこの一軒家を破壊するのも十分なくらいのものだろう。
しかし、楓はそれを利き腕ではない左手一本で何とかしてみせた。
「舐めるなよ?小娘。その程度でオレを倒せると思うな!」
楓は考えた。
今、自分はどれだけ疲労しているのか。
今、少女はどれほどの力を温存しているのか。
楓は残り体力を考えずに跳躍したり防御障壁を展開したりしてしまったことを軽く後悔したが、すぐに考えることを止めた。
目の前の敵を倒す、それ以外のことを考える必要はない。
時間はかかっても良い、詰め将棋のように追い詰め確実に倒す。
当然のごとく臨戦態勢を取る。
気合を込める。
力が乗る。
制限を解除しただけでここまで違うかと久しぶりの感覚に喜ぶ。
楓は平和主義者を自称するがその本質はどちらかと言えば戦闘狂に近い。
平和を愛した男は同時に闘争も等しく愛していたのだ。
静寂の中、先に動いたのは少女の方であった。
半身の構えから右ストレートを鋭く突く。
楓はそれを当たり前のようにいなす。鼻の骨を粉砕するつもりの一撃だったが、当然当たらなければ破壊力に価値はない。
次いで、二撃目。今度は腹部を狙った打撃。
しかし、楓は少女の腕を掴み、逆に投げ飛ばす。
「礼だ、受け取れ」
電気を纏った掌底を鳩尾に決める。
並大抵の魔法使いなら決定打になっていたはずなのだが、少女には効いている程度。
威力を上げるために楓は予備動作に一瞬だけ力を抜いた。
けれど少女はそのスキを逃さない。
風魔法で空気の圧を生み出し、楓を吹き飛ばした。
慢心、完全なる慢心。
楓はまたストレスが溜まる。
仕留め損ねた。一度ならず二度も仕留め損ねた。
一呼吸のスキを突く冷静さがあるとは思っていなかった。
本能なのか、直感なのかは関係ない。
そのスキを生んだのは明らかな失策であり愚策。
楓はもう言い訳のしようが無かった。
楓は己に問う。
お前は何をやっているのだ?
小娘一人倒すことすら満足に出来ないのが〈偉大な魔法使い達〉なのか?
小娘一人圧倒できない男が世界最強とは随分と狭い世界だと自嘲してやろう。
本気を出すことがそこまで嫌いか?
油断し慢心することがそんなに好きか?
興ざめだ、このクズが。
見てみろ、あの少女を。
今もまだ殺気を放ちながらこちらを様子を窺っている。
なぁ、楓よ。知らぬわけではあるまい?
戦場では強者が勝者になるのではなく、勝者が強者であるだけなのだ。
今、ここに勝者はおらず、強者しかいない。
ならば、どちらが勝者になってもおかしくはない。
見誤ってはいけない。少女が勝者になる可能性はわずかではあるが存在する。
そして少女は自分が負けることを想定してはいない。
なのにどうして楓は自分の勝利を疑っていないのだ?
咆哮しながら少女は突撃する。
しかし、楓は萎えた。
自分の弱さに萎えていた。
だが、楓が萎えたとしても少女が止まることは無い。
少女の殺意の篭った鋭い右ストレート。
それに対して楓が放つのは腑抜けた右ストレート。
互いの衝撃を相殺し、両者の間に空間が生まれる。
楓は条件反射で拳を構える、少女も拳を構える。
その構えが楓と似ていたが、些細なことを気にするほど穏やかな精神状態ではなかった。
今の一撃、確実に殺せた。倒せたではなく殺せた。
倒すという行為に美意識も抱いていない男が何を呆けているんだ、と全身に檄を飛ばす。
潰せ、これ以上戦闘が長引けば青野楓の名に傷がつく。
本人は名誉や栄光にこだわっていないが、それに価値があると言ってくれた者に申し訳ない。
こんな自分に憧れてくれた後輩に申し訳がなかった。
それを思い出したことで、楓は目を覚ました。
顔の刺青が更に2画消えた。
村雨に警告するように指示したにも関わらず、躊躇せずにレベル6を飛ばしてレベル5まで制限を解除した。
レベル5まで制限を解除したのは、楓にとってこの段階が最も調子が良いからだ。
中途半端に制限をかけるからこそ慢心が生まれる。
『この程度で十分だろう』という油断が芽生える。
先ほどのように己に問う。
なぁ青野楓よ。お前は何のために戦っている?
他人の平和のためか?それとも自分の闘争のためか?
いや、違うな。
ここで少女を倒さなくても平和への影響は無い。
ここで少女を倒したとしても大して面白いわけではない。
ではなぜ少女を倒さなければならないのか?
それは青野楓が〈偉大な魔法使い達〉であるからだ。
思い出せ、その称号の意味を。
自覚しろ、己が描いた正義の姿を。
少女を倒すことが大切なのではない、『世界最強』という謳い文句にどのような意味が篭っているのか、『世界最強』という期待にどのような願望が篭められているのか。
楓は先ほどまで少女を倒すことを考えていたが、今はもう考えていない。
倒すという結果ではなく、倒すための行動とは何か。
どうすれば少女を倒せるのかではなく、どうすれば少女は倒れるのか。
そんな微細な違いが楓の脳内に満たされる。
慢心も油断もしない。
レベル5は精神的にも最も〈偉大な魔法使い達〉らしく振舞えた。
苦戦することもなく蹂躙することもない、勝敗という概念すらもう戦場にはない。
そこにあるのは『青野楓という魔法使いがただ存在した』という事実。
敵を倒すというのは意外に難しい話ではない。
今回の立て篭もり事件も犯人グループを駆逐するだけなら校舎にミサイルでも放ち一網打尽で解決する。
しかし、それでは「芸がない」という次元の話ではなく、人質は犠牲になり、校舎などの被害も大きすぎる。
暴徒と化した民衆の鎮圧に戦車や爆撃機を使うことはあまりないが、使われないわけではない。
存在そのものが抑止力だとしても、抑止力は行使されなければ抑止力としての体をなさない。
今の楓がそれであった。
矜持もなく、私欲もなく、大義もない。
実力差が存在しているかはもうどうでも良かった。
苦戦していたかなどもどうでも良かった。
これ以上の本気は他の〈偉大な魔法使い達〉が煩そうだというのも興味なくなっていた。
この戦いの目的はもはや『青野楓が青野楓であるため』という幼稚なものしかなかった。
しかし、楓はそれが心地よかった。
人質は既に解放されている、ならば誰に気を使えば良い?誰が楓に文句を言える?
ガス抜きではない、自尊心のためでもない。
逃げたとしても責任は生じない。
であれば、ここから先は楓の完全な自由なのだった。
相変わらず猪突猛進に突撃することしかしない少女に、楓も慣れ始めた。
完全なタイミングで下顎を蹴り上げ、宙に漂っている刹那、殴り飛ばした。
先ほどまでは苦戦していたが、今の楓が苦戦する道理などなかった。
それほどまでに今の楓は完全であった。
30メートルほど飛び、少女はいつものように体勢を整えようとしたが、楓はもう次の行動に移っていた。
「狼藉は終いだ、小娘」
楓の掌に赤い光の弾がプカプカと浮かぶ。
そしてその光弾は爆裂する、楓の声に呼応するようにその魔法は大人気なく圧倒する。
「〈精霊の激昂〉」
紅い雷が轟く。
青野楓の必殺技。
幾千の戦場において楓を勝利に導いた不敗の魔光。
ある者は災禍と恐れおののき、ある者は神罰と崇め奉る。
まさに無双の一撃。
魔法を学んだ者であれば、この紅雷を拝謁して敬服しない者はいないと謳われる奥義。
そんな楓の魔法は猪武者を許さなかった。
少女の全身を襲うように放たれた光の柱は手加減することなく、戦場ごと少女の体を貫き焦がす。
少女も抵抗した。しかし、これは無理だ。
接戦を演じた少女ですらもこの直撃に耐えることは無理だった。
―――無理なはずだった。
あろう事か、少女は倒れていない。
必殺必倒の奥の手を受けてなお、少女が倒れることはなく、意識を朦朧とさせながらも少女は立っていた。
根性なのか、気合なのか、執念なのか、憤怒なのか。
いずれにせよ、少女は耐えてみせたのだ。
世界最強と謳われた魔法使いの加減を知らぬ一撃を。
そんな少女を見て、流石の楓も賛美が漏れる。
「見事だ」
だが楓は容赦しない。
立っているだけの少女の頭部に手を置き、電撃を流し止めを刺した。