―夢―
ひとりで、浜辺を歩いていた。
波の行き交う音が心地よくて、オレは、砂に足がもぐる感触を味わっていた。
辺りには誰もおらず、海を独り占めできたような気分はこの上ない。
だがしばらくすると、
『諒ちゃん!』
後ろから、弥生がオレを呼ぶ声がした。
まさか記憶が戻ったのか?
そう思って振り返るけれど、そこにいた弥生は小学生くらいで、
だからオレは、ああ、これは夢の中なんだ・・・と瞬時に悟った。
小学生の弥生はランドセルを背負っていて、走ってきたのか、紅潮している。
『諒ちゃん、なんで先に帰っちゃうの?一緒に帰ろうって言ってたの忘れちゃったの?』
唇を尖らせる弥生。
だいぶ幼いけれど、その表情は今も変わらないなと思った。
『諒ちゃん?どうしたの?なんで返事してくれないの?』
なにも言わないでいるオレに、とたんに、弥生の顔も曇る。
オレはなんて答えたらいいのか分からず、『あー・・・』と困ってしまう。
すると弥生は、オレをのぞきこむような姿勢になった。
『諒ちゃん、本当に忘れてたの?』
まっすぐに訊かれて、オレはとりあえず、頷いたのだった。
『えっと・・・、ごめん、忘れてた』
弥生が小学生ということは、きっと今のオレも同じ小学生なのだろう。
オレは小学生らしく見えるよう、言葉遣いに注意した。
すると、弥生は『もーっ!』と不満げに返してきたけれど、笑いながら、どこか上機嫌だ。
・・・・ああ、そうだ。
弥生はいつも、こんな感じだった。
同い年のくせに、お姉さんぶりたがるところがあったのだ。
生まれ月でいえばオレの方が年上だし、勉強や運動ではオレが弥生を教えることが多かったのに、それでも弥生はオレの世話をやきたがる。
昔っから、そうだった。
それは中学に入っても高校生になっても変わらずで。
だから、親たちが不在のときの食事の用意も、弥生はすすんでしてくれたのだ。
オレが好き嫌いを言ったりしたら、”しょうがないわねぇ” と軽く呆れて、
だけどそれが、なんだか誇らしげで、とても嬉しそうだったのだ。
それを思い出すと、なんだか、懐かしい・・・・・
とてつもなく昔の出来事のように思えてしまうから。
今、夢の中の弥生はオレの記憶通りの弥生で、
目が覚めると、そこにはオレのことを忘れてしまった弥生がいる。
その現実から逃れたいと無意識に思ったのか、オレは、この夢から覚めないでもいいのに・・・・なんて、弱気を浮かべてしまう。
だけど、記憶をなくした弥生がどれだけ不安を感じているのか、
そんな弥生を守るのはオレしかいないんだと、
今優先すべきはオレの気持ちではなく、弥生なのだということを思い出す。
『・・・・そうだよ、オレしかいないんだ。オレがそんな情けないこと言ってどうすんだよ』
知らず、呟いていた。
『え?諒ちゃん、なにか言った?』
きょとん、と訊いてくる弥生に、オレは『なんでもない』と笑った。
オレが笑うと、もれなく弥生も笑ってくれる。
そして思い出したように、屈託なく話題を変える。
『今日ねー、晩ごはんしょうが焼きなんだー。諒ちゃん、好きでしょ?』
そうか、オレはこの頃からしょうが焼きが好物だったっけ。
『うん、好きだけど』
すると、弥生がパアッと弾けるように破顔した。
『だからね、いつか諒ちゃんに作ってあげられるように、今日は私もお手伝いするんだー。諒ちゃん、いつか私の作ったしょうが焼き食べてね』
そう言って、オレより先に進んでいく弥生。
後ろ姿すら楽しげで、もう浜辺でスキップなんて踏みそうで、可愛らしい。
オレは、そんな弥生の背中を、ずっと見つめていた。
・・・・・はじめて弥生にしょうが焼きを作ってもらったのは、
いつだっただろう―――――――――――――?