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縁側でカレーライス





オレが病室に戻ってしばらくすると、弥生が目を覚ました。



「おはよう。よく眠れた?」


「あ・・・・・おはようございます。・・・確か、幼馴染の方、ですよね・・・・?」


起き上がりながら尋ねた弥生。


一瞬、ほんの一瞬だけ、記憶が戻ったのだろうかと淡い期待を抱くも、すぐにそのよそよそしい態度に否定されてしまう。



寝起きのいい弥生は、オレに気をかけながらも病衣の胸元を整えていた。



「そう。弥生には諒ちゃんって呼ばれてたけど」



低く、オレがそう教えると、弥生は申し訳なさそうに目を伏せた。



「そうなんですね・・・・・」



弥生を追い詰めたり悲しませたりしたいわけじゃないのに、つい、そんなセリフを吐いてしまったのは、さっきの男のせいだと思った。



あの男はいったい弥生の何なのだ。



解けない疑問が、弥生のよそよそしい態度と相乗して、オレの気持ちが焦ってしまった。



―――――――――――――ダメだ。これでは弥生を怖がらせるだけだ。




そう感じたオレは、今度は少し明るく話しかけた。



「だから、なるべくそう呼んでくれる?なんか弥生に ”高安さん” なんて呼ばれたら、気持ち悪くなりそうだから。生まれた時から一緒にいて、そんな風に呼ばれたことないんだよ」



すると弥生は戸惑いを残しつつも、クス、と、ささやかに笑ってくれた。



たったそれだけのことなのに、オレは、この数ヶ月で一番の幸せに遭遇した気分になった。



オレは弥生と違い明るい性格というわけでもないのだが、今の弥生と接する時は無理やりにでも明るく振る舞った方がよさそうだ。




そうしたら、また弥生が笑ってくれると思ったから・・・・・




弥生は記憶以外はどこも異常がなく、それなら入院しているよりも慣れ親しんだ家の方がいいだろうと、正午に病院食をとってから、退院となった。


弥生が気にしていた着替えだが、ちょうど帰省途中だったため、必要な物は一式揃っていた。



退院手続きは、驚くほど簡単だった。


未だ旅行代理店には連絡つかなかったが、関係者ということでオレでも手続きや会計はできたのだ。



病室を簡単に整理している時に警察の人間が二人やってきたが、弥生の症状が変わらずだと知ると、挨拶と少しの雑談だけで帰っていった。

どうやら事故の相手が全面的に非を認めているらしく、保険がおりるそうだ。

近いうちに保険会社の人間から連絡がくるとのことで、連絡先をオレのスマホにするよう頼んでおいた。



弥生は、自分が事故に遭った、という認識はあるので、警察の人間が病室を訪れても驚くことはなかったが、やはり、表情は不安に染まっていた。



オレはさっさとやることを終えて、弥生を家に連れて帰ってやりたかった。





会計を済まして外に出ると、夏の日差しに攻撃を受ける。


思わず目を細めて空を睨み上げたが、隣では同じように弥生も手のひらで目を庇うようにして空を見上げていて、

視線が重なった途端、


「眩しいね」

「眩しいですね」


と言い合った。




まだまだ暑さも序盤の頃、



オレと弥生の関係もここからはじまるのだと、オレは、腹をくくった。










帰りはオレの運転する車で十分ほどだった。


車内でどんな空気になるのか心配だったけれど、弥生は流れる景色に夢中で、オレが気にするまでもなかった。


記憶をなくしている弥生は当然ここが海に三方を囲まれた町だということも覚えておらず、海岸線を走っている間じゅう、「海が近いんですね」「海沿いの町なんですね」と、口数を増やしていった。



オレは、記憶をなくしても ”海” という認識はあるんだなと、そんなことを感心したりしていたが、その裏では、まるで子供のように喜んでいる弥生を、可愛いと思いながら車を運転していた。



残念ながら短いドライブはすぐに終わってしまい、弥生の家に着くと、オレは弥生の親父さんの車の横に自分の車を止めた。




「ここが、私の家なんですね・・・」



オレが後部座席から荷物を降ろしていると、弥生が家全体を見まわしていた。


その目に、この家はどう映っているのだろうか。



オレ達が生まれる前の年に建てられたという弥生の家は、純和風の造りで、映画やドラマに出てくる ”田舎のおじいちゃんおばあちゃんの家” といった形容がよく似合う。


表も裏も庭が広く、昔は夏休みにここでプールを作ってもらい、しょっちゅう遊んでいた。




思い出はいくつも蘇ってくるが、それを共有してくれる弥生は、ここにいない。




オレは懐かしさに蓋をして、弥生のキャリーバッグを運んだ。




家に入ると、弥生はきょろきょろと顔を右左に回していた。


今の弥生には、ここは見知らぬ場所である。


興味と戸惑いとが混ざり合っているのだろう。



ひとまずお茶でも・・と思ったけれど、旅行前に冷蔵庫の整理をしたのか、あいにく作り置きの麦茶がなかった。

オレは弥生のおばさんがいつもそうしてたように煮出して麦茶を作ろうとしたが、麦茶のパックがどこにあるのか分からない。


仕方ない、オレの家に行って何か飲み物を調達してくるか。


すぐにそう切り替えたけれど、脇からスッと伸びてきた手がそれを止めた。


弥生が、何も言わずに炊飯器が置かれた棚の大きな引き出しを引いたのだ。



「あの、これ・・・・」


「弥生?なんで分かったんだ?」



弥生が指差した引き出しの中には、オレが探していた麦茶パックがあったのだ。



「分かりません。ただ、なんとなく・・・・・」



途端におどおどしはじめる弥生。


オレの訊き方が乱暴だったのかもしれない。オレは慌てて、


「すごいじゃん。やっぱ家に帰ってきて正解だったよな。この調子でどんどん思い出していくんじゃないか?」


明るく言ってやった。



「そうだといいんですけど・・・・・」


弥生は寂しそうに笑った。






今日の夕食は、弥生の家の台所にあるものでオレが作ることにした。

と言っても、オレが作れるのはカレーくらいなのだが、幸い、根野菜もカレールーも保存があり、冷凍庫にはシーフードミックスがあったので買い出しに行く必要はなかった。



夕食ができるまで部屋で休んでたらどうかと弥生に言うと、弥生は荷解きも兼ねて部屋にいると告げ、二階に上がっていった。




オレは具材を炒めながら、さっきの出来事を思い返していた。


麦茶パックの在りかを無意識に指し示した弥生。



例えそれが記憶の中の1シーンを切り取っただけだとしても、オレはホッとしていた。



全くまっしろ、というわけじゃないことが、とんでもなく嬉しかったのだ。




もちろん、万が一このまま弥生の記憶が戻ることがなかったとしても、オレは弥生の傍にいるつもりだ。


もし弥生がオレのことを思い出さなかったとしても、オレは弥生のことを覚えているから。

弥生が弥生であることに間違いないのだから。




でも、弥生はさぞかし不安だろう。



青山弥生、という自分の名前さえ、真実かどうかも判断できないのだから。



だったら、記憶を少しでも取り戻せるよう、何か働きかけた方がいいのかもしれない。



さっきの麦茶パックのように、瞬間的に蘇ることがあるのなら、この家で、オレが、きっかけ作りを手伝ってやればいい。

そうしたら、弥生の記憶の栓が、少しずつ開くかもしれない。



そこまで考えたオレは、ふと、今朝病室にやって来た男のことを思い出した。




記憶を取り戻すということは、あの男のことも思い出すのだろうか・・・・・


あの男が、もし、弥生と親しい間柄だったら・・・?

もし、オレよりも弥生と深い仲だったら・・・・・?



オレは、オレの知らないところで弥生が新たな人間関係を構築させていたことに、ひどく狼狽えていた。



そんなの当たり前のことなのに。


オレだって、弥生の知らない友人知人はいるのに。



なぜだか弥生はいつまでもオレと一緒だと、そう思い込んでいた。



その思いは、大学受験に失敗し弥生と離れて暮らすことになった今でも変わっていなかったのかと、そんな自分を見つけて、そして驚いた。




あの男は、弥生の彼氏では、ないとは思う。



さすがに上京して四カ月で彼氏を作り、さらに実家の近くで待ち合わせだなんて、弥生の性格ではあり得ないはずだ。


だが、オレの知らない弥生の知り合いの男性、という肩書は、オレにとってはじゅうぶん心を騒がせる材料だ。



ボーっとしてるとつい手も疎かになっていたようで、鍋からは煙が上がってきて、慌てて水を入れた。


ジュウウウッ・・・という激しい音がして、すぐに静かになる。



オレは治まった鍋を見つめながら、



こんなことになるなら、もっと早く、弥生の恋人というポジションに就いていればよかった。



そんな後悔が湧いてくるのを感じていた。



今さら言っても仕方ないことなのに・・・・




その時、二階からスマホの着信音が聞こえてきた。


聞き覚えのある、クラシックのメジャー曲だ。


弥生が高校生の時から使っている曲で、オレは、そこが変わっていないことに安堵しつつ、


カレー作りに集中することにした。




日が暮れはじめ、カレーの煮込みもいい感じになってきたので、オレは階段下から弥生に呼びかけた。


「弥生ー、用意できたよー」



するとガタンッ、と何かに当たるような音がして、「今行きます」と返事が聞こえた。



もしかして、うたた寝でもしていたのだろうか。

それで、寝ていたのを飛び起きて、デスクかベッドの脚で打った・・・・・


もしそうだとしたら、寝起きがいいのか悪いのか・・・



オレはこっそり笑みを溢して、台所に戻った。






夕方以降はいい風が通り抜けていたので、オレは、和室が二間続いてる居間の縁側で夕食をとることにした。



二つのトレイにカレーと簡単なサラダ、らっきょうと福神漬を盛り合わせた小皿、カトラリーを乗せると、縁側に並べた座布団の上に置いた。



すると、ちょうど降りてきた弥生が歓声の声をあげた。


「わあ・・・ここで食べるんですか?」


この家に戻ってきてから一番の笑顔だ。


「うん。風が出てきて涼しいからね。さあ、座って」


オレが言うと、弥生はトレイを持ち上げて座布団に腰をおろした。



そしてオレも隣に座って、二人で手を合わせた。



「・・・・・おいしいっ。シーフードカレーなんですね。すごくおいしいです。お料理上手なんですね」


嬉しそうに言う弥生に、オレも気持ちが上がる。



「オレが作れるのはカレーだけなんだけどね。実は弥生の誕生日にもよく作ってたんだ。プレゼント代わりに。

 で、弥生はオレの誕生日にケーキを作ってくれてた」



口が滑らかになるというのはこういうことだなと思った。



「私、ケーキ作ったりしてたんですね・・・」


「弥生は料理が得意だったから」


「そうなんですね・・・」


オレが放つ弥生の情報を、弥生は一つ一つ噛み締めるようにして聞いていた。



「夏になると今みたいにここに座ってスイカ食べたり、アイス食べたり、庭で流しそうめんしたり・・・・って、なんか食い物ばっかだな」



オレが笑うと、つられるように弥生もクスクス笑う。


だが、カレーを口に運ぶ横顔は、まだまだ緊張を携えていて、オレは、なんだか違和感を覚えた。



そしてその違和感は大きくなりそうな気がして、オレは何か話題を探した。



「そういえば、さっきスマホが鳴ってたみたいだけど?」


「・・・・そうなんです。それで、あの・・・私、今こういう状況なので、出ない方がいいですよね・・・?」


「誰からの電話だったの?」


まさか、あの男が連絡してきたのだろうか。


「たぶん、大学の友達だと思います。私が電話に出なかったらメールが来て、大学の課題のことが書かれてましたから・・・」


「へえ・・・。それって、女の子?」


「たぶんそうだと思います。」



弥生の返事にホッとして、ホッとした自分に、小さく苦笑う。


・・・・いつからオレはこんなに嫉妬深くなったんだ?



「しばらくは、電話には出なくてもいいんじゃない?緊急の用事なら何度も掛けてくるだろうから、その時はまた考えよう。何なら、オレが出て事情を説明してもいいし。ただ問題は、メールだよな。弥生はSNSはやってなかったから、そっちの心配はないと思うけど・・・」


オレを頼ってほしくて、それとなく、誘導する。

小賢しいことは百も承知だ。


けれど弥生はそんなオレの下心には気付かず、素直に頷いた。


「分かりました。じゃあ、電話は出ないで、メールは・・・・諒・・さん、に、相談します」


名前を呼ばれて、オレは、一瞬息をするのを忘れてしまった。



今の弥生には ”諒ちゃん” と親しげに呼ぶことはかなりのハードルなのだろう。

それを踏まえての、”諒さん”  が、嬉しくて、なんだか可愛らしくて、心臓がちょっとだけ、跳ねたのだ。



「・・・・・ああ、うん、それがいいと思う」


ぎこちなくなってしまう返事。



本来、オレ達にこんな雰囲気はあり得ないはずなのに・・・・・



照れなのか、恥ずかしさなのか知らないが、妙なこそばゆさを感じてしまい、オレはそれを振り払おうと、立ち上がった。



「じゃ、オレ皿洗ってくるよ。弥生のも貸してくれる?」


「あ、後片付けは私もお手伝いします」


「いい、いい、弥生は色々疲れがたまってるだろうから、休んでて」


一緒に腰を浮かせようとした弥生を制し、オレは手早く自分と弥生の食器とトレイを重ねた。



「・・・・それじゃあ、すみません、お願いします」


弥生は素直に引き下がると、ぼんやり、庭の方を眺めるように座り直した。




だが、よほど気を張っていたのだろう、

後片付けを終えたオレが戻ってみると、開け放たれた窓の枠部分にもたれ掛かるようにして、弥生は眠ってしまっていた。



スウ・・・スウ・・・という規則正しい寝息に、自然と口元がゆるんだ。



俯いているせいでくせ毛が顔を隠しているのが惜しくて、オレはそおっと、横髪を耳に掛けてやった。




「・・・・・・弥生?・・・」



まるで吐息のように、小さなボリュームで呼んでみたけれど、弥生から返事はない。



「ここで寝たら風邪ひくだろ・・・」


仕方なく、部屋まで運んでやることにした。



腕を首と膝裏にまわし、持ち上げる。


オレが記憶している弥生よりも、少し軽くなっている気がした。



弥生を抱いたまま立ち上がると、部屋の明かりに照らされた寝顔がはっきりと見えて、




愛おしい――――――――――――――――




その想いが、全身から溢れてきそうになる。



オレは、弥生への気持ちをありありと感じながらも、


今の弥生にぶつけるわけにはいかないと、ギュッと唇を噛み、それを堪えた。




そして弥生の部屋のベッドに運ぶまで、大切な人を腕の中で守ることの幸せに浸っていた。




――――――――――――弥生のことが、好きだ。





その気持ちは誰にも負けやしない。


例え、あの男が弥生とどういう関係なのだろうと。












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