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童話

おかしの家の魔女

作者: 天界音楽

 ある春の日、お母さんがハンスとグレーテに言いました。


「ヘンゼル、グレーテル。お父さんの仕事について森に行って、苺を摘んできてくれないかしら」

「もちろんだよ、お母さん」

「わぁ、すごく楽しみね!」


 そこで二人は森へ行き、たくさん苺を摘みました。赤く色づいた苺だけをかごに入れ、熟れすぎた甘いのは口に入れました。

 よく熟れた苺は甘い匂いを漂わせていて、ぱくりと食べたら口の中いっぱいに甘酸っぱい果汁が広がり、ほっぺたが落っこちそうでした。


 森の中は面白いものがいっぱい。苺の他にもお花を摘んだり、虫を追いかけたり。やがて二人はどんどん奥へ奥へと迷い込んでいってしまいました。気がついたときには、たいへん、戻り道がわからなくなってしまいました。


「どうしよう、グレーテル」

「どうしましょう、ハンス兄さん!」


 お父さんは「あまり遠くへ行くんじゃないぞ」と言っていたのに。お父さんは二人がいないことに気がついてくれるでしょうか。探しに来てくれるでしょうか。

 不安になったグレーテが弱々しく泣き出すと、ハンスの目にも涙が滲んできました。それでも自分は兄さんなんだからとブラウスの袖で洟を拭い、大きな声で言いました。


「大丈夫、ちゃんと家へ返してやるから! とにかく道を探そう!」


 けっきょく、くたくたになるまで歩き続けても、帰り道は見つからないのでした。足が痛くなってきた頃、二人は梢の合間に見え隠れする屋根を見つけました。こんな森の中ですが、誰かが住んでいるのでしょうか。

 もしかしたら水をくれて、休ませてくれるかもしれない。森の出口へ案内してくれるかもしれない。そう思った二人は喜び勇んで小道を駈けていきました。


 ぱっ、と目の前が開けて姿を現したのは、こじんまりとした一軒家でした。オレンジの屋根は外はサックリ中はふんわりしたケーキで出来ていました。壁はビスケット、プレーンのとチョコのと二色あります。半分透き通った窓の硝子はきっと飴細工、縁取りも色とりどりの宝石みたいなキャンディーです。庭の小石はジェリービーンズにチョコボール、ハンスの好きなハッカの飴もありました。


 ハンスとグレーテは歓声を上げて近寄って、窓から中を覗いてみました。すると、テーブルには素晴らしいごちそうが並んでいるではありませんか。紅白ネジネジのろうそく立て、お皿はワッフル、生クリームたっぷりのケーキにパイ、ジュースもたくさん!


「すごいや。誰のうちだろう」

「ねぇ、ドアを叩いてみましょうよ。親切にもてなしてくれるかもしれないわ!」


 しかし、いくら叩いても呼んでも、誰も出てきやしませんでした。もしかしたらこれは、誰の家でもなく、困った二人のために神さまがこしらえてくださったものではないかしらんとさえ思われました。疲れきったこどもたちにとって、甘いおかしの誘惑はいささか強すぎました。

 庭石のチョコレートやジェリービーンズに手が伸びてしまったのは仕方がないことだったのかもしれません。そうだとしても、壁のビスケットや飾りのクッキーを剥ぎ取ったり、屋根に上って瓦のケーキを外して下にポイポイ投げてしまったのは、さすがにやりすぎでしょう。


 おばあさんの怒鳴り声が聞こえたとき、ハンスのズボンのポケットは飴玉でパンパン、かごの中は苺とケーキでいっぱい、二人の口の中にもしっかり甘いおかしが入っていました。もちろん言い訳なんて通用しません。おかしの家から出てきた腰の曲がったおばあさんは、真っ黒いワンピースを身に着けたいかにも魔女のような風体でした。


「お前さんたちはひとの家の庭で、いったいぜんたい、なにをやっているんだね。ええ? 庭石を盗んで壁をはいで! 屋根を見てごらん、あのありさまを! こんなイタズラをするこどもは、かまどで焼いて鍋で煮て、食っちまうんだよ!!」


 これは、この老婆は、魔女に違いありません。細い枯れ枝のような指でつっつかれて、ハンスもグレーテも「ごめんなさい」も言えないままに泣き出してしまいました。


「さぁ、こっちに来るんだ! お前たちみたいなガキをこんな場所に置いとくわけにはいかないからね!」


 おばあさんはものすごい力でハンスを引っ張っていき、小部屋に入れました。グレーテも一緒に押し込まれ、おばあさんは外から鍵をして二人を閉じ込めてしまいました。そこは洗面器を置く台とこまごました生活雑貨、そしてベッドしかない粗末な部屋です。しばらく二人は泣いて泣いて、抱き合って慰めあっておりましたが、やがて眠くなってしまい、一緒にベッドに入って丸くなりました。


 こうして恐ろしい夜は明け、朝が来ました。二人はいつの間にか部屋に差し入れられていた水差しの水を飲み、顔を洗いました。そして、かごの中の苺とケーキを分け合って食べました。ポケットの中のおかしはすっかりなくなっています。やがておばあさんがやってきて、扉の上のほうにある鉄格子ごしに話しかけてきました。


「お前たち、名はなんと言うんだね」

「ハンスです」

「グレーテです」

「じゃあ、家ではヘンゼルとグレーテルと呼ばれているんだろうねぇ」


 ハンスという名前に小さいという意味のエルをつけてハンスちゃん、グレーテにも同じくエルをつけてグレーテちゃんと、二人はそれぞれそう呼ばれていたわけでした。


「ヘンゼルのほうはすぐにでも食いでがありそうに丸いねぇ」

「ひぇっ!!」


 おばあさんのいやらしい猫なで声にハンスは飛び上がってしまいました。がたがたぶるぶる震えがとまりません。


「お願い、魔女のおばあさん、ハンス兄さんを食べないで! わたしたち、あなたの家を壊してしまって本当に悪いと思っているんです。ちゃんと謝りますから! ごめんなさい、許してください! つぐないはなんでもします、どうか、どうか許してください!」

「すみませんでした! どうか僕たちを許してください!」


 おばあさんはしばらく黙っていましたが、やがて口を開いてこう言いました。


「なんでもすると言ったね……。その言葉に嘘はないかい?」

「はい、神に誓って」

「じゃあ、グレーテル、お前には魔女になってもらおうかね」


 今度はグレーテが息を飲む番でした。魔女はハンスがなんと言っても、なんどお願いをしてもその言葉を引っ込めようとはしません。たいへんなことになってしまいました、このままではグレーテは魔女にされてしまいます。



 ★ ☆ ★ ☆ ★



 さっそくグレーテの修行が始まりました。大きな桶で洗濯物を洗います。枕と布団はよく振ってふわふわにしておきました。家の中は上から下に、奥から入り口に、埃を落として掃き清めていきます。小物の類いは布で拭き、床板はブラシでこすって。もちろんハンスも大いに働きます。ただし、その腰にはロープがくくりつけられていて、逃げたりは出来ません。途中で庭石をつまみ食いして叱られていました。


 掃除を終えて二人はへとへとになってしまいました。ハンスはまた小部屋に閉じ込められ、グレーテは魔女のおばあさんが昼食のシチューを作るのを見ておりました。細々とした作業の合間にも道具を綺麗にして片付けて、魔女の手際は見ていて気持ちの良いものでした。


「明日からはお前さんがやるんだよ」

「えっ、わたしが?」

「そうだよ。掃除に洗濯に料理、それと私の肩や足も揉んでもらおうかね。おや、不服かい? 夕飯にヘンゼルをかまどに入れようかね?」

「やります! やりますから……」


 グレーテの泣き顔を見て、魔女は愉快そうに笑いました。ぽろぽろこぼれる涙を拭い、グレーテは決心しました。


(早くハンス兄さんを逃がそう。このままじゃ兄さんほんとに食べられちゃう!)


 午後からは薪割りが待っていました。木こりの家に育ったハンスは、薪割りだけは大得意でしたので、楽々仕事をすませてしまいました。一方、グレーテはかまどの使い方を教わることになっていました。夕飯はパイでしたが、ここには野菜しかありません。グレーテはそれを指摘しようとして何度も口を開きましたがついに言えませんでした。


 さて、パイ皿に中身を詰めていく段になって、魔女は丸のままの人参に手をかざして言いました。


「今夜はニシンが食べたいんだ、ニシンがどうしても食べたい。ニシンよ出てこい、代わりに出てこい!」

「まぁ!」


 あっという間の出来事でした。三本の人参が三本の塩漬けのニシンに変わっていたのです。魔女はそれを皿に詰め、パイを完成させました。これはすごい魔法です。


「おとなしくしておいでなら、お前にも魔法を教えてあげるよ。神とそのしもべである者たちの領域を侵さないように細々と使っているものだ、誰にも迷惑なんざかけていない、可愛らしい魔法さ」

「わかりました、内緒で使います」

「賢いこどもは好きだよ。お前は兄さんと違ってとんまじゃない。色々仕込んであげようね、グレーテル」


 だいたい、そのような感じで日々は過ぎていきました。ある日のこと、ここでの生活にもすっかり慣れたハンスが裏で畑仕事をしておりますと、グレーテがやってきて腰の縄をほどきました。ハンスの縄を結ぶのもグレーテの役割になっていたので、すぐにほどけるよう朝のうちに細工をしておいたのです。


「逃げて兄さん。魔女は今、うたた寝しているわ。昨日の晩はお肉をたくさん食べたから、走る元気はあるでしょう? このかごに水と食べ物を詰めておいたから、森を抜けて助けを呼んできて」

「わかったよ、グレーテル。でも、お前はどうするんだ?」

「わたしのことは心配しないで。きっとうまくやるわ」


 二人は頷きあって一度だけぎゅっと抱き合うと別れ別れになりました。ハンスは森の中へ。グレーテは魔女のおかしの家の中へ。玄関のドアを開けると、魔女のおばあさんは揺り椅子で寝ています。甘い甘いおかしの家、ここはおかしの好きな魔女が自分の楽しみのために屋根や壁や家具をおかしに変えて、見たり嗅いだりして満足していたのです。


 寝ている今なら魔法も使えず、この魔女を始末することができるでしょう。何と言っても、長いあいだハンスとグレーテを脅して閉じ込めてきた悪い魔女です。今ここで首をひとひねりすればそれだけで良いのでした。グレーテは魔女のおばあさんの上に屈みこみます。


 魔女は、顔の上にポタポタと落ちかかる水滴によって目を覚ましました。なんと、グレーテが大粒の涙をあふれさせて黙って泣いているではありませんか。


「グレーテルや、どうしたんだね? なにがあったんだね?」


 魔女はただごとではないと思って、重い腰を上げました。そして玄関が開いているのに気づいて、外の畑へ様子を見に行きました。


「なんてこった、ヘンゼルのやつ、妹を置いて逃げたね! なんてこった!」


 魔女は地団太を踏んで悔しがりました。それを見るにつけ、グレーテはさらに涙を流すのでした。


「泣くんじゃないよ、グレーテル。ヘンゼルがいなくなったって、お前をどうこうしたりしやしないよ、安心をし」

「ちがうんです。ハンス兄さんを逃がしたのはわたしなんです」


 魔女は口の中でなにかをもごもごと呟いたきり、黙ってしまいました。


「もう、わたしたちを解放してください。脅して閉じ込めたりしないでください。兄さんは助けを呼びに行きました、きっと、村の大人たちが来てくれるはずです。

 わたしは、本当は、邪魔されないようにおばあさんを殺さなくちゃいけないと思っていたの。だってあなたは魔女だから、起きたらきっとひどいことをすると思って……」


 魔女は泣きじゃくるグレーテの肩を抱き寄せ、その頭を撫でてやりました。


「あのとき、お前さんはあたしを殺そうとしていたんだね」

「でも、できなかった! だってあなたは、わたしたちを閉じ込めたけれど、寝るところと食べ物をくれたもの。わたしに色んなことを教えてくれて、ハンス兄さんも痩せて健康になって……だんだん、一緒に暮らすのが楽しくなっていたわ……」

「あたしも楽しかったとも! 誰も訪ねてこないひとりきりの生活が長くて、わびしくて……だからつい、出来心でお前さんたちを家にも帰さず……! ごめんよぉ、グレーテル、あたしを許しとくれ! お前さんたちを親から取り上げて、辛い思いをさせちまった、あたしを許しとくれ……!」


 二人は抱き合っておいおいと泣き出してしまいました。涙が全部流れきったあとは、家に入って温かなお茶を飲みました。そして、戸棚にしまってあった、苺ジャムのたっぷり詰まったケーキを食べて、おしゃべりをしました。あんまりたくさんケーキを食べたので、夕飯が入らないくらいでした。



 ★ ☆ ★ ☆ ★



 ハンスが迷いながらも一日がかりで家に戻ると、家族は大きな驚きと喜びをもって彼を迎えました。苺を摘みに行ったきり、三ヶ月も戻らなかった息子を見て、お母さんは倒れてしまうほどでした。


 森で行方不明になったハンスとグレーテを探して探して、探しても見つからなかったために、ついには死んでしまったと思われていたのです。グレーテがいないことを悲しく思ったお父さんとお母さんでしたが、ハンスの話を聞いてビックリしました。


「大変だ、今すぐグレーテルを助けに行かなくては!」


 ハンスの道案内で村人たちは手に手に鋤や熊手や松明を持って魔女の家にやってきましたが、そこにあったのは可愛らしいおかしのような見た目の家と、庭で歓迎の準備をして待っていたグレーテでした。


「いらっしゃいませ、迎えに来てくださって、どうもありがとうございます!」


 グレーテは笑顔で村人たちに挨拶しました。人食い魔女の話を聞いていた彼らはさっぱりわけがわからないといった表情でした。お父さんとお母さんとが駆け寄り、ハンスも一緒に抱き合って、きこりの一家は再会を喜びました。


 そして、グレーテは魔法のことは内緒にして、村の大人たちに事情を話したのです。助けてくれたおばあさんが寂しさから二人を引きとめようと作り話をしたこと、グレーテたちはそれを真に受けてしまったこと、ここでの生活は楽しく時間を忘れてしまったこと……。


 最初は半信半疑だった村人たちも、グレーテの必死の説得に武器を下ろしました。事情を察したハンスもおばあさんの味方をしましたので、村人たちも二人の両親も、おばあさんの過ちを許すことを約束しました。そこでグレーテはおばあさんを家の中から連れて来て、村人たちに紹介しました。おばあさんの謝罪に両親は涙ながらに頷き、みんな和解しました。


 それから、村人たちは総出でおばあさんの家を村の中に作り、引越しの作業をしました。その、新しいおかしの家には大きなかまどがこしらえられています。そこでおばあさんは美味しいケーキやクッキーを焼き、村人たちにふるまうのでした。そこには他にも、チョコレートでできた飾りやキャンディーでできた飾りも置いてあります。どれも魔法のように美味しいおかしばかりです!


 さらに不思議なのは、仕入れたおかしの中に、たま~に見たこともないおかしが入っていて、それは本当にほっぺたが落っこちそうなほど美味しいのです。それは特別なおかしで、買おうと思って買えるものではないのでした。こどもたちはおばあさんを魔法使いだと信じています。そして、親しみを込めてこう呼ぶのです。「おかしの家の魔女さん」とね。


 やがて時が経って大人になったグレーテは、どうなったかみなさんはもうご存知でしょうね。そうです、おばあさんのおかしの家を継いで、二代目の魔女として頑張っています。教わったのはおかしのレシピだけではありません。彼女ももちろん、本物の魔女です。



――おわり――

★ヘンゼルとグレーテルの名前について

 ヘンゼルとグレーテルは、それぞれ本来の名前の最後に縮小辞 -el を添えて「ハンスちゃん」「グレーテちゃん」といった響きを持たせた、地方色のある子供向けの呼び名であるという。そのため、大人になればハンス(Hans)、グレーテ(Grete)と呼ばれるようになる。本作品ではあえて地の文では本来の名前を、台詞の中では口語として縮小辞を付けた名前を用いている。

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[良い点] 文句なしのハッピーエンド [一言] ヘンデルとグレーテル、100円の本で子どもに読み聞かせてました。 でも、天ちゃんの童話を読んで聞かせて上げたかったな。
[一言] グレーテと魔女のやりとり、ラストにほうっとしました。 ぬくもりある結末、胸があったかくなりました。 それにしても美味しそうなお菓子の家。 二代目魔女は、どんな活躍をするんだろう。 明るい未…
[良い点] なるほど、一度太ると、おなか一杯のケーキを食べ損ねるから、普段からあまり太らないよう心がけましょうと、そんな話ですね(多分違う? ……いや、違わない気がしてきた)。 [気になる点] ハン…
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