キミの世界を覗かせて。
僕たち以外の人が居なくなった教室で、僕は机に向かって座っている。何をするでもなくぼんやりと正面を眺める僕の視界に映るのは、せっせとペンを動かす少女の姿だ。
初めて会った時より見た目もだいぶ大人びている筈だが、ずいぶん長いこと一緒にいるせいか、あまり変わったという印象はない。
僕には幼なじみがいる。母親どうしが友人で……。というやつだ。
彼女は癖ひとつない綺麗な黒髪で、眼鏡が良く似合う。まさに委員長という風貌である。
それに比べて、僕はぴょんぴょんと落ち着きのない茶髪。よく「染めているのか」と聞かれるが、残念ながら地毛だ。
おかげで、僕の方が少し背が高いにも関わらず、彼女はしばしば僕を弟のように扱う。勘弁してくれ。
跳ねた髪を直されることもよくある。悲しいことに、それは寝癖じゃないんだ。
……だからだろうか、彼女は僕のことをちっとも恋愛対象だと思ってくれないのだ。
例えば、僕が荷物を持ってあげようとすると、「私、結構力持ちだよ?」と笑顔で流される。その笑顔プライスレス。……いや、違う。落ち着け僕。
僕が車道側を歩こうとしても、曲がり角を過ぎるといつの間にか僕が歩道側にいる。つまり、彼女の方が一枚上手というわけ。
彼女は僕に「優しいね」と言うが、彼女以外にそんなことはしない。僕の「特別」は伝わらないのだ。
せめて、男らしいところを見せるチャンスを下さい。彼女の方がスマートに格好いいことをやってくれるのが辛いんです。
そんな感じで、何時から好きかなんて覚えてないけど、彼女が隣に居ない未来が想像出来ないくらいには僕の生活に馴染んでしまっている。
しかし、昔は彼女のことを今ほど好きではなかった。寧ろ、すこし苦手だった。
親に「仲良くしてね」と押し付けられた関係が。
彼女の少し引っ込み思案なところが。
にもかかわらず、僕のことを真っ直ぐ見てくる視線が。
その苦手が苦手じゃなくなったのは、僕らが小学生になった年。彼女が眼鏡を掛け始めた年でもある。昔から本を読むことが好きだった彼女は、続きが気になる本があれば親に隠れて薄暗いところで読書をすることも珍しくなかった。
そういう理由で目が悪くなった彼女は、眼鏡を使うようになった。しかし、小学一年生。眼鏡の目立つことといったらなかった。まだまだゲームをやる子も少なく、AAが普通の子供たちが大半の中、彼女はとても目立った。浮いていた、と言っても過言ではない。
しかし、元来引っ込み思案な彼女は目立つことが苦手だ。学校で他の子たちに囲まれただけで不安そうに僕の方を見てきた。いや、僕に頼られてもね……。
かといって無視をするわけにもいかず、僕は彼女の手を引いて席を立った。そのまま廊下まで出たのは良いが、行先など考えてもいない。少し考えて、適当に階段まで歩いた僕は彼女に向き直った。その時、僕は初めて彼女の顔をきちんと見た。今までは、真っ直ぐな視線が気恥ずかしくてしっかりと彼女を見たことがなかったことに気付いた。
「……眼鏡、似合ってるよ」
違う。そういうことを言いたかったんじゃない。
僕も彼女の悪癖を知っていたので、何度か治すように言ったのだ。目が悪くなるぞ、と。
でも、彼女は結局悪癖を治さなかったし、目も悪くなった。だから、少し注意してやるつもりだった。数ヶ月ではあるが、僕の方が年上なんだし。
だが、いざ口をついた言葉は全くの別物。どうやら、口が謀反を起こしたらしい。
突然の謀反に混乱している僕を他所に、口は更に勝手に言葉を紡ぐ。
「なんかさ、眼鏡って格好いいよね。……偉い人ってかんじ!」
しかし、その謀反もただの役立たずではなかった。
「……ありがと」
そう言って、彼女はふわりと笑ったのである。
初めて見る笑顔に、僕はなんとか「お、おう」と答えたことは覚えている。その時の僕の脳内は割りとお花畑だったので、良く返事が出来たものだと今でも思う。
また、彼女はとても素直な性格だ。
新しいものや綺麗なものを見ると、直ぐに眼鏡の向こうの瞳をきらきらと輝かせる。そのきらきらを見たくて、彼女を色んな場所に連れ回した記憶もある。
綺麗なものを見て純粋に綺麗だと感動できるような素直さは、僕にはない。だから、彼女のきらきらした瞳を見るたびに思うのだ。
きっと、彼女には世界が僕よりずっと綺麗に見えているのだろう。そして、そんな世界で、僕の存在はとてもちっぽけなものなんだろうけど。
……彼女の世界を見てみたい、なんて。
しかし、僕の特別はやっぱり伝わらない。今だってそう。
委員会(実は彼女、本当に委員長なのだ!)の仕事の為に居残る彼女を、ただ待つ僕。本当は手伝いたいが、彼女は一人でやり通したいらしい。ぼそりと「手伝ってもらったら、格好よくないもん」と少し照れたように呟いた真意は僕には分からない。ただ、彼女にとって僕に手伝われることが本意でないことは分かった。
そんなわけで、僕はただ彼女を眺める。これだって特別だ。実は割りと飽きっぽい僕は、何かを眺めるなんて苦手だった。……今だって苦手だ、彼女を見る以外は。
しかし、彼女は僕が気長な性格だと本気で思っているらしい。まあ、原因は分かっているんだが。
彼女と何処かに出掛けるとき、僕はかなり早目に行動する。結果、いつも僕が沢山待つことになる。それしか知らない彼女には、待つのが苦にならないのは彼女だけだと伝わらない。母親には、「あんた、分かりやすいわ」って言われるのにな。
一段落ついたのか、彼女は手に持ったペンを机においた。その時、僕の中に小さな悪戯心が芽生えた。
僕は完全に油断しきっていた彼女の目元から眼鏡を抜き取り、自分に掛けてみた。
うー、視界が歪むし、クラクラする……。
思わず唸った所で、自分の視界に違和感を覚えた。先程まで歪んで何の像も結ばなかった筈の視界に、何かが見えた。というか、気のせいでなければ僕だ。いくら鏡を使わないと見られない姿でも自分、見間違える方が可笑しい。
だけど、見慣れた姿がいつもよりきらきらして見える。
数人の子供たちに囲まれた視界がキョロキョロと動いて僕を映す。仕方ないな、と言わんばかりの表情で息を吐いた僕が近付いてきて、次の瞬間には視界が高くなる。
僕の背中を見ながら歩くと、いつの間にか階段までたどり着いていた。くるりと振り返った僕の目が見開かれて、そのあと緩やかに細められた。
『眼鏡、似合ってるよ』
(笑ってくれた、嬉しい)
『なんかさ、眼鏡って格好いいよね。……偉い人ってかんじ!』
(私を助けてくれた格好いい君に「格好いい」って言われるような人になりたいな)
『荷物、持つよ』
(持ってもらったら、私格好よくないよ)
『私、結構力持ちだよ?』
車道側を歩く僕の姿。
(今度は私が君を助けてあげたいの)
視界がひらりと動いて、僕はさっきと逆側にいた。少し困ったように笑う僕。
揺れる視界と白い息。その先には小さく僕が見える。
(また負けた。もう来てる。……うーん、こっち見てくれないかな)
顔を上げた僕が、何かに気付いたようにこっちを見る。そして、にこりと笑って手を振ってきた。
『あのね、私委員長に立候補しちゃった。……中学に上がったし、新しいことをしてみたくて!』
(偉くて格好いいなんて、委員長って一石二鳥な仕事だね)
『本当! キミならきっと出来るよ』
(君がそう言ってくれるなんて、百人力だね)
唐突に理解した。これはきっと彼女から見た世界。
目の前には眼鏡をかけた僕。ぼんやりとしか見えないけど、眉間に皺がよっているのが分かる。
(困ったことがあると、君って直ぐにそういう表情になるよね。でも、そんな他の人には分からないような表情を見せてくれる君が……)
視界の僕の顔がみるみる朱に染まる。例え見えなくても分かっただろうけど。頬が熱い。
僕は慌てて眼鏡を外すと彼女に返した。
眼鏡をかけた彼女は、僕を見て釣られたように赤面する。いや、待って。ちょっと見ないで。
ガタガタと机を蹴飛ばしながら距離をとった僕は、少しでも顔を隠そうと手で顔面を覆った。でも、耳も熱いからきっと無意味。眼鏡をかけた彼女は誤魔化せない。
あのね、本当の僕はキミが思うほど格好よくないよ。それでも、さっきのあれが僕の希望が見せた白昼夢でないなら。
……キミは、僕が思っている以上に僕のことを好き?
自分を勇気づけるように息を吸い込むと、僕は一番言いたいことを伝えるために口を開いた。
* * *
私には、幼なじみがいる。親どうしが友人で……。というやつ。
しかし、私と彼を繋ぐもう一つの関係に名前を付けるなら……。
私の特別。
END
どうもかっぱまきです。恋愛ものが書けないことに定評のあるかっぱまきです。以前恋愛ものを書こうとしてギャグに走ったかっぱまきです。大事なことなので2回言ってみました。
奥さん、かっぱまきが初めて完結させた恋愛ものですってよ!
すいません、落ち着きます。さっきから「恋愛」って単語を打つたびに少しずつダメージが蓄積してきたので黙ります。
騒いではみましたが、本編読んだ方は思ったことでしょう。そんな騒ぐほど恋愛してなくね? 内容ぺらっぺらじゃね? と。私の限界です、ゆるして……。
さて、気を取り直して本編についてです。もともと一つの話を別視点から見る、というのが好きなのでそこに焦点を当てた話にしてみました。結果、うっすらとしたファンタジー、いうならSF(少し不思議)って感じのストーリーになりました。これも私の話としては珍しいですね。基本がっつりファンタジーに突っ走った話になるので。
ここまで読んで下さりありがとうございました!