誇大印象
桑田孝夫が、わたしを新しい友人に紹介すると言う。
前田さんといい、わたしや桑田の住む場所からあるいて30分ほどのところにあるという。桑田はさっそく、先頭に立って歩きだした。
夜だったが、東京のど真ん中なので、商店街などは昼間より明るいくらいだった。途中までの道程は、ふだんからよく知っている区域だし、線路づたいに歩いていたのでどうということもなかった。いつもどおり、桑田ととりとめもないおしゃべりをしながら、急ぐでもなく、のんびりと歩いた。
それが、だんだんと口数が少なくなっていき、足取りまで重くなってくる。
あたりは次第に見慣れない風景へと移り変わり、街燈の数もまばらになってきた。
道のずっと先のほうを見れば、そこにはただ闇が広がるばかりで、人知れぬあやかしでも潜んでいるような気がしてならない。「百鬼夜行」そんな言葉が、どうしても頭から離れなくなってしまい、ほとほと困った。
わたしは、生来から臆病でしたから、いちど怖いと思いはじめたが最後、まだ見もしない魑魅魍魎どもの姿を、あれやこれやと、心に描いていく。
いよいよ明かりも少なくなり、足元さえおぼつかなくなる。民家もめったに見かけなくなり、気がつけばわたし達は、うっそうとした深い森に囚われていた。
行けども、まるで迷宮のように出口が見当たらない。道もなく、獣さえ通らないような薮の中、もつれる足を引きずるようにして歩き続けた。
ただ幸いだったのは、葉陰から漏れる月の光が、うっすらとあたりを照らし出していることだった。
わたしと桑田は、目をこらしながら森を進む。何が潜んでいる変らない気味の悪い森など、いっときたりともじっとしていたくなかったのだ。
さまよい続けてどれくらい経ったのだろう。唐突に森が終わり、代わってごつごつとした岩ばかりの荒野が現れた。
「ここだ、ここ……」桑田の促すほうを見れば、腰ほどの高さの道祖神がまつられてあった。「この目印を右に進めば、もう、すぐそこだ」
にわかに元気づいたわたし達は、これまでの疲れも苦労も忘れて、軽快に歩きだす。
先に進むにつれ、明らかに人の手になる建造物や石畳、水路とおぼしき溝などが見受けられるようになってきた。
現地人をモデルにしたと思われる、奇妙な顔だちの等身大の石像も、何体か見かけた。そして、最奥には崩れかけた石の塀。重く閉ざされた扉……。
「開けるぞ」そう桑田が言った。わたしも覚悟を決める。
巨大な石臼を碾けばきっとこんな音がするに違いない、そう、わたしは確信したものでである。
石の扉は、擦れ合うたびに塵を漂わせ、かけらを落としながら、ゆっくりと開いていった。
中は6畳ほどの石室で、どうやら二階へと続く石段もあった。その薄暗い部屋の奧から、およそこれまでに聞いたことのない奇怪な声が響いてきた。
「よくぞここまでたどり着けたものだ。だが、聞け。わしの千年もの永き眠りを妨げる者どもよ。ここから無事戻れるとは思うな。さあ、選ぶがいい。地獄の火山の溶岩に身を焼かれるか、暗黒の帝王の吐息に魂まで凍りつくか」
ゆっくりと私たちの前に姿を現したその人物こそ、桑田の紹介してくれた前田さんだった……。
第一印象というものはつくづくあてにならないと思うんです。
たとえば、思い出してみてください。いま身近にいる、もっとも仲のよい友達のことを。
その人とは初めからうまが合いましたか?
「もちろん! 出会ったときから、意気投合していたさっ」
そういう人もいるでしょうね、きっと。
「最初はひどく、感じの悪い奴だと思っていたよ」
そういう人もいるでしょうね、きっと。
いずれにしても、そういった出会いののち、わたしたちはつき合いを続け、いつしか「親友」となったのです。
親友となった今でも、当時を振り返って、どうしてあんな印象を持ったのだろうとか、いったい、あの頃と今とでは、どちらが本当の彼なのだろうか、などと考えたりします。
ほかにも例をあげてみたいと思います。
わたしはよく、ロール・プレイング・ゲームというものをします。
「ドラゴン・クエスト」とか「ファイナル・ファンタジー」がそういったジャンルのゲームです。空想上の世界を、主人公となるキャラクターに自分を投影させて、数々の冒険をしていく……そんな内容です。
ゲームを始めて間もない頃は、新世界にとまどい、ひどく違和感を感じます。引っ越してきたばかりの街を散策するようなものですね。
不思議なことに、その世界での生活に慣れてくると、ごくありふれた日常に思えてくるのです。どこの街に行けばなにが売っているとか、あのキャラに会うにはここへ行けばいい、などなどです。
ゲームの中の物語が終盤にさしかかる頃には、まるで、自分は初めからその世界で生まれ育ったかのような錯覚さえ起こします。来たばかりで、右も左もわからず、いまではザコでしかないモンスターにさえ苦戦していたあの頃が、なんとも懐かしくてならないのです。こんなに見慣れた風景が、かつては異国と思えたことが、自分ながら、どうしても信じられないのです。
第一印象とその後の心象風景とがこうもかけ離れている、そんなことを例にあげて言いたかったのです。しかも、この程度なら誰にでも経験があり、べつだん、害にもならない、そんなこともついでにお伝えしたかったのです。
わたしには、妙な癖があります。
なんであれ、第一印象をおおげさにかき回してしまうんです。
わたしは、桑田に連れられて、前田さんのアパートに初めて行ったときのことを、まず、紹介しました。舞台は東京の真っ只中です。東京といいましても案外に広く、もっとも西に位置する多摩地方なら、文中にあるような森も残っていることでしょうね。
でも、わたし達が住んでいたのは23区内でしたから、森どころか木立もほとんど見当たらなかったんです。まして太古に作られたような遺跡など、博物館にでも行かなくては目にすることはないでしょう。
だからと言って、わたしがうそ偽りを書き立てたわけではありません。それこそがわたしの「第一印象」だったのです。目を閉じて思い返せば、いまでも、二人して歩いた不思議な風景が浮かんできます。
その後まもなく、わたしは一人で前田さんを訪問することになりましたけれど、倍の時間をかけて探したにもかかわらず、ついに行き着くことができなかったのです。わたし自身が作り出した迷宮に、自ら陥ってしまったからでした。
再び、桑田に連れられて同じ道を歩いてみれば、森だと思っていた場所はマンモス団地の敷地に植えられたスズカケノキだったし、遺跡はただのブロック塀だの人家の飛び石なのでした。
わたし達が前田さんの家にたどり着くと、
「あ、どうも……」と眠そうな顔をしながら、部屋の奥から現れました。そういえば、このあいだのときも眠そうだった、今になって、そう思い出されたのでした。
「コーヒーでいい? ホットかな、それともアイスにする?」今日も前田さんはわたしたちに飲み物をすすめてくれました。
「このあいだはホットだったから、今日はアイスがいいです」桑田は屈託なく言いました。わたしもこの日は「暗黒の帝王の吐息に魂まで凍りつく」ような、アイス・コーヒーを頼んだのでした。
わたしは、前回、訪れたときの印象をありのまま話し、そんなわけでこの前は約束通りに伺えなかったことを言い訳しました。
一同は大いに笑い転げ、前田さんなど、発作を起こして倒れるのではないかと心配するほどでした。
「ぼくもここに来てしばらくになるけどね」と前田さん。「いまだに、そんな秘境はお目にかかったことがないね」
桑田まで、
「こんな東京の真ん中にそんな遺跡があったら、小学校の教科書に載っていてもおかしくないと思うぞ」
そんなわけで、わたしは大いに赤面したのです。
まあ、前田さんのアパートの周辺はたしかに、ごくありふれた住宅地なのでしょうけれど、わたしに言わせてもらうなら……。
「でも、このあたりって、なんとなくそんな雰囲気を持っていない? 目を閉じて連れてこられたら、誰だってきっと、同じ『第一印象』を持ったに違いないよ」
桑田も前田さんも少しのあいだ考える顔をしていました。
やがて桑田が言うのでした。
「次からは、ちゃんと目を開けたまま連れてくることにするよ」
またも、みんなして大笑いをしたものです。
「第一印象というのは、本当におおげさなものだよね」前田さんはうなづきながら言いました。
「こいつの場合は誇大妄想に近いかもしれないぞ」と桑田。
「じゃあ、『誇大印象』というのはどうだろね。むぅにぃ君はきっと、誇大印象主義者なんだ」前田さんはそう言って、わたしを結論づけたのでした。
それ以来、わたしもあえて、自分のそんな妙な癖を直そうとはせずに、むしろ、特質だと考えるようになったのです。