まったく、お母さんか君は?
曇り空が目立ち始めた昼休み、九龍は昼食を採るべく窓際に位置する自分の机の上に弁当の風呂敷を広げる。
「さてさて、お待ちかねのお昼ご飯だ…」
数十分程前から既に九龍は自身の腹の虫が騒ぎ立てており、彼は今まさに待ちわびていた瞬間に立ち会っている。
九龍は軽い深呼吸をした後、風呂敷からあらわになった弁当箱の蓋をゆっくりと、まるで赤ん坊を抱き上げるような所作で開けようとする。
「おーっすクロウ~!お昼一緒に食べよう~」
背後から不意に声をかけられたために、九龍の心臓が思いきり跳ね、危うく待ち望んでいた昼御飯を床に落としかける。
咄嗟にキャッチしたため、彼の弁当箱の中身は床へと溢れ落ちることはなかった。九龍は怒りを瞳にたぎらせ声のした方へ振り向く。
九龍の目に映ったのは、腰まで伸びた浅葱色の髪に前髪をきっちりと揃え、首から下げた紫水晶のペンダントが特徴的な、彼より一回りは小柄な少女が限界まで膨らんだコンビニエンスストアのレジ袋を抱えていた。
彼は少女に向けて少しばかり怒りが籠った口調で話す。
「何をするミシェル。危うく床にぶちまけたらどう責任を取ってくれた?おう?」
「おお怖っ。ごめんごめん。食い物の恨みは恐ろしいね」
ミシェルと呼ばれた少女は九龍の席にある周辺の机と椅子を適当に身繕い、彼の席に接触させる。
「ったく、ひどいなクロウは。ボクがコンビニにひとっ走りしてるうちにお昼済ませようなんてさ」
ミシェルはややぶすりとした表情で自分の憤りのアピールしつつ、膨れ上がったレジ袋をひっくり返し机の上に落としていく。その袋の内容を見た九龍は眉をひそめる。
「…おい、それ全部パンか?栄養偏るぞ」
ミシェルによって机の上に広げられたそれらは、飲み物であるカルピスウォーターを除き、菓子パンや惣菜パンなどの多種多様なパンのみで統一されていた。
彼女はその中のパンのひとつ─クロワッサンの入ったビニール袋を手に取り、切り口開けて自身の口の中へと運ぶ。
「ふるふぁいにゃあ~、ふゅひにゃんばふぁからうぃいわうぇふょ?」
「食いながら喋んな行儀悪い。あといただきますって言ってから食え」
ミシェルはリスのようにクロワッサンを一口で頬張り、もごもごと咀嚼した後に飲み込んでから言い直す。
「ごくん…。うるさいな。好きなんだからいいでしょ?細かいんだよクロウは。まったく、お母さんか君は?」
「細かい雑の問題じゃないんだよ。マナーは守ってナンボでしょうが。お前が十三歳で飛び級の高校生だからといってガキ扱いしてるわけじゃないの。若いからって……」
「あー、ハイハイ。わかりましたよおかーさん。いただいてます。ホラ、説教はもういいでしょ?早くそっちも弁当食べなよ」
ミシェルのあからさまに適当な態度に九龍は小さく溜め息をつくものの、教室に備えつけられた時計の時刻を見ると、少しばかり急いで弁当箱を広げる。
四角い二段構成の弁当箱の中身は、下の段には主食であるサンドイッチが綺麗に敷き詰められていた。
対して上の段にはピーマンの肉詰めにプチトマトのサラダ、きんぴらごぼうなどのおかずが詰め込まれていた。先程床へと落としかけた為か、具の配置が傾いてはいるものの元々の盛り付け自体は致命的に崩れてはいない。
「わ~、美味しそう。クロウ、このソース焼きそばパンの半分を進呈するからおかずくれる?」
そう言い、焼きそばパンを半分にちぎり差し出すミシェル。九龍はどうするか考えを巡らせていると、不意に窓から見える中庭に、彼の見覚えがある影を見つける。
「あ、琥珀さんだ。ひとり…なのか?」
その呟きを聞いていたミシェルは、外を見つめる彼の目線を追いその対象を見つけるや否や、少々下衆な勘繰りをする。
「はっはぁ~ん?カノジョですかぁクロウくぅん?」
「はぁ?バカじゃねーの?違うよ。今日の朝ランニングしてた時に初めて会っただけだ。変なこと考えてんじゃないよ」
素のトーンで返事する九龍に、ミシェルは少しだけつまらなそうな様子になる。再び外を気にし始めた彼の手元の弁当に、彼女はすばやく手を伸ばす。
「隙有り!肉いただきぃ!」
「あ、こら!かってに…ってピーマンの肉詰めからピーマン取んな!そんな暴挙許されないぞ!」
「うるさいクロウ!こんなん生ハムメロンの組み合わせ並に異物感漂うんだよ!ピーマンは死ね!」
「謝れ!生ハムメロン作ってる全国のシェフとピーマンに謝れ!」
醜い争いを二人が繰り広げるなか、昼休みが残り十分であることを告げるチャイムが流れる。