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ヤオヨロズ──中道録  作者: 隼理史幸
信頼という木と、恨みという根
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ごめん。やっぱり物忘れがひどいわ。

 ミシェル・M・雨傘は昼の教室を見回す。外敵を察知する自分のセンサーに反応がないことを確認してから、自分とは違うクラスに足を踏み入れる。


「おいっすクロウ~! 昼飯食おう?」


 その言葉と共に乗り込むと、ふと違和感を覚える。その理由を探るべく教室をぐるりと見回すことで判明する。


 普段昼休みを共に過ごすことの多い、肝心の対象がどこにもいないことに気が付くと、その理由が見当たらず首を傾げる。


「?? おっかしいな。基本的に自分の席からはあまり動かないクロウが今日は珍しくいないとは?」


 ミシェルが不思議がっていると、そこへつい先程までこのクラスで教鞭を振るっていた、茶花教諭がいそいそとした足取りで教室へ駆け入る。


「おっと、あったあった。教卓の下に置きっぱなしにしてたか…」


 自分が数分前まで立っていた場所を物色し、目当てとおぼしき紙の束を手に取る茶花教諭を見て「丁度いい」と思い明るく声を掛ける。


「おっす、サバちゃんセンセ~。何してるの?」

「こんにちは。……雨傘、少し軽過ぎるぞ? あまりグチグチ言う気はないが、下手でもいいから敬語使うくらいできないか?」

「生憎、これが性分だから仕方ないッスよ。」


 態度を改める気がないとすっぱり返事され、「まったく…」と辟易気味に緋色の髪をかく。彼女の小脇に抱える紙の束を見つけると、ミシェルはそれを指して訊く。


「どうしたんです。それ、忘れ物?」

「ええ。我ながら物忘れがひどいったらない。これじゃ年増と言われても言い返せないわ。」

「そんな~、まだ二十代でしょ? そういうのは顔にシワのひとつでも作ってから言いなよ?」

「……気休めでもありがたいわ。」


 そういって他愛のない話で盛り上がっていると、ふいに「そういえば」とミシェルは今座る者べき者がいない、壁側の席を指して訪ねる。


「センセ、聞きたいんだけどさ。クロウ…青柳九龍はどこ行ったか知らない?」

「青柳? わたしと入れ違いで、職員室に来てたよ。なんかどこかのカギを借りてたみたいだけど?」


 昼休みにわざわざ何をするつもりなのか、と頭を捻るミシェル。彼との付き合いはそれなりに長いつもりであった彼女からすれば、昼休み中の行動はだいたい察しがついていた。


 しかし、この行動パターンは始めてのものであり、それゆえ何が目的なのか検討をつけることが難しかった。


 思案に耽っていると、茶花教諭はぽんと手を叩き、何かを思い出したような素振りをする。


「ああ。青柳で思い出したんだけど。彼から言伝があったのを忘れてたわ。」


 ズルッ! と気が抜けたあまりその場にコケかけるミシェル。「何で教えてくれなかったのか」という表情でまざまざと茶花教諭側の顔を見つめてくる彼女に、やや申し訳なさげに答える。


「ごめん。やっぱり物忘れがひどいわ。……別棟のほうの二階に来てくれ、だって。ああ、昼飯持参で。雨傘はいつも通り教室に来るだろうから伝えといてください、ってさ。」


 ?? 頭の上に疑問符を浮かべ、ミシェルは首を捻る。九龍が来るよう指示した別棟は音楽室や科学実験室など、多目的な設備の教室が集中している。


 部活動には所属しているならばそこで昼食を摂る、と汲み取れるが、生憎九龍はこの高校に入学してから帰宅部を貫いている。そのような場所に何の用があるのか、やはり検討がつかない様子であった。


 とはいえ、男子からのお誘いを無下にする気はないと、やや億劫がりながら教室を後にする。退室する途中、背後から「今度脳トレでも始めようかな…?」と物忘れの対策を真剣に考える茶花教諭の唸り声が彼女の耳に届いていた。


 ミシェルが教室を去ってすぐに、忘れ物のプリントの束…回収した数学の小テスト…を抱えて職員室へ戻る茶花教諭。一枚一枚は軽いが、一つのクラス分ともなればそれなりの重さとなる。


 クラスの誰かに手伝わせるほうが楽だろう、とふと思い至るも、自分の物忘れは自分の責任だと、その考えを浮かべた自分を戒める。


 とはいえ、これらすべてを採点する必要があると想像しただけで、やや面倒に思う気持ちが存在することも確かであった。


「あーあ。こういう小さいドジ、なかなか抜けないものね……。」


 自嘲気味に呟く茶花教諭…本名、茶花多馬未(たまみ)…。彼女は癖として定期的に『小さなドジを踏む』。その踏むドジも、せいぜい『まあいいか』と済まされる程度のレベルに留まっている。


 このドジも比較的いつものことであり、またいつもの病気が再発したかと肩をすくめていると、ふいに背中に軽い衝撃が起こる。


「やっべっ、先生ー、ゴメンねー!」


 ……廊下を走っていた女子生徒数人のうち一人に背後からぶつかり、転びはしなかったものの、抱えていたプリントは床にぶちまけられる。


「こら! 廊下走るな! 危ないでしょうが!」

「ゴメーン! 今急いでるから!」

「それよりマジ? さっき校門の前にあの『マイマイ』が居たって?」

「マジだって! 今からなら間に合うって!」


 ───茶花教諭の注意を聞いているのかいないのか、軽く頭を下げてから走る動作から早歩きに移行して、階段をあわただしく下っていく生徒たち。


「……ったく。それにしても、『マイマイ』がねぇ。こんなところに都合よくウロウロしてるかね、普通。」


 遠巻きに大きな声で興奮気味に話す女子生徒らを眺めつつ、散らばったプリントを拾い上げていく。そこへ茶花教諭とは違う、彼女よりは華奢な手が回収を手伝う。


「ああ、悪いね」と軽い感謝を述べつつ、すべての小テストを拾い上げてから、差し出された猫の手の正体を拝む。


「君は、確か幕下くんだね? 手伝ってくれてありがとうね。」

「は、はい。お気遣いなく……。」


 少し照れた様子で頬をかく幕下少年にあらためて礼を述べる。彼と茶花教諭は、今より少し前に少々個人的に言葉を交わしていた。


「顔の怪我、もう平気みたい?」

「……ええ、まぁおかげさまで。」


 なら良かった、と言いつつ職員室へ歩を進めようとする茶花教諭。そんな彼女に対して、話の続きをする訳でもなく、しかしわざと聞こえるように言い放つ。


「……ひどいですよね。ぶつかっといてアレなんて。」


 自分を慮っての言葉か、と把握すると教諭は立ち止まり返事をする。


「まあ、言いたいことはあるけど。あんなのでいちいちガミガミ言うのもよくないでしょ?」

「……だからって、あれはないですよ。彼女らが話していた『マイマイ』というのは、今若者の間で人気の、駆け出しのアイドルのことでしょ? そんな天上人が、都合よく僕らの前に顔を出す訳ないじゃないか。」

「まあ、そりゃそうだろうけど。」

「それに、あの手の輩は流行ってるから追っかけてるだけなんです。どうせ、次の流行りのアイドルやら俳優やらが現れれば、すぐそっちに移るんですよ。グループの話題作り程度なんですよなんなの。そんな下らないことのために他の人の迷惑を掛けて良いなんて────」


 ……自身の熱が入った弁に相手が驚いていることに気がついて、ハッとする幕下。慌てて二歩ほど後退り、訂正のために頭を下げる。


「………あ、えっと、ごめんなさい、先生。いろいろ、喋りすぎて。」

「……うん、気にしなくていいわ。プリント、拾うの手伝ってくれてありがとう。」


 幕下少年に手を振ってお礼をすると、茶花教諭は職員室に戻らんと歩みを再開する。今度は落とさないよう、脇を締めて抱き抱える形でプリントの束を運ぶのだった。


 その甲斐あってか、回収した小テストはただの一枚もこぼれ落ちることなく無事職員室のデスクに置かれた。しかし、力を強く入れすぎたようで、端が少々くしゃくしゃになってしまったことに、また若干の後悔を覚えるのであった。

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