プロローグ 其の三
「ん…」
幕下少年が目を覚ますと、右側の視界がひどく悪かった。彼はそれがひどく腫れているのだと気づくことに時間はかからなかった。そのあたりを中心に彼の顔じゅうにズキリとした痛みが染み渡っていた。
「いっつ…!あいつら、人をなんだと思ってるんだ…」
記憶に残る苛立ちとともに幕下少年が最初に目にしたのは、白い天井だった。次に辺りを見回すと、そこは周りが清潔感のある白いカーテンに覆われたベッドの上だったことに気がつく。
「ここは、保健室?あれ、さっきは屋上にいたハズ…」
幕下少年が状況を掴みかねていると、唐突に白いカーテンが開かれる。そこから白衣を身に纏う、外側にハネたぼさぼさのオレンジ色の髪に青いメッシュの二十代の女性が現れる。
「や、こんばんは幕下くん。ひっどい顔ね本当に」
「…茶花先生。僕、なんで保健室に?」
幕下少年は茶花と呼ぶ教諭に訊く。すると彼女はきょとんとした表情をする。少年にはそれが今一つ理解しかねていた。
「あらやだ、覚えてない?あんたと同じく二年の男子生徒がズタボロのあんた担いでここに運んできたのよ。おかげで残業よ? 勘弁してほしいわ」
「男子生徒…ですか?」
幕下少年は記憶のなかを探るような素振りを見せる。その反応に茶花教諭は意外そうな態度をとる。
「え? あいつ、知り合いとかじゃないの?」
「…え、ええ。僕、三人にカツアゲされてたんですよ?そこから僕を引っ張って保健室に担ぎ込むなんて、そんなヒーローみたいな人知り合いにいませんよ?」
「ふむふむ、つまり見ず知らずの君を素行の悪い生徒三人から救いここに運んできたと。大したヤツねあの小僧」
感心する茶花教諭をよそに、続けて幕下少年は訊く。
「で、僕を担ぎ込んできたその人って…」
「ん、ああ。二年二組、青柳九龍ってヤツ。肌が弱いとかで夏場でも長袖だから目立つでしょ?」
「…ああ、そういえばいつも長袖で校内を歩いている生徒がいるという話を小耳に挟んだ覚えがあるよ。僕は隣の三組だったから直接見たことはなかったなぁ」
ふむふむ、と相槌を打つ素振りの幕下少年。それをよそに茶花教諭は右腕に巻かれた腕時計に目をやる。
「…ってもう六時半?あー、もう歩ける?校門までならサービスで肩貸すけど?」
「あっ、大丈夫です。主だった怪我は顔だけなんで」
そう言い幕下少年は華奢な腕でマッスルポーズをとり、自分は元気であるというアピールをする。茶花教諭はそれを見てクスリと頬笑む。
「っはは、全然強くなさそう。ま、いいわ。鍵掛けるから出ましょ」
茶花教諭は左手の指でくるくるとペンのように鍵を回しながら言う。退室を促された幕下少年は彼女と同じく保健室を跡にする。
(しっかし、青柳九龍くん…か。またどこかで会えるといいな)
ガチャリ、と保健室の施錠される音を聞きながら幕下少年はまだ顔の知らない少年のことを考えていた。