プロローグ 其の一
東京の、とある学園の敷地内。既に太陽が沈み、辺りを覆い尽くす暗闇の中を蝉がまばらに鳴き声を響かせ、僅かに欠けた月がをぼんやりと照らす。
「さあ、パーティーの準備はおおむね整った。あとはゲストを呼ぶだけだ」
学生服を纏うひとつの影が、自身の中から沸き出る昂りから出る声を漏れ出す。
その影は、まるで無邪気な子供のように興奮を隠しきれず口元をいびつな形に歪ませ夜天を見上げる。その瞳には、約一月のうちにふたたび真円を描く月が映されていた。
「ああ、綺麗な月だ。美しい。みんな寝静まる頃なだけに、残念だ」
影は笑う。きらびやかに佇む月に向けて。
「さあ、子供達。パーティーの開催までもう少しだ。甘いお菓子も美味しい紅茶も無いけれど、精一杯もてなそう! ははははははははっ!」
狂気にも似た感情の混じった、甲高い笑い声が暗い世界に木霊する。
キーン、コーン!と、学校の鐘が鳴る。校舎のほぼ中央に備え付けられた時計は午後五時半を回っていた。
運動部も既にいくらか後片付けを始めている最中、その光景を見下ろすことができる校舎の屋上に幾つもの人影があった。
各々学生服を着崩している目付きの悪い三人の少年達が、ミントグリーンの髪を一つ結びにしたやや小柄な同じ学校の少年一人を囲っている。
「やあ、幕下塀夜くん?約束通りおこづかいはちゃーんと持ってきたんだろうね?」
威圧的な態度で一際体格のいいリーダー格の少年は幕下と呼ばれた少年に詰め寄る。
「も、持ってない、よ。だ、だいたい君ら二週間前も同じことを言っていたじゃないか…。お、お金ならじ、自分で、か、稼ぎなよっ!」
幕下少年はおどおどとした口調ながらも柄の悪い少年達の目を見てはっきりと反論する。
それを聞いたリーダー格の少年は、ギリリと歯軋りをした後、他の二人に手で合図を送る。合図を受けた少年二人は幕下少年の左右に回り込み、彼の両腕を押さえつけ拘束する。
「っ!は、離してよ!」
幕下少年は手足をじたばたと動かし振りほどこうとするも、力が足らず二人を押しのけることは叶わなかった。
リーダー格の少年は顔に青筋を立て、関節をパキパキと鳴らしながら、一歩一歩確実に距離を詰める。そして、
「なめてんじゃねえぞザコがぁ!」
幕下少年のみぞおちに右膝がめり込む。刹那、殴られた彼の顔が歪みだす。
「がっ…!ぐぁっ…」
幕下少年が痛みに悶える間もなく、左拳が彼の顔面を容赦なく殴り付ける。その次に右拳、そしてまた左、と、さながらサンドバッグのようにリズミカルに断末魔が響き、幕ノ内少年はなすがままに殴り続けられる。
「ヴッ!ぐぁ!あがっ…!がぐっ…」
殴られた箇所から強烈な痛みが彼を襲い、彼の脳内が痛覚に支配されていく。一分間程の連続しての殴打により、次第に押さえつけられている両腕から力が抜け、糸が切れた人形のようにぐったりとして動けなくなる。
「ふーっ、いい汗かいた。で、幕下くん。考え直してくれたかな?」
リーダー格の少年は幕下少年の髪を乱雑に掴み、自分の顔と向き合わせる。幕下少年は殴られ過ぎたために右の目を腫れでふさがれ、無言のままもう片方の虚ろな瞳で彼の悪意で歪んだ笑顔を映していた。
「おいおい、もう口も利けねえか?っひゃははははは!情けねえなぁ!」
幕下少年の内出血だらけの顔を見て、柄の悪い少年三人は非常に意地の悪い歪んだ笑みを浮かべる。
幕下少年の鼻の両穴から、血液がだらだらと唇を通り大量に零れ落ちる。彼は口の中に充満する鉄の味をただただ噛みしめていた。
ふいに、リーダー格の少年は自身の足下に目を向ける。幕下少年の流した鼻血が自分の上履きに滴り落ちていたのだ。
白い上履きに茶色い斑点が染み込むのを見届けると、リーダー格の少年はまたしても青筋を立てる。
「オイコラ、テメーの血で俺の上履き汚れちゃったよ。どうしてくれんの?」
威圧するリーダー格の少年に便乗し、残り二人の少年達も歪んだ表情で言う。
「ハハッ、こりゃ弁償だな」
「そーだそーだ。もちろんおこづかいと別払いでな」
「そういうことだ。ってなわけで…」
リーダー格の少年はすでにぐったりとしている幕下少年のポケットへ、彼を掴む腕のもう片方を伸ばす。
そこへ、ポケットに触れようとする手を遮ろうと、幕下少年は弱々しく伸ばされた手を掴む。
「…?幕下くん?この手は何かな?」
リーダー格の少年は問うが、幕下少年は何も言わずポケットへと伸ばされた手を払おうとする。その行動の直後、彼を掴む少年の怒りが爆発する。
「この手はなんだって訊いてんだクソが!」
少年は激情し、幕下少年の髪を掴んだまま、彼の頭を屋上の金網に何度も乱暴に叩きつける。
「ぁ…っ」
掠れた声が漏れた後、完全に幕下少年の意識は途絶えた。
「おうおう、もう終わりか?ザコがイキがるからだ痛い目に遭うんだよ。ヒャハハハハハッ!!」
その様を見た三人は、ふたたび歪んだ笑い声を上げるのだった。