第二幕 第二場
「……究極の透明人間。最上級のステルス機能」
俺が今まで思い描いていた透明人間とはレベルが違う。これはとんでもない力だ。
「でも気をつけてねシンゴ君。あなたはまだその力を制御できていない。今はまだ物質をすり抜けるだけしか出来ない」
委員長はそう言うと、手に持っていた黒い玉を俺へと放り投げる。黒い玉は俺の体をすり抜けて、背後にある壁へとぶつかってしまった。
「シンゴ君。あなたは力を制御し、物質に触れられるように、ならなければならない。それができないかぎり、この部屋からは出られないわ」
「出られない? どうしてだよ?」
委員長は俺を無視し、ユウスケに顔を向ける。
「ユウスケ君。ちゃんとシンゴ君に説明していないの?」
「一応シンゴには、この部屋の外は危険だって教えたよ」山中ユウスケは答える。
「それだけ?」
「うん、それだけ」
「まったくあなたって人は……」
委員長はやれやれといった様子でため息をついた。
「もしもシンゴ君がこの部屋から逃げ出していたら、大変な事になっているわよ」
「大丈夫だって」ユウスケは気楽な口調で言った。「どっちみちここに閉じ込められて出られなかったし、っていうか僕も出られなくなって困ってたんだよね」
「あいかわらずの楽天主義者ね。私が来なかったらどうするつもりだったのよ」
ユウスケはにっこりと笑う。
「僕はミヨが来てくれると信じてたよ。そしてその通りにミヨは来てくれた」
「今後はそんな甘い考えはやめてちょうだいね。計画に支障がでるから」
「ああ、わかったよ」
「おい、俺の事を無視するなよ」この二人は俺を無視するのが趣味らしい。
「ごめんシンゴ」ユウスケが謝った。「見えないから、ついつい忘れてた」
「ごめんなさいシンゴ君」続いて委員長も謝った。「普段から存在感がないから忘れてしまったわ」
ひどい! さりげなくえげつない事を言う女だ。委員長ってこんな性格だっけ? もっと真面目で優等生なイメージがあったのだが。こっちが本性なんだろうか……。
俺は気を取り直すべく咳払いをする。
「どうして俺はこの奇妙な部屋から出られないんだ?」そこで脳裏に最悪のシナリオが過る。「まさか委員長もこの部屋に閉じ込められてしまった、っていうオチじゃないだろうな」
「私はそんなヘマしないわよ。この部屋の鍵はちゃんと持ってきている」
委員長は俺の背後にある黒い玉を指差した。
「あれがこの部屋の鍵よ」
俺は振り返って黒い玉を見つめると、ほっと胸をなで下ろした。
「よかった。委員長がユウスケみたいにマヌケじゃなくて」
「ひどいことを言うねシンゴ」
ユウスケが不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「自分はあんなマヌケなことをしておいて、よくそのセリフが言えるね」
「俺がマヌケ?」
「ユウスケ君しゃべりすぎよ」委員長が制止する。
「ちょっと待てよ。それはどういうことだよ?」
「ああ、そうだったわねシンゴ君。あなたの質問はどうしてこの部屋から自分が出てはいけないのか、そんな感じの内容だったわよね」
委員長が俺の質問をはぐらかせた。
「ああ、そうだけど。その前にどうして俺がマヌケ呼ばわりされな——」
「シンゴ君。質問は一つにしてちょうだい。あなたが訊きたいのは、この部屋から出られない理由、それとも自分がマヌケ呼ばわりにされた些細な理由。この二つのどっちなのかしら?」
「両方」
「ダメよ男らしくない。一つにしてちょうだいと言ったはずよ」
「どうしてもダメなのか?」
「ダメよ。次同じような事を訊いたら、もう何も答えてあげないわよ。それでもいいのかしら?」
委員長が高圧的な態度で眼鏡をくいっと持ち上げた。
「シンゴ君、そうなったらあなたは二度とこの部屋から出られないかもね」そこで口元をにやりと歪める。「あなたが今知らなければならないのは、自分がマヌケ呼ばわりされた些細なことではなく、いま自分がどうしてこの部屋から出てはいけないか、ということではなくて?」
それは明らかな脅しだった。「……それじゃあ、どうしてこの部屋から出てはいけないのか教えてくれよ」
「ええ、よろこんで教えるわ」委員長は微笑んだ。「今のあなたの体は『トテモスケール』という物質になっている」
「……トテモスケール」なんて安易なネーミングだ。「その呼び名本当か?」
「本当は違うけど、この国の言葉に翻訳するには難しすぎるのよ。そこは気にしないでちょうだい」
ということは、俺が透明人間になった技術は他国のものなのだろうか? せっかく技術大国日本と喜んでいたのに。それにしてもこんな超科学力、いったいどこの技術だ?
「話を続けるわね。あなたの体は透過率が限りなく百パーセントに近いせいで、もしそのまま地面に立ってしまったら、重力に引っ張られてそのまま地面をすりぬけて行ってしまうわ。最終的には地球の核にたどり着き、そこから出られなくなってしまう」
俺はおもわず吹き出してしまった。
「おいおい委員長。いくらなんでもそれは嘘だろ。だって俺はここに、こうして存在しているんだぜ」
委員長は床を軽く叩いた。
「この部屋は『トテモスケナイ』という物質で出来ていて、どんな物質であろうとも透過する事は不可能。たとえトテモスケールであろうともね」
……トテモスケナイ。またしても安易なネーミングだ。もっとましな呼び名は思いつかなかったのか。
「このトテモスケナイのおかげで、あなたは地球の核へと落ちる事なく、この部屋にとどまることができる。だからこそあなたはこの部屋で透明人間になる実験を受けた。思い出せるかしらその事を」
「俺がこの部屋で」
いったい何度目だろう? 俺は見飽きた部屋を見回しながら、透明人間になるさいに受けたであろう実験を思い浮かべてみる。
「……悪いが思い出せない」
「そう、残念だわ。まさかここまで記憶に喪失があるなんて……」
「なあ、委員長」
「なにかしら?」
「このままだと俺は、一生この部屋から出られないんじゃないのか?」
「そうよ」にべもなく言ってのけた。
「それは困る! 俺にはやらなきゃいけないことが——」そこまで言いかけた時、脳裏にノイズが走る。「——やらなきゃいけないことが、あるんだったような……」
「何か思い出したの?」委員長が俺の顔を覗き込んでくる。
俺はこめかみを撫でさすりながら必死に思い出そうとする。先ほど頭の中に浮かんだ何かを探し求めて。「……あっ!」
「記憶を思い出せたのかいシンゴ」ユウスケが問いかけてきた。
「いや、そうじゃない」
俺は自分の両の手のひらを見つめると、それを重ね合わせた。手のひらはお互いにすりぬけていくことなく、ぴたりと重なり合っている。続けて俺は両手を組み、それを握りしめてみると、その力強い感触を感じる事が出来た。
「俺の体は透けるはずなのに、俺の体同士だと透けないぞ」自分の体のあっちこっちを触ってその感触を確かめる。「これってそういうものなのか?」
「いい質問ねシンゴ君」委員長が言った。「トテモスケール同士ではお互いにすり抜けていく心配無用よ」
「そうなのか。便利だな」
「それだけじゃないわよ」委員長はほこらしげな顔つきになる。「トテモスケールは訓練しだいで自由にその透過率を変える事が出来るの。つまりは物質をすり抜けるだけではなく、地に足をつけて歩く事も出来るし、人に触れる事も出来る。そうなってようやくあなたは一人前の透明人間になれるのよ」
「そいつはすごい」俺は自分に秘められた力に想いを馳せ、胸を躍らせた。「俺はとてつもない力を手に入れてしまった。究極の透明人間という力を!」
「シンゴ、わかっていると思うけど悪用したらダメだからね」ユウスケが釘を刺す。「女子の裸を見ようとしたり、ましてや触ったりなんかは御法度だよ」
「そんなことぐらいわかっているよ。同じ事を何度も言うなよ」
「なにそれ」委員長が顔をしかめた。「まさかシンゴ君、あなたそんな淫らな事をしようとしていたの?」
「違う!」俺はあわてて否定する。「そんなことは絶対にしない! 透明人間だからって女子の裸を見たりさわったりなんかしない。それにまださわれないからね俺は」
「……それはいい考えだわ」委員長は思案気な表情で間を置いた。「シンゴ君、私の胸をさわって」
「へ?」
「いいから私の胸をさわりなさい」
「えっ! ええ!」