第二幕 第一場
俺は出口を探し求めてこの真っ白な部屋を探り回る。ルービックキューブのような部屋の中の壁や床を手当たり次第叩いてみる。
その音に反応して山中ユウスケが俺の名前を呼んで、あたりを探るようにして近づいてくる。まるでもらわれてきたばかりの子犬のようだ。
俺が愛情に飢えた子犬をほっといて部屋の探索していると、不意に背後から空気の抜けるような音が聞こえた。
この音には聞き覚えがある。それはユウスケが天井から現れる前に、この部屋を構成する天井の正方形がせり上がった時の音だ!
俺は期待に胸を膨らませて振り返った。するとそこにはいるはずのない人物、同じクラスメイトの女子であり学級委員長でもある松本ミヨが立っていた。
彼女はブレザーの制服姿に眼鏡をかけて、細眉の上に水平に切りそろえられた髪をいじりながら、むすっとした表情を浮かべている。なにやら不機嫌そうで、近寄りがたいオーラを発していた。
「委員長……」俺は委員長をまじまじと見つめる。
思わぬ闖入者に驚きもしたが、俺を真に驚かせたのは委員長の背後にあった。
その背後には壁を構成しているはずの十六の正方形のうち、床に面する中央の二つの正方形とその上にある二つの正方形が、まるで両開きの扉のように開かれていた。そしてその扉の向こうには何もない虚無があった。そうとしか思えないほどの、途方もない暗闇が広がっている。
俺が驚き入っていると、正方形の扉が自動で動きだした。
「あっ、ちょっと」そう言った時にはもう手遅れで、正方形の扉は閉まりこの部屋を密閉してしまう。
委員長は俺とユウスケを交互に見る。
「いったい何をしているのあなた達は?」咎めるような口調だった。「状況がわかっているのかしら」
「ごめんよミヨ」ユウスケがすまなさそうにあやまる。「ちょっといろいろあって」
「もう時間がないのよ」
「わかっているよ。だけどこっちもトラブルがあってしかたがなかったんだ」
そのやりとりを見て俺は察した。
「まさか……!」
自分を透明人間にしたであろうクラスメイトの女子。それはいま目の前にいる委員長こと松本ミヨだ!
「おい委員長!」自然と俺は大声になっていた。「まさかあんたが俺を透明人間にした張本人なのか」
委員長は俺を見ると、自分の耳を指差した。「シンゴ君。悪いけどあなたの声はこちら側には聞こえないのよ」そう言うと部屋の中央に置かれたマイクに指を向ける。「しゃべるんだったらマイクを通してちょうだい」
「あっ、そうだった。忘れていた」
俺は透明人間で、なぜかその声は人には届かない。そのためマイクを通じてしか会話が出来ない。なんて不便なんだ。
「じつはねミヨ」ユウスケが言った。「シンゴのヤツ記憶を失っているんだ。たぶん実験の副作用だと思うんだけど」
「なるほど。それでこの状況なのね」委員長は重いため息をついた。「想定はしていたけど、まさか本当にこうなるとは。しかたがないわね。とりあえず二人とも座りましょう。そうしないと会話もままならないから」
「わかったそうしよう」
ユウスケはうなずくと、きょろきょろと部屋を見回す。
「シンゴも隠れていないで座ってくれよ」
そう言うと部屋の中央に腰掛けた。
続いて委員長もユウスケの隣に腰掛けると、状況がわからなくて困惑し棒立ちになっている俺に顔を向ける。
「シンゴ君、いつまで突っ立ってるの。早く座ってちょうだい」
「ああ、悪い」俺はそう言うとマイクの前に座るべく動きだすが、あることに気がつきその動きを止めてしまう。おかしい!
俺はいぶかしむような目付きで委員長を見つめた。彼女もまっすぐにこちらを見つめ返している。
「どうしたの座らないの」委員長は俺の顔を見据えたまま、くいっと眼鏡を持ち上げた。
「そうだよシンゴ。早く座ってくれよ」ユウスケはあたりに視線を走らせている。
「まさか……」
俺は二人の視線の違いにとある疑問を覚えた。もしかして委員長には俺が見えているのでは?
物音を立てぬようゆっくりと部屋の隅に移動する。委員長の視線は俺に向けられたままで、ユウスケは俺の名前を呼びながら部屋を見回している。
俺が反対側の壁に移動すると、それに合せて彼女の視線も追ってくる。あきらかにこちらの姿が見えているようだ。
なぜだ? 俺は透明人間で、その姿は見えないはずじゃなかったのか?
「委員長、あんた俺のことが見えるのか?」
「いいかげん座ってちょうだいシンゴ君」委員長は目の前の床を指し示す。「あなたの声はマイクを通さなければ聞こえないと言ったはずよ」
委員長には俺の姿が見えている。そう確信すると急に自分が裸である事がはずかしくなってしまう。
俺は両手で股間を隠しながら部屋の中央に歩み寄った。「し、失礼します」なぜかそう口走ってしまいながら、股間を太ももに挟み込んで隠すようにして正座をする。
「それじゃシンゴ君、教えてちょうだい」委員長が言った。「どこまで覚えていて、どこから記憶がないのかしら?」
「あ、あの、その前に委員長」俺はマイクに向かって言った。「もうしかして俺の姿が見えているの?」
「ええ、見えているわよ」
その言葉を聞いた俺は恥ずかしさのあまり、もじもじしてしまう。
「どうして見えているんだよ?」
委員長は口元にうっすらと笑みを浮かべて、眼鏡をくいっと持ち上げる。
「眼鏡だから当然見えるわよ」
「えっ? 眼鏡だから」
「そうよ」
「眼鏡を掛けているから俺が見えるってこと?」
「この眼鏡は特別製でね、普通なら見えないものを見るための品物なの」
そうか、そのせいで委員長には俺の姿が見えてしまっているのか。
「委員長とりあえずその眼鏡外してもらえないかな」
「どうして?」
「いや、だって見られていると恥ずかしいし」
「大丈夫よ、安心してシンゴ君。あなたの裸なんかに、まったくこれっぽっちも全然興味ないから」委員長はきっぱりと言い切った。
「そういう問題じゃないんだよ。委員長がよくても、俺が恥ずかしいんだよ」
「シンゴって意外とウブなんだな」ユウスケがからかうようにしてにやついている。「でも本当は見られてうれしいんじゃないの」
「そんなんじゃねえよ!」俺は強く否定する。何を言いだすんだこの馬鹿は。
「シンゴ、ムキになって否定するとよけいに怪しいよ」
「うるさい。さっさとお前の上着をよこせ」
「何馬鹿な事を言い出すんだよ。まさか裸を隠すつもりなのか。そんなの無駄だよ」
「つべこべ言わずによこせ」
「別に見えないんだから、恥ずかしがる事ないじゃないか」
「見られているだろうが委員長に」
「シンゴ君」委員長が言った。「私は別に気にしないと言っているいるでしょう。それにあなたは服を着る事はできない。そんな事も知らないの」
「えっ? 俺が服を着れない? 何を言っているんだ委員長」
「もしかして」委員長はそう言うと、隣に座るユウスケに顔を向ける。「まだちゃんと説明していないの」
「そうなんだよ」ユウスケは気まずそうに頬を掻いた。「まだシンゴは自分が透明人間で、人から見えないことしか知らないんだ」
「あきれた。時間がないっていうのに、まったくしょうがないわね」委員長はそこで俺に視線を戻した。「いいシンゴ君、よく聞きなさい。あなたはただの透明人間ではないの」
「どういう意味だそれは?」
「あなたの体は限りなく透けているの。透過率はほぼ百パーセント」
俺は首を傾げる。「……つまりはどういうことだ?」
「手を出して」
「えっ?」
「いいから手を出しなさい」
「……わかったよ」俺は言われるがままに委員長に手を伸ばす。
「手のひらを上に向けてちょうだい」
俺はわけがわからないまま手のひらを返した。
「そのまま動かないでね」委員長はブレザーの胸ポケットから、ビー玉のような黒い玉をつまむようにしてとりだした。
「なんだそれは?」
委員長は俺の言葉を無視し、その黒い玉を俺の手のひら上空へと移動させる。「落とすわよ。キャッチしてね」言い終えると黒い玉を落とした。
俺は落とされた黒い玉が手のひらに接触すると同時に、こぼれ落ちぬよう手を握りしめたが、どういうわけか黒い玉は床へとこぼれ落ちていった。
「あれ?」
「拾ってちょうだいシンゴ君」
俺は床に落ちた黒い玉を拾おうと手を伸ばす。
「確かに掴んだはずなのに」
今度は落とさぬよう黒い玉を上から覆うようにして、しっかりと握りしめて持ち上げる。だがしかし持ち上げた手のひらを広げてみると、そこにあるべきはずの黒い玉はなかった。おかしいと思った俺が床に目を向けると、黒い玉がさっきと同じ位置に落ちていた。
「どうしたのシンゴ君」委員長がくすっと笑う。「ちゃんと拾ってちょうだい」
俺はもう一度黒い玉を拾い上げるも、先と同じ結果になった。目の前で起こった不可解な現象に、この黒い玉になにか仕掛けがあるのではないかと疑った。それをたしかめるべく俺は人差し指で黒い玉をつついてみる。すると突き刺した人差し指は黒い玉をすり抜けて、向こう側へと突き抜けてしまった。
「なっ! なんだ!」
「ようやく気づいたようね、シンゴ君」
俺は何度も人差し指で黒い玉を触ろうとするも、その度に人差し指はすり抜けてしまう。
「これはまさか……透けている」俺はそこで顔をあげて委員長を見る。「この黒い玉すり抜けるぞ」
「ええ、すり抜けるわよ」委員長は満足げにうなずいた。「ただし、正確には黒い玉ではなくあなたがね」そう言って黒い玉を拾い上げた。
「俺がすり抜ける?」
「そうよ。あなたは人に見えないどころか、触れられる事さえできない究極の透明人間なのよ。見る事も触る事もできない、最上級のステルス機能。この力を利用すれば壁などの障害物をすり抜けて対象者を尾行する事も容易だし、敵に掴まる心配もないわ。訓練次第でその力をよりいっそう高める事だって出来るの」
「……究極の透明人間。最上級のステルス機能」
俺が今まで思い描いていた透明人間とはレベルが違う。これはとんでもない力だ。