第一幕 第四場
「ダメだ思い出せない」俺は言った。
「やっぱり思い出せないかいシンゴ」山中ユウスケが残念そうに言う。
「昨日学校に登校したところまで覚えている。けどそこから先がまったく思い出せない。思い出そうとすると胸がむかついてくる。とても嫌な気分だ」
「そりゃそうだろ」ユウスケはくすっと笑った。「あんなことがあったからね」
「……何があった?」
「おっとそれは思い出してのお楽しみだ」ユウスケは鼻先で人差し指を振った。「まあ、シンゴにとってはつらい記憶だろうけどね」
こいつの行動はいちいちむかついてくる。人をいらつかせる天才か。
「今思い出しても傑作だよ」ユウスケは話を続けた。「あの時のお前の顔ったら、本当に笑えてくるよ」そう言うとくすくすと笑い続ける。
「気色悪い笑いを止めろ」俺は怒りの声をあげた。
ユウスケはぴたっと笑いを止めた。
「ごめんよシンゴ。怒らせるつもりはなかったんだ。ただ本当におもしろかっただけなんだ。それにそのおかげで、こうして立派な透明人間になったんだ。僕たちに感謝してよ」
「僕……たちだと?」
「あっ、しまった」ユウスケはわざとらしく、慌てた様子で両手で口を押さえる。
「僕たちに感謝してよ」俺は復唱する。「それはつまり、俺がこうして透明人間になったのはお前の仕業なんだな。しかもお前一人じゃなくて、他にも関わったやつがいる。そうだなユウスケ」
「あ、いや……その……」
俺はこの真っ白な部屋を見回す。
「よくよく考えてみたら、ただの高校生のお前が俺を透明人間にして、こんなおかしな部屋を作って俺を閉じ込めるなんて無理な話だよな」
「えっと、その……」
ユウスケは人差し指で気まずそうに頬をかいている。よほど訊かれたくないことらしい。
「他にも協力者がいて当然だよな」俺は追撃にかかった。「というよりも、お前はそいつの手下っていうところが妥当かな、ユウスケ君」そこで一呼吸間を置くと声を尖ら問いつめる。「そいつはいったい何者なんだ?」
「そ、それはちょっと……教えられないな」ユウスケは弱々しい声で言った。
「どうしてだ?」
「そこは自分で思い出してくれないと。シンゴだって自分で思い出すって言ったじゃないか」
「ということはつまり、そいつは俺が知っている人間ってことでいいのか?」
「ええ!」ユウスケが驚き声をあげておどおどし始める。「そ、それは……その……」
ビンゴだ! 俺が知っている人間で、人を透明人間に出来るような人物……そんなやついるのか? だいたい人間を透明人間にするなんて技術、そんなオーバーテクノロジーなんて今の人類ではありえない。
……だけど、自分はこうして透明人間としてこのおかしな場所にいる。ということは、人類はいつのまにそんなオーバーテクノロジーを手に入れてしまったんだ。それを手にしている人物。そんな頭のいいやつに心当たりなんかいねえよ。
だいたい透明人間なんてオーバーテクノロジーを手にするとしたら、最先端の科学研究所じゃないのか? もしくはアメリカのFBIやCAI、軍の秘密研究所……ちょっとまて、俺にアメリカ人の知り合いなんて一人もいない。
日本に住んでてアメリカ人と知り合う機会なんて……あった。
「わかったぞ」
「わ、わ、わかったって、何がわかったんだい?」ユウスケは未だにおどおどしている。
「俺を透明人間にした犯人は、俺達が通う学校にいるな」
「ひえー!」ユウスケは声を裏返した。
その反応を見て俺は確信する。黒幕はやつだ。アメリカから日本にやってきたそいつは、授業のたびに自分の父親は偉大な軍人で、お偉いさんだと自慢してたじゃないか。
「ずばり言おう、そいつの名前は……」
俺はそこで注目を引くべく長々と間を置いた。その間、ユウスケの顔はみるみる青ざめていく。
「あのたどたどしい日本語をしゃべる英語教師のジョン・スミス先生だな!」
「よかったハズレだ」ユウスケが安堵の表情を浮かべた。「驚かさないでよシンゴ」
「えっ、黒幕はジョン・スミス先生じゃないのか」
「違うよ」
「だって透明人間なんて技術、アメリカ軍の秘密研究でもないかぎり不可能だろ」
ユウスケがくすっと笑う。
「なんだよそれ。海外ドラマやハリウッド映画の見過ぎじゃないのか。だいたいアメリカごときがそんな技術もっているはずがないよ」
「アメリカごとき……」
その言葉に俺は驚きを禁じ得なかった。あの超大国アメリカを、アメリカごときと言い放つこいつの傲慢さ。こいつはいったい、こいつらはいったい何者なんだ。いや、まてよ。透明人間なんて技術をもっているから、上から見下せるのか。
いったい黒幕は誰なんだ?
アメリカ人じゃないとするといったい何人なんだ……って、ちょっとまてよ。俺が黒幕は学校にいると言った時、ユウスケは取り乱した。それを見て俺は学校に黒幕がいると確信したはずだ。
……となると、学校にいるのはほとんどが日本人じゃないか。いや、待て、日本人……技術大国日本!
その瞬間、俺の脳裏では日本国旗が激しくはためいた。自分は日本人のくせに日本を卑下していたことに気づき、それを恥じた。科学技術の最先端はすべてアメリカだと決めつけ、日本を眼中にいれることさえしなかった。なんて俺は愚かなんだ。
「ユウスケ」
「なんだいシンゴ」
「日本バンザイ」俺は両手を上げた。
「へ?」ユウスケはわけがわからないといった表情になる。
「日本バンザイ。バンザイだよバンザイ」俺は再び両手を上げる。「見えないのか俺がバンザイしている姿が」
「いや、見えないし。お前透明人間だろ」
俺は苦笑する。「そうだったな。俺は透明人間だったな」
「どうしちゃったのお前?」
「いまさらながら、この透明人間という技術のすばらしさに感銘を受けたんだよ」自然と目に涙が込み上げてくる。「俺はいま誇り高い透明人間であることに、感動を禁じ得ない」
ユウスケの顔が笑顔になる。「そうかい。そう言ってくれると彼女も喜ぶよ」
「彼女?」
「ん?」
「いま彼女って言ったよな。俺を透明人間にしたのは女なのか?」
「いや……その……」戻ってきた笑みはすぐに立ち去ってしまう。
女だ!
俺を透明人間にしたのは学校にいる女だ!
だとしたら可能性がありそうなのはだれだ?
俺は腕を組み思案する。この学校で俺を透明人間に出来る人物。……物理の年老いた佐藤先生くらいしか思いつかないぞ。他にも女教師は数名いるがほとんどが新人の若造で、透明人間を生み出すような天才にはおもえない。
だったら決まりだ。俺を透明人間にしたのは物理の佐藤先生だ。そういえば聞いたことがある、佐藤先生は有名大学出身だっていう話だ。しかも首席で卒業したにもかかわらず、就いた職が教師という酔狂っぷり。その気になれば、どこかの研究職にでも就けたはずなのに。
「まさかあのばあさんが、俺を透明人間にしたとは」今後は敬意を持って授業を受けなければ。
「ちょっとシンゴ」ユウスケが咎めるような口調で言った。「同じクラスメイトの女子のことをばあさんなんて言うのは失礼だよ。それともなにかい、シンゴはロリコンで、中学生はおばさん、高校生はもうババアだって考えなのかい。もしそうだとしたら、恋愛対象は小学生までだって言うのか。気持ち悪いロリコンだなお前は」
「え……ええ!」俺はその真実に衝撃を受けた。「いまなんて言ったんだよ」
「気持ち悪いロリコン」
「そうじゃない! お前は同じクラスメイトの女子って言ったよな。俺を透明人間にしたのは、クラスの女子なのか」
「し、しまった。口が滑った」
ユウスケはオーバーリアクション気味に頭を抱えた。
とてもじゃないが信じられない。自分を透明人間にしたのが同じクラスの女子だなんて。そんなことありえるのか? それが本当だとしたら、その女は天才女子高生ってレベルじゃねえぞ。人類史上最高の天才少女だ!