表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/31

第一幕 第二場

 絶望に撃ちひしがれ、うなだれているその時だった。プシューと空気が抜けるような音が頭上から響いてきた。


 俺はその音に反応してすぐさま顔を上げた。すると天井を構成する十六の正方形のうち、真ん中に位置する四つの正方形が、上へと引っ張られるようにしてせり上がっている。


 何事かと思いすぐに立ち上がると、俺は警戒のまなざしになる。四つの正方形は一メートルほどせり上がったところで止まった。天井と四つの正方形の間に出来たわずかな隙間からは、暗闇しか見えない。いったいこの天井の向こう側はどうなっているんだ?


 四つの正方形が横へとなめらかに滑るようにしてスライドした。天井はいま、真ん中の部分だけがくりぬかれたかのように、すっぽりと抜け落ちている。


 俺はおそるおそる部屋の中央へと歩み寄り、天井に開いた穴を覗き込んだ。そこに見えるのは、この部屋とは対照的な真っ暗闇だけだった。それ以外は何も見えない。


「おーい。誰かいるのか?」とりあえず呼びかけてみるも、返事はなかった。


 首を傾げながら天井に開いた穴に向かって手を伸ばしてみるも、まるで届く様子はない。それもそのはず、天井までの高さはおそらく四メートルほど。バスケットリングの高さ超えてバックボードの頂点。NBAの有名バスケット選手ですら、出来るかどうかの高さだ。


「……一応ダメ元でも、ためしにジャンプしてみるか」


 絶望的な状況のなか、助走のためゆっくりと後ずさる。奇跡が起こると信じて。

 そして俺が走り出そうとしたその時、天井の穴から一人の男が顔を出した。


「おーい、シンゴいるかい?」


 胸が高鳴った! たったいま奇跡が起こった! シンゴ、それは俺の名前だ。誰かが俺の名前を呼んでいる。


 俺は天井から顔を出している男の顔を見つめた。その顔には間違いなく見覚えがある。面長の顔にふんわりとした髪を自然な感じに七三に分け、うさんくさそうな笑みを浮かべるその男は、同じ高校のクラスメイトである山中ユウスケだった。


「おいユウスケ!」俺は叫んだ。「助けてくれ。ここから出してくれ!」


 ユウスケは俺の言葉を無視し、部屋のあっちこっちに視線を走らせている。


「シンゴ。そこにいるのか?」


「おいユウスケ!」先ほどよりも大きな声で叫んだ。「俺はここだ!」自分の顔を力強く指差す。「ここにいるぞ!」


 またしてもユウスケは俺の言葉を無視して部屋を見回すと、首を傾げた。

「あれ? おっかしいな……」そう言ってユウスケは気難しそうに唸る。


「おい無視すんなよユウスケ!」俺は部屋の中央へと歩を進める。


「あ、そうだ忘れてた」ユウスケは、はっとしたような表情を浮かべた。「シンゴ、もしお前がこの部屋の中にいるのなら、壁か床を叩いてくれ。そうじゃないとわかんないからさ」


「何わけのわからない事を言っているんだ」俺は部屋の中央に立つと、おもいっきり床を踏みならした。「俺はここにいるってさっきから言っているだろ!」


「おお!」ユウスケが驚いた声をあげると、真下にいる俺に顔を向ける。「そこにいたのかシンゴ。驚かさないでくれよ」


「何が驚かさないでくれよだ」俺はユウスケをにらみつけた。「さっきからお前は俺をおちょくっているのか?」


 ユウスケから返事はなかった。まるで俺の言葉が届いていないかのようだ。


「おいユウスケ、聞いているのか?」


 俺の言葉を無視し、ユウスケは天井に開いた穴のふちに手をかけると、そこにぶら下がりながら顔を下に向ける。

「シンゴ、今からそっちに下りるから、危ないからどいといてもらえるかな」


「ちょっとまてよユウスケ」俺は後ろへと下がる。「話聞けよコラ」


 ユウスケが手を離し床へと落ちていく。この高さをものともせず、ユウスケはうまい具合に着地する。それと同時に天井に開いた穴のふちから正方形がスライドし、その穴にぴたりと自分自身をはめ込んだ。


「ああ!」俺は唖然と天井を見つめる。「そんな、せっかくの脱出口が……」がっくりと肩を落としてしまう。


 気落ちしている俺の気持ちを馬鹿にするかのように、ユウスケが軽快な口笛を吹き始めた。俺と同じこの奇妙な部屋に降り立ったユウスケは、まるで高校への通学中かのようにブレザーの制服姿に黒のリュックサックを背負っていた。ユウスケはリュックサックを床へと下ろすと、その中身をいじりだす。


「なあユウスケ、お願いだから説明してくれないか」俺は苛立った声でそう言った。「気がついたらこのわけのわからない部屋にいたんだ。しかも服も着ず裸で」そこで言葉を切ると、ユウスケが着ているブレザーを指差す。「とりあえずその上着、俺に貸してくれない。何も着るものがなくて困っているんだよ」


 いったい何度目だろうか。ユウスケはまた俺の言葉を無視すると、リュックサックからマイク付きのスタンドを取り出し、それを部屋の中央に置いた。


「いい加減無視するなよ!」俺は拳を握った。「怒るぞユウスケ!」


 ユウスケは涼しい顔つきで、マイク付きスタンドの高さを調節している。マイクの高さを膝の高さほどに調節するとその場に座り込み、ふぅーと一息ついた。


「おいユウスケ——」


「シンゴー!」ユウスケが声を張り上げて俺の言葉を遮った。「いるんだろ。座って話でもしようぜ」そう言って自分の目の前を手で指し示す。


「何が話をしようだ」


 俺はユウスケに殴りかかりたい衝動を抑えて、不承不承ながらその言葉に従ってあぐらをかいて座った。いまこの状況をどうにかするには、ユウスケの助けが必要不可欠だと理解していたからだ。そのためにもユウスケと話をしなければ。しかしこいつはさっきから俺の言葉を無視してばかり。なぜこんないらつく事を?


 俺とユウスケはマイクを挟んで対面に座り、向かい合っている。


「教えてくれユウスケ。この状況はいったいなんなんだ?」


 ユウスケは落ち着かなげに視線を左右に振っている。


「シンゴ、何かしゃべってくれよ」


 俺は眉をひそめた。「しゃべっているだろうが」


「シンゴー! シンゴー! 聞いているのか?」


「お前こそ俺の話を聞け!」俺は拳を作って床を叩き付ける。


「うおっ!」ユウスケはびくっとし、目の前にいる俺を見つめるも、その目線を俺とあわせようとしない。


 何かがおかしい、と俺は思った。さっきからこいつは俺の言葉を無視するというよりも、聞こえていないように思える。それどころか、俺の事をちゃんと見ようとしない。いったいどうなっているんだ?


「あっ、そうかそうか。忘れてた」

 ユウスケは何かに気がついたかのようにそう言うと、マイクのスイッチを入れ、それを俺に向けた。


「シンゴ、すまないけどこのマイクに向かってしゃべってくんないかな。よろしく頼むよ」


 俺は自分に向けられたマイクを見つめる。これに向かってしゃべれだと? いったい何のためにだ。そんなことに何の意味があるんだ。なぜそんな事をしなければならない。

 押し寄せる疑問が俺を怪訝な顔つきにさせる。


「……ユウスケ、これでいいのか?」


 言われた通りにマイクに向かってしゃべってみた。するとスピーカーを通したかのような俺の声が、部屋中に響き渡った。

 俺は思わず部屋を見回す。この部屋のどこかにスピーカーがついているのか? いや、それらしきものは見当たらない。どうなっているんだ? どこかに埋め込み内蔵でもされているのだろうか。


「お、聞こえた聞こえた」ユウスケは満足げな笑みを浮かべた。「シンゴ、しゃべる時はこのマイク越しにお願いね。そうじゃないと僕はお前の言葉を聞く事が出来ないからさ」


 その言葉は俺をぞっとさせた。「……どういうことだよそれ?」


「どうもこうもないよ。お前の生身の声はこっちには聞こえないんだよ。だからしゃべる時はマイクに向かってしゃべってくれよな」


「なんだよそれ!」俺は声を荒らげた。「どうして俺の声が聞こえないんだよ!」


「落ち着けってシンゴ。ちゃんと聞こえていからさ」


「そういう意味じゃない! どうして俺の声が、俺の生身の声がお前には聞こえないんだよ。こんなのおかしいだろ。お前おかしくなったのか?」


「はいはい、落ち着いて落ち着いて。おかしくなったのは僕じゃなくて、お前の方なんだからなシンゴ。だから僕は大丈夫だから落ち着いてくれよな」


 再びぞっとするような悪寒に包まれた。

「……え、いまなんて言ったユウスケ?」


「だから、僕はおかしくないから心配しなくて大丈夫だって」


「違う!」


 ユウスケは肩をすくめる。「違うって何が違うんだよ」


「お前、俺がおかしくなったって言ったよな」


「ああ、言ったよ」ユウスケはうなずいた。「お前の生身の言葉が聞こえないのは、お前がおかしいからなんだよ。他のヤツらは僕と同じで、お前の生身の言葉は聞こえない」そこでマイクを指差す。「このマイクを通さない限りはな」


 俺はマイクをじっと見つめる。

「このマイクを通さないと人としゃべれないのか俺は……」


「イエス、大正解」


「どうしてこんなことに?」


「え、覚えてないの?」ユウスケは意外だ、という表情を見せた。


「何がだよ?」


「あっ、そうか。そういうことなのか……」ユウスケは意味深な言葉を残すと、思案気な表情になる。


「おいユウスケ」


「どうしよう。困ったな……」ユウスケはひとり言のようにつぶやいている。


「聞けよおい!」


「困った。本当に困った……」


 ユウスケは俺の言葉を無視し、ひとり言を続ける。先ほどとは違い、今は生身ではなくマイク越しだというのに、こいつは俺の言葉を明らかに無視していやがる。何が困っただ。困っているのはこっちだっていうのに!


 俺は立ち上がると腕組みをし、威圧するかのようにしてユウスケを見下ろした。

「おいユウスケいい加減にしろよ。これ以上俺を無視するんだったらぶん殴るぞ」


「えっ、何だって?」ユウスケは俺の股間を凝視しながら言った。「シンゴ、マイクから遠いよ。もっと近づいてしゃべってくれよ」


「おい、お前はいったいどこを見てしゃべって——」そこで俺はあることに気づき、口を閉じた。もしかしてこいつはまさか……!

 俺は物音を立てぬよう静かにユウスケの背後へと回り込む。


「シンゴ」ユウスケは誰もいない宙に向かってしゃべりかけている。あたかもそこに俺がいるかのように。「おーいシンゴ。どうしたの。急に黙っちゃってさ」


 俺はゆっくりと後ずさると、背後にある壁を叩いた。

 その瞬間、ユウスケは跳び上がるかのようにして驚きの声をあげた。

 それを見て俺は確信する。やっぱりこいつは……。


「驚かすなよ、もう」ユウスケがこちらに振り返る。「そこにいるんだろシンゴ?」


 俺はその問いに答えず、今度は反対側の壁へと向かった。その間にもユウスケは、俺がいなくなった壁に向かってしゃべり続けている。


 俺が壁を叩くと、ユウスケが驚いてこちらに振り向く。

「何だよさっきから」ユウスケが少しばかり怒ったような口調になる。「人を馬鹿にしているのかお前は」


 やっぱりそうだ。こいつには俺の姿が見えていない。なぜだ?


「シンゴ、遊んでいないでちゃんとここに座れよ」そう言ってユウスケが床を指差し、ここに座れと、着席を促すジェスチャーを繰り返す。


 俺はマイクの前に座ると疑問を問いかける。

「なあユウスケ、お前さ俺の事が……見えているか?」


「見えるわけないだろシンゴ」ユウスケは明るく笑って言った。「だってお前は透明人間なんだからさ」


「……トウメイニンゲン?」あまりにも信じがたい言葉に、その言葉の意味が頭にしみ込むまでしばらくの間が必要だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ