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第二幕 第七場

 二本のナイフを構えて俺を見下ろす委員長に、俺は怖じ気づいてしまう。まさかこの人本気なのか? 

「と、とりあえず座りましょう、委員長」


「わかったわ」

 委員長は座ると、揃えた靴の側に脱いだ靴下やブレザーをたたんで置き、その上にナイフを載せた。


 どうしても俺の視線は二本のナイフに釘付けになる。あんなもんがあったら落ち着いていられない。無敵のはずの究極の透明人間。その弱点がすぐそこにある。


「さあシンゴ君」

 委員長がやさしく微笑みかける。その笑みは天使なのか悪魔なのか俺にはもうわからない。

「私の胸にさわってちょうだい」


 いまさらヤダって言ったら、あのナイフで刺されるのかな? 

「わ、わかりました」


 俺の気力がどんどんとなえていく。まるで脅されている気分だ。

 ……もう逃げられないな。覚悟を決めた俺は、あたかも背後から野生の猫をなでるかのごとく、ゆっくりと慎重に警戒しながら右手を委員長の胸へと向かって伸ばしていく。


 右手と胸の距離がどんどんと縮まるなか、俺の胸の内にはさまざまな疑問が去来する。どうしてこんなことになってしまったんだろう? なぜ委員長の胸をさわるんだ? 完璧な透明人間になるため? どうして? 世界を救うため? 


 わけがわからん! 


 もう俺の頭の中はパンパンで、これ以上何がどうなっているのか考えたくない。とっとと委員長の胸をさわってこの部屋を出よう。こんなくだらない透明人間の実験なんてこりごりだ。


 俺の右手の指先が委員長の左胸に触れる。そのまま右手を突き出し、その手のひらに委員長の左胸がおさまった。そしてそのまま右手は左胸をすり抜けて、委員長の体内にめり込んでしまった。


「あれ?」俺は予想と違った結果に惚けた声をあげた。


「どうだいシンゴ。女の人の胸の感触は?」

 俺の姿が見えないユウスケが興味津々といった様子で訊いてきた。

「このラッキースケベめ」

 にやにやとした笑みを浮かべている。


「まるで空気を掴むような感触だ」俺は真実を伝えた。


「えっ? なにそれシンゴ?」

 ユウスケが怪訝そうな顔つきになる。

「もっとちゃんとした感想を聞かせてよ」


「これ以上、どう表現したらいいかなんて俺にはわからない」


「どういうことさ?」


「失敗よ」

 委員長がため息をついた。

「手を下げてちょうだいシンゴ君」


 俺は右手を委員長の体内から引き抜いた。俺の体はすり抜けると知っていたが、こうも見事に透けるとは驚きだ。


「シンゴ君」

 委員長の声音には怒りがにじみでている。

「これはどういうことなの?」


「どういうことって言われても……」

 俺は右手を見つめる。

「すり抜けてしまったとしか言いようがないな」


「どうしてすり抜けるのよ?」


「どうしてもなにも、俺は透明人間で、しかも透過率がどうたらこうたらで、物質をすり抜けてしまうんだろ。委員長もそう言っていたじゃないか」


「だからこそ、その力をコントロールするために、私の胸をあなたに差し出したのよ。どうしてさわれないのよ?」


 俺は肩をすくめる。「そんなこと俺に言われてもわかんないよ」


「シンゴ君、あなたちゃんと欲望をむき出しにして私の胸をさわろうとしてくれた? 人間の本能である三大欲望。その一つである性欲を強く意識しなければ、私の胸にさわれないわ。ちゃんと説明したはずよ」


「なるほど。そういうことか」

 今の俺は性欲というよりも、おどされてさわりにいったようなもんだ。さっきとは違って右手は本能に飲まれていなかった。委員長の胸にさわれなかったのは、そのせいだったのか。


「すまん委員長。そんな気分になれないんだ」


「私の胸では性欲を満たされない。欲情しないってことなの?」


「……まあ、そんなところだ」


「まさかシンゴ君あなた!」

 委員長はおどろいた様子でユウスケに顔を向ける。

「この私よりもユウスケ君の胸ほうがいいのね。やっぱりそういう趣味だったんだ」


「やっぱりってなんだよ」

 俺のことそういうふうに見ていたのかこいつは。


「そうなのかいシンゴ」

 ユウスケがはじらいながらブレザーを脱ぎだす。

「しかたがない。ここは僕がまた一肌脱ぐよ」


 まただ。またこいつらはおかしな方向へと話をもっていく。わざとやっているとしか思えない。やっぱり俺はおちょくられているのか。


「脱ぐなユウスケ」

 俺はむっとした表情になる。

「俺はお前の胸に興味はない」


 ユウスケの手が止まる。「どうしてだよ?」


「俺はそんな趣味は持ち合わせていない」


「だったらどうして私の胸にさわれないのよ」委員長が言った。「説明しなさいよ」


 なんだかめんどくさい事になってきた。いや、最初っから面倒ごとに巻き込まれていたのだが……。


「あのな委員長。好きだった相手にふられた事を知って、すぐにそんな気分になれるかよ。こっちはものすごくへこんでいるんだぜ。しかも世界を救えだの、救世主になれだの、人を混乱させといて——」


「なに悟りを開いた賢者みたいなセリフを言っているんだよ、シンゴ!」

 ユウスケが俺の言葉を阻む。

「ちゃんと真剣にやってよ。僕たちをおちょくっているのかい君は?」


「そのセリフをお前が言うか!」


「シンゴ君。もう一刻の猶予もないから単刀直入に訊くわね」

 委員長が眼鏡越しに鋭い視線をよこす。

「人類のオスがメスに対して欲情するのはどういった時なの? あなたの趣味思考性癖をくわしく教えてちょうだい。それをふまえて最適なシチュエーションを演出して上げる。道具が必要というのならば用意するわ」


「そんなこと急に言われてもな」


「やっぱりこうするしかないのね」

 委員長は眼鏡を外してそれを床に置いた。


「どうして眼鏡を外す? それじゃ俺の姿が見えなくなるぞ」


「一糸まとわぬ全裸になるためよ」

 委員長がシャツの裾を掴み、それを一気に持ち上げて脱ぎ捨てると、黒いブラが姿を現した。


 これには思わずドキッとしてしまった。

「ちょ、やめろよ委員長」効果抜群です。


「こうするしか方法はないのよ」

 委員長はブラを外すべく背中へと手を回す。


「もう止めろよミヨ」

 ユウスケが委員長の手を掴む。

「これ以上、君が汚れ役を担う必要はないよ。僕に任せて」


「……わかったわ」

 委員長は姿勢を正し、手を膝の上に載せた。

「あなたにまかせるわ」


 ユウスケは床に置かれた眼鏡を拾い上げてそれをかけると、俺の顔に向かって一直線に視線を向ける。思えばここで目覚めて初めて向き合ったな。

「シンゴ、こんなことになって本当にすまないと思っているよ」


「なにをいまさら言っているんだ」


「そしてこれからもすまないと思っている」


「まだ何か俺に迷惑をかけるつもりか」


 ユウスケは何も答えず、床に置いてあった写真を拾い上げた。それは前田ケイが映ったポラロイド写真だ。

「おいユウスケ。それを見るな!」


「どうしてさ」

 ユウスケは写真をまじまじと見つめる。そこに映っているであろう被写体である前田ケイのあられもない姿を。


「なるほどね」

 ユウスケはにやりと口元を歪めた。

「やっぱりそういうことか」


「おい止めろユウスケ!」

 俺は怒鳴り声をあげた。

「彼女の裸を見るな!」


「残念だけどシンゴ。写真に写っている彼女は裸じゃないよ」


「だったらネグリジェの下着姿だな。とにかく見るのを止めろ!」


「シンゴったら、ふられた相手のことを健気にも気づかうとは紳士だね」

 ユウスケは笑い声を漏らす。

「安心しなよ。彼女は下着姿じゃないから」


「水着姿だな。それでも見るのを止めろ。彼女が他の男に色目で見られるのは嫌だ!」


「シンゴ、ふられてもなお彼女にそこまで執着するとは驚きだよ。それだったらこの写真がのどから手が出るほど欲しいんじゃないのかな」

 ユウスケは写真を伏せた状態で、それを俺に差し出した。

「さあ、早く手にしなよ」


 挑発されているな、と俺は思った。

「いらん。そんな盗撮まがいで撮られた彼女の写真はもらうことはできない。そんな口車に俺が乗せられるとでも思ったのか」


「盗撮か。たしかにこれは盗撮と言えるかもね」

 ユウスケは意味深な笑みを口元に漂わせた。


「わかったならその写真を破り捨てろ。彼女に対して失礼だ」


「それはできないよシンゴ。僕は君がこの写真を手にして、完璧な透明人間になってもらわなくちゃ困るんだよね」


 俺はユウスケに対して怒りを覚えた。

「そうやって俺を脅すつもりか。見損なったよユウスケ。お前はそんなことするような人間だとは思わなかったよ」


「それってつまり、お前なんかに協力するのはクソくらえってこと?」


「ああ、そうだ。よくわかっているじゃないか。人の気持ちを無視した非道なやり方。お前達の透明人間の実験に参加した俺が馬鹿だったよ。記憶をなくす前の馬鹿な俺をぶん殴りたくなる」


「そう言っていられるのもこれまでだよ」

 ユウスケは写真を目線の高さに持ち上げると、それを裏返しにし、そこに映っているであろう前田ケイのあられもない写真を俺に見せつける。


「やめろユウスケ見せるな!」

 俺は顔をそむけようとしたが、欲望には勝てず、つい写真に目を向けてしまう。


「……な、なんだそれは?」

 俺は驚愕し、大きく目を見開いた。写真に映っていたのは前田ケイ、彼女で間違いなかった。だがしかし彼女は裸でも下着でも水着でもなかった。彼女は制服姿で目隠しと猿ぐつわをされ、そのうえ両手両足を縛られて、それを背中でくくられてエビぞり状態になっていた。


「シンゴ。君が協力してくれないと言うのなら」

 そう言ったユウスケの言葉には、ぞっとするような寒気を感じさせられた。

「彼女は死ぬ事になるよ。それでもいいのかい?」


「なん……だと!」

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