第一幕 第一場
眠っていた俺が目を覚まし、上半身を起こすと、そこは見慣れた自分の部屋ではなく、何もない十二畳ほどの部屋だった。しかもその部屋は床も壁も天井も全部真っ白で、それはまるで隔離病棟を彷彿とさせるものだった。
「……ん?」俺は眠たい目をこすりながら横になる。「おやすみ」
これはきっと夢なのだ。だってそんなことがありえるはずない。朝起きたらわけのわからない真っ白な部屋にいるはずなど考えられない。
「……寒いな」俺は手を伸ばして布団を探すも、見つける事ができない。「いったい布団はどこだ?」
再び上半身を起こして目を開けたとき、そこは依然として真っ白な部屋だった。慣れ親しんだ自室の姿はどこにも見当たらない。
「……嘘だろ」
俺は目をつむり目頭を押さえると、眠気を覚ますようにしてゆっくりともみほぐす。
「落ち着け、落ち着け」
何がどうなっている! ここはどこだ? 俺はまだ寝ぼけているのか?
俺は深呼吸してゆっくりと目を開けるも、そこにあるのはやはり真っ白な部屋。
「どうなってるんだよ……これは?」
わけがわからないままゆっくりと立ち上り、自分がいる真っ白な部屋をぐるりと見回す。床、壁、天井、その全てが全部真っ白で、プラスチックのような素材で出来ていた。
俺は壁に手を触れてみる。あたたかくもなければ冷たくもない無機質な感触。ノックをするかのように軽く叩いてみると、ゴンゴンと、鈍く固い音が響いた。
壁をなでるようにして手を這わせていると、指先が何かに引っかかった。その場所をよく見てみると、脇腹あたりの高さの位置に深さ一センチほどのくぼみがあり、それが溝のように壁を横一直線に走っていた。
「なんだこれは?」
俺はそのくぼみを人差し指でなぞるようにして歩いてみる。くぼみは壁から壁へと続いており、俺は部屋を一周して、元の位置へと戻ってきた。
不意に耳をつんざく大きなブザー音が鳴り響く。
思わず耳を押さえた。「なんだ! なんだ!」突然の出来事に、おろおろとうろたえてしまう。
次の瞬間、先ほどたどっていたくぼみが徐々に黒く染まっていく。俺はその様子を驚きながら、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
くぼみが黒く染まりきると、ブザー音は鳴り止んだ。
得体の知れない現象を目の当たりにした俺は、壁から距離をとるべく、両手を下ろしながらゆっくりと後ずさる。
壁から離れるにつれ、俺はある異変に気がついた。それは黒く染まったくぼみの溝が他にもある事だ。しかも一つ二つじゃない。いくつもの染まったくぼみの溝が、この真っ白な部屋の壁や床や天井を等間隔で縦横に走っている。
「これはいったい……?」
俺は部屋の中央に立ち、ゆっくりと部屋を見回す。規則正しく引かれたいくつもの黒い線が直角に交わり、真っ白な部屋に区切りをつけていた。その区切りは縦横の比率が等しい正方形となっている。その正方形が十六個集まり、もう一つの大きな正方形である部屋の壁を形作っている。
真っ白な部屋のすべての壁や床や天井には、十六個の正方形の姿が出現し、その光景はさながら白一色のルービックキューブのようだった。
「何なんだこの部屋は。いったい何が起きたっていうんだよ。この正方形はいったい?」
無数の正方形に囲まれながら、おそらくあの正方形の一辺はだいたい一メートルぐらいだなと、俺はあたりをつけた。だとすると、この部屋は四メートルほどの立方体ということになる。
もはや眠気など吹き飛んでいた。自分はいまルービックキューブのような部屋の中にいる。理由もわからぬままここにいる。いったいどうしてだ?
「……そういえばこの間、こんなサスペンス映画見たな」
俺は目の前の出来事が信じられず、自嘲気味に笑いながら言った。
「目が覚めると理由もわからないまま立方体の部屋の中にいて、そこから脱出するって話の映画。あの映画のラストはどうなったっけ?」
自然と息が荒くなっていた。いつのまにか額に浮き出た汗を拭うと、気分を落ち着かせようと胸に手を当てる。
「落ち着け、落ち着くんだ俺……ん?」
胸にあてた手には、素肌が触れる感触があった。疑問に思った俺は、すぐさま自分の姿を確認する。
「は、裸じゃねえかよ!」
思わず叫んでしまった。この奇妙な空間に放り込まれた驚きのせいで、今の今まで自分が裸である事に気がつけなかった。なんたることだ。
自分が一糸まとわぬ裸の姿である事に気づいた俺は、羞恥心から下腹部を手で覆い隠すと身をすくめた。
「な、なんで裸なんだよ。なにがどうなっていやがる」
何か着るものないかとあたりを見回すも、そんなものがこの奇妙な部屋にあるはずもなかった。
「何なんだよこの状況は!」苛立ちのあまり声を張り上げた。「どうしてこんなことになっているんだ!」
思い出せ、と自分に強く命じた。ここへ来る前にいったい何があったのか。しっかりと思い出すんだ俺!
「いったい何があったから俺はここにいるんだ?」こめかみを撫でさすりながら、俺は必死に記憶の糸をたぐり寄せる。「ええっと、昨日はたしか、朝起きて学校に行って、それから……あれ?」そこで眉根にしわを寄せた。「……思い出せないぞ」
不安の波が押し寄せた。名状しがたい恐怖が心を支配していく。
「ちょっとまて、思い出せないなんておかしいだろ」いつのまにか両手で頭を抱え、股間をさらけ出していた。「何でだよ! 何でだよ! 何でだよ!」
パニックに陥った俺は部屋の壁を叩き、助けを求める。
「誰かいるんでしょ! ここから出してくださいよ!」
何度も何度も壁を叩き、助けを求めて叫び続けた。
しかし何の反応もなく、俺の助けを求める声はむなしく部屋にこだまするだけだった。
「……ちくしょう」意気消沈となった俺は壁に背をあずけるようにして、その場にへたり込んでしまう。「ちくしょう!」握った拳を床に叩き付けた。
これはきっと悪い夢だ、と俺は思った。この前見た映画の影響のせいで、こんな夢を見ているに違いない。そうじゃなきゃ、こんなおかしな状況あり得ない……。