25
「…………」
「…………」
俺と忍者は博物館の外階段に座り込み、呆然と雨の降りしきる空を見上げる。雨脚は弱まる事無く街を暗く染め上げている。そろそろ夕方に差し掛かる事もあり、さっきよりもいっそう黒くなっている。
そんな中リトシーは雨に当たっているが先程のように嬉しそうにはしゃいではいない。ただ単に雨に打たれているだけで、傍からは立ちすくんでいるように見える。まぁ、あながちその表現も間違っていないと思う。
俺は横で膝を抱えるように座っている忍者に声を掛ける。
「…………なぁ」
「…………何?」
「…………あれ、無いだろ普通」
「…………ですよねぇ」
「「ははははは……………………はぁ」」
互いに力無く笑った後、溜息が出る。
俺達はクエストを失敗して、まんまと怪盗と蝙蝠にカーバンクルの宝珠を盗られた。
チェインクエストは一度失敗してもクリアするまで挑戦する事が出来るので、何度も挑戦して傾向と対策を練ればいい。
……のだが。
「あの蝙蝠……ウザい」
つい、愚痴が口から漏れ出す。
残り時間が三分を切ると、怪盗に引っ付いていた蝙蝠が分離して二人(一人と一匹)掛かりでやってくる。確かに、数に差があるのなら忍者一人では無理だろう。
最初はそう思っていた。が、現実はそこまで楽観的なものでもなかった。
蝙蝠の飛行速度は怪盗よりも遥かに劣っていて、俺でも余裕で追い付けるくらいのスピードしか出ていなかった。それなら俺が追い掛けてリトシーが何かしらの進路妨害をすれば三分は余裕で経過させる事が出来ると高を括って挑んだ。
それなのに、失敗した。油断や慢心があったのは認める。そして、あの程度の敏捷なら忍者一人でも難とか対処出来ていたかもしれないと少しでも頭の片隅で考えておけばよかった。そうすれば蝙蝠にカーバンクルの宝珠を盗られる事も無かったのに。……それはないな。考えて慎重に行っても結局盗られてクエスト失敗となっていただろう。
……蝙蝠の野郎、分身しやがった。
二体とかそんなちゃちな数じゃない。七体に分身しやがった。俺が後を追い始めたら、いきなり三体になり、その後に五体、そして七体に増えて驚きのあまり目が飛び出るかと思った。
しかも、だ。ただ残像を生み出しているだけなら当てずっぽうに捕まえてみれば運がよければ本体を捕まえて分身を解除出来るのだが、全員が別々の軌道を描きながら飛ぶもんでどれが本物か全く見分けがつかなかった。そして一体だけの時よりも素早くなったし。
混乱しながらも追っているうちに、蝙蝠がガラスケースを壊して宝珠を咥えてしまった。
「はっはっはっ、カーバンクルの宝珠は戴いていくよっ」
蝙蝠が奪取したのを確認した怪盗はポケットから煙玉を取り出して勢いよく床にぶつけ、二階全体に煙が充満。前が全く見えず、手探りで進もうにも警備の人を踏んづけてこけて追う事叶わず、無様に取り逃がしてしまった次第だ。
……あんなに分身されるならまさに多勢に無勢。加速もしてくるし、そりゃソロでは心も折れるわ。魔法もスキルアーツも使えないのにあんな数どうやって相手しろって言うんだよ。これって下手したらフルパーティーで攻略していかないといけないんじゃないか?
「……因みに、忍者が心折れたのは、あれが原因か?」
「……うん。あと見たまんまの渾名は付けないで」
忍者は少し語気を強めて俺に釘を刺してくる。忍者と言う呼び名は好きではないらしい。なのに何でそんな恰好をしているのか? と疑問を口にする前に忍者――もといアケビは溜息を吐く。
「でも、実際に見たのは昨日。それまでは分身なんてしなかった」
「しなかったのか」
「あの蝙蝠……ドリットに近付けなかったって言うのも大きいと思う。漸く怪盗のパターンが分かったから昨日でドリットの方にも対処出来ると意気込んで挑んだら、七体に分身して速くなってあっという間に終わった」
遠い目をしながらぽつぽつと語るアケビ。
成程、あの蝙蝠はプレイヤーが近付くと分身を開始するのか。そう言えば、俺の時も近付くまでは比較的遅めのスピードで飛ぶだけだったしな。近付いたら七体に分身&加速だったけど。
「……で、アケビ」
「何?」
「あの時、クエスト開始する前にサクラ……俺がパーティー組んでる奴がいなくても『まぁ、いいか』って言ったのは何でだ? あれを目の当たりにしたらよくないと思うんだが?」
あの数は明らかに人数を少しでも増やしてから受けるべきだ。なのに、アケビはサクラがいなくてもいいと言った。その真意は何だろうか? 顔をこちらに向けたアケビは淡々と答えた。
「……始めたばっかの服着てるけど、オウカ君がもしかしたらやってくれるかもしれないっていう淡い期待をしてたから」
「初対面の奴にそんな期待はするな」
俺なんてロッカードにも勝てないプレイヤーだぞ。まだレベルは7だし。
「それで」
後ろを向いて博物館の出入り口を見ながら俺はアケビに問い掛ける。
「もう一度やってみるか?」
「……今日はもういい」
アケビは首を横に振る。今日は、と言う事は明日もう一度チャレンジしたいと言う事だろう。かく言う俺も、あんな理不尽を目の当たりにして黙って引き下がれない。何としてもあの怪盗からカーバンクルの宝珠を守り切りたいと闘志に火が点いている。
「明日、サクラって人がログインしてからやりたいんだけど。少しでも人数が多い方がいいと思う」
「それには賛成だが、サクラは……役に立てないと思うぞ」
この三日間を見て総合的な判断をして、サクラ本人には申し訳ないと思うがパーティー情報を知った方がいいだろうと思い、口にする。
「何で?」
「生産職のスキルプラス水魔法の構成だからな。博物館内だと魔法が使えないからキツイ。それにステータスも精神力と魔力、器用が高いから鬼ごっこは無理だ」
「へぇ、サクラって人は私と同じ生産職なんだ」
「いや、残念ながらまだ何も作ってないから生産職とは言えな……ちょっと待て」
今、アケビは気になる一言を口にしたぞ。
「お前も生産職なのか?」
「うん。生産オンリーね」
一瞬の静寂。
「……嘘吐け」
「嘘じゃないよ」
「いやいや嘘だろ。生産特化なら、なんであんなに速く動けんだよ? それに体力切れも起こしてなかったし。ってかレベルはいくつだ?」
「18」
「俺より10以上も上じゃねぇか。それくらいの高レベルで、しかもソロだろ? 生産オンリーは有り得ない」
「…………」
何故か急に黙ってしまうアケビ。どうしたのだろうか? と思っていると目をまた雨を降らしている雲へと向けてぽつぽつと語り出した。
「…………私ねぇ、レベル上げと素材獲得の戦闘は全部召喚獣に任せてて、その御蔭で自分で手を下した事が一度も無い」
「やっぱり【サモナー】か。パートナー連れてないからそうだと思ってたが」
「一応召喚具はベルトね。で、最初は器用が突出したステータスにしてたんだけど、あるプレイヤーに狙われて……。それ以来逃げ切る為に体力と敏捷にだけSPを振って、誰だか分からないように顔を隠すようにこんな恰好をしてるの」
「狙われたのか」
「絶対この恰好が似合うから……って、何度もしつこく、毎日毎日。逃げても追い掛けて来る」
乾いた笑いを発しながら、アケビは軽く足を投げ出す。こいつの話を訊いていると、前日関わってしまった気に食わない奴の事を思い出してしまった。
「まるで変態コート女みたいな奴だな」
「っ」
一瞬アケビが呼吸すらも止め、ギギギと言う効果音が似合うくらいにぎこちなく首を動かして俺に顔を向けて一言。
「………………多分、オウカ君知ってる人と同一人物だと思う」
「は?」
「リリィ、って名前なんだけど」
「まさに俺の知っている変態コート女だな」
あの変態コート女はサクラだけではなく、アケビにも執拗にあれこれと着せてSSを撮ろうとしているようだ。ったく、本当に自分だけ満足ならいいと言う迷惑野郎だな。今度鉢合わせしてしまったら酔うのを構わずに【蹴舞】や【小乱れ】をお見舞いしてやろう。
「兎に角、私は捕まりたくなかったから逃げて、逃げ切ったら服を作ってた。【初級裁縫】を持ってるからね。取り敢えず黒くて地味で変な奴って印象のあるこの忍者みたいな格好にした。効果はあって、この恰好になって以降は全く会わなくなった」
ほっと一息吐くアケビ。どうやら変態コート女に出逢ってしまってからかなり苦労をしていたようだ。心の奥底から同情するよ。
「因みに、サクラも変態コート女に狙われている」
「……そっか」
アケビは俺の一言にまだ顔を合わせていないサクラに対して憐憫と同情、そして自分と同じ境遇の人間がいる事を知った安堵の籠った声を出す。
「なんか、サクラって人と仲良くなれる気がする」
「……どうだろうな。あいつ人見知りだし」
「そうなんだ」
果たして、サクラはアケビと普通に顔を合わせて会話が出来るのだろうか? それは実際に面と向かい合わない限り分からないな。
「まぁ、今からサクラにメッセージを飛ばしておくから、サクラが嫌だって言った時には俺達二人とリトシーでまたやるって事でいいか?」
「まぁ、無理強いは出来ないし」
アケビは頷き、俺はサクラに向けてメッセージを飛ばす。
「問題は俺達だけだとあの蝙蝠がキツイって事なんだが……その前に一つ質問いいか?」
「どうぞ」
「どうして召喚獣を喚ばないんだ? 喚べば召喚獣で蝙蝠をどうにか出来るかもしれないだろ?」
「喚ばないんじゃなくて、喚べないんだ」
喚べない? それはどういう事だ?
「喚べない理由はあの博物館の仕様そのもの。あそこはあれ自体が魔法やスキルアーツを発動不可にする魔法陣になってるって言ってたよね」
「言ってた」
「実はそれ以外にも召喚獣を喚ぶ召喚具も機能しなくなるんだ」
「マジか」
「マジ。実際、初めて怪盗を追い掛けた時に召喚獣を喚ぼうとしたけど、全然反応が無かった。だから私は一人で頑張ってた」
何だよ、その【サモナー】に対して酷い仕様は……。まぁ、召喚も武力の一つとして捉えられえるのか? だから魔法とスキルアーツと同様に使用不可にしているとか? それだったら【テイマー】にも同じような措置を施せよ。パートナーは入館禁止とか。そうしないと差別になるだろ。
「……で、アケビの召喚獣って何だ?」
「キマイラ」
一瞬、言葉を失う。
「キマイラってあれか? 色々な動物のパーツを組み合わせたような合成獣?」
「そう。STOのキマイラは頭と胴体がライオンで鷲の翼が生えてて、蛇の頭が付いた尻尾。足は後ろが馬。前がネコ科の何か」
どちらかと言えば、キマイラは召喚獣とういう位置づけではなく、何処かしらの研究施設を舞台にしたフィールドに出て来る徘徊型のモンスターとか、そのような印象がある。ただ、一つ言える事は。
「強そうだな」
「強いよ。戦闘は全部任せられるくらいにオールマイティだし、攻撃力も高くて素早い。その代わり耐久は低いけど」
何その万能君。物凄い役に立つではないか。それだけに、怪盗との追いかけっこ時に喚べないのは痛いな。
と言うか、見てみたいな。
「喚んでみてくれないか?」
「御免、勘弁」
アケビは首を横に振る。
「何でだ?」
「……多分、喚ぶとあの人にバレる。あの人の前で何回か喚んじゃったから」
……成程、納得した。
「じゃあ、いい」
あいつとはなるべく鉢合わせもしたくないのは俺としても同じなので、残念だが諦めるとしよう。
折角なので、色々と質問をぶつけるとしよう。
「あと、生産オンリーって言ってたが、どんなスキル持ってんだ?」
「【初級料理】【初級釣り】【初級裁縫】【初級調合】【初級木工】【初級錬金】【初級鍛冶】それに【採取】【疾走】」
「本当にに生産特化だな」
因みに、移動速度を上げる【疾走】のスキルを所持しているのはあの変態コート女から逃げ切る為だろうな。確かSLが40消費で習得可能だった筈。そこまでして、か。分からなくもないが。
「オウカ君は?」
と、今度はアケビが俺に訊いてくる。まぁ、片方だけ訊くのも変だしな。それにパーティー組んでるんだからっておいた方がいいだろう。
「俺は【初級小刀術】【初級小槌術】【初級二刀流】【初級蹴術】【初級料理】だ。あと【採取】」
「完全に近距離戦闘主体のスキル構成だ。でも、何で【初級料理】?」
「これないと装備出来ないんだよ。これらが」
俺は腰に佩かれたフライパンと包丁を抜いてアケビに見せる。
「そう言えば、どうしてフライパンと包丁? 普通はそんなの使わないと思うけど」
「これが今の所一番使いやすいんだよ」
「何で?」
俺はサクラに話したのと同じように、アケビに台所戦争云々を話す。話し終えたら気持ち僅かに身を引いていたが、気にしない。
その後、蝙蝠への対策を互いに意見を交わして練っていたがアケビの強制ログアウト時間が差し迫ったので、今日はここまでとなった。アケビから明日は何時にログインするのか? と訊かれたので、通例となった午後一時と答えた。明日もサクラはその時間にログインすると訊いたし。
俺達はログアウトをして、現実世界へと戻った。
ログアウトして視界が暗くなるまで、リトシーはこちらに背を向けたままぽつりと独りで雨に当たってたのが、何処か哀愁漂ってたな。




