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引き摺られた場所は神殿の裏。そこで俺は姉貴から解放される。もう夜なのでセイリー族は全員家にいるが、プレイヤーは何人か普通に歩いていたから、わざわざ人目につかないところまで連れて来たんだろう。
俺は、さてどんな用事か? と姉貴が口を開くのを待つ。
「悪かった」
「は?」
くるりと向き直った姉貴は開口一番に謝罪をして俺に頭を下げる。突然の事で何が何だか分からない。
「急に何?」
「いや。…………そうだな。きちんと説明しないと桜花には分からないか」
姉貴は頭を上げ、軽く頬を掻く。
「まず、習得スキル一覧表を表示して、一番下まで行ってくれ」
「? 分かった」
俺は姉貴に言われた通りにスキル一覧を表示して一番下まで行く。一番下は隠れスキルが表示されるが、この間見た時はそこには何も書いてなかった。
しかし、今見てみるとスキルが一つぽつんと記載されているではないか。
「【忘我】?」
「あぁ。今日習得条件を満たして習得出来るようになった隠れスキルだ」
「成程。でも、どうして姉貴は分かったんだ?」
「…………」
俺の質問に姉貴はばつが悪そうに表情を僅かに歪ませ、視線を俺から逸らす。
「この前のアップデートでな、また開発運営が変なの仕込んでいたんだ」
軽く息を吐くと、姉貴は淡々と言葉を紡ぐ。
「一部の隠れスキルだけだが、習得条件を満たすと一時的にその隠れスキルを使用出来るようにしたんだ。わざわざ習得スキル一覧を表示して探さなくて済むように、とな」
「はぁ」
「で、今日。桜花はその習得条件を満たしてスキル【忘我】を自動で発動したんだ」
スキルを自動で発動、か。
…………つまり、だ。椿が言ってた暴走状態は【忘我】を発動していた状態だった訳か。なら、ドラマや映画とかで人が拘束されてるのを見ても意識を失って暴走する事がないって事だな。よかった。日常生活に支障が出なくて済む。
と、ここでほっと胸を撫で下ろすも、まだ一つ疑問が解決していない事に気付く。
「だから、何で姉貴が知ってるんだよ?」
「想定外の事が起こってな」
姉貴は深く深く息を吐く。想定外の事?
「端的に言うと、不具合だ」
「不具合?」
「あぁ。お前は他に隠れスキル【AMチェンジ】も持っているだろ? どうやら【AMチェンジ】をセットしている時に【忘我】が発動すると強制的に意識を失わせる不具合が起きると分かったんだ。その不具合が発生した際に即座にどのユーザーが意識不明になったか調べ、その時桜花だと分かった」
「あぁ、成程な」
だから姉貴は俺が【忘我】の隠れスキルを自動発動させたのが分かったのか。あと、意識を失ったのは【忘我】のスキル効果ではなく、想定外の不具合、と。そりゃ、ゲーム中に意識を失わせるのは危険だもんな。
「どうやら、【AMチェンジ】のスキルアーツを自動から手動に切り替えるシステムが【忘我】に影響を及ぼしてな。【忘我】は本来なら一定時間自動で相手を迎撃するスキルなんだが、【AMチェンジ】によってプレイヤーが自分で動かすのを優先するのなら敢えて意識を失わせてアバターを自動で動かすようになってしまったんだ」
「何とも極端だな」
「……悪かった」
「別に姉貴は悪くない」
こればっかりは実際になってみないと分からない類いの不具合だと思う。デバッカー仕事しろと言われればそれまでだけどさ。
「それに、その【忘我】って自動で動くんだろ? だったら俺としては意識を失ってよかったって思うぞ?」
「あぁ、酔うからか」
「あぁ」
もし、俺の意識が残ったままで自動で身体が動いていたら。スキルアーツですらグロッキーになるのに、普通の動きでも、しかも長時間自分の意思と関係なく動き続けたら……そう思っただけで気が遠くなるような錯覚を覚える。
本当、今回に限り、その不具合に感謝だ。
「で、俺を呼び出した用件はそれだけか?」
「……いや」
姉貴は何処か歯切れ悪く、首を横に振る。用件はそれだけじゃないのか。でも、何で姉貴はこんな態度ばっかり取っているのだろう? よそよそしいと言うか、遠慮していると言うか。何時もならずばっと率直に本題に入るのだが。何故だ?
もしかして、何か悩み事でも抱えているのだろうか? と推し測っていると、姉貴は意を決したように口を開く。
「桜花。どうして【忘我】が発動したか分かるか?」
「いや?」
「……そうか。分からないなら、敢えて言わない方がいかもしれないが……」
言い淀み、俺の目を真っ直ぐと見る。
「どうやら、知りたいようだな」
「まぁ、な」
そこまで言われたら、逆に気になるものだ。実際、自分がどうして【忘我】の習得条件を満たしたのか分からないし。いや、ある可能性は示唆されてるけど、多分違うから除外してもいいか。
「で、習得条件は?」
兎にも角にも、純粋に知りたいので姉貴に催促する。
「まず、この間のアップデートで追加されたシステムの説明をしなければならない」
アップデートで追加されたシステム? それってショートカットウィンドウとかパートナーを同時に連れ歩くとかコケゲとかの事……では勿論ないな。
姉貴が言わんとしているのは、パートナーの信頼値や隠れスキルと言った、開発運営がプレイヤーの驚く顔が見たいという理由で最初は公けにしないシステムの事だろう。今回の件も、それが一枚絡んでるのか。
「DGの特性を生かして、脳波を抽出して感情の変化、変遷を感知出来るように開発運営がシステムを弄ってな。それでプレイヤーの喜怒哀楽が分かるようになった。【忘我】の他にも、様々な感情の変化によって習得出来る隠れスキルが追加されたんだ」
脳波による感情の感知、か。
確かに、DGで遊ぶ際は神経の伝達する際の脳波を抽出してDGが受信し、あたかも現実で身体を動かしているようにアバターを動かすようになっている。脳波は感情によって逐一変化するらしいし、DG開発の際は感情の揺れが発生しても正常にアバターを動かせるように工夫がなされたって話だ。
で、開発運営はSTOのシステムを弄ってアバターを動かすだけじゃなくて感情の変化も読み取れるようにした、と。結構大がかりなアップデートだったんだな。
と少しばかり感心していると、姉貴は目を伏せ、一言。
「で、だ。【忘我】の場合は少々特殊でな。どんな事をしてでも守りたい、救いたいと強く悔いる事で習得条件が発生する」
「は?」
今、姉貴は何と言った?
どんな事をしてでも、守りたい? 救いたい?
「…………それはほんの僅か、一瞬でも検出されれば、条件を満たして自動で発動してしまうんだ」
俺は、PvPの時アケビが拘束されたのを目にした。その時に【忘我】の習得条件を満たして自動で発動した。
その時、俺はそう思ったのか。
だが、俺はあのPvPの時ローズに勝ちたいとは思っていても、拘束されたアケビをどんな事をしてでも守りたい、救いたいとは思っていなかった筈だ。
でも、実際に俺はそう思ったらしい。
そして、姉貴はこうも言った。
悔いる、と。
俺は、守りたい、救いたいと思ったと同時に悔いた。
悔いたって事は、つまり、俺はあの時の事を――――。
「悪かった。また、嫌な事を思い出させたな」
と、姉貴が俺の頭を優しく撫でる。
「…………いや、これも姉貴の所為じゃない。俺が自分から望んで訊いた結果だからな」
俺は頭を振って、姉貴を真っ直ぐと見返す。
「……悪かった」
「だから、姉貴の所為じゃないって」
姉貴は心底すまなそうに、俺に謝る。
こればっかりは、姉貴の所為じゃない。
それだけは、確実に言える。




