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09

「お疲れ、これで終わりだって」


 メレンゲを作り終えた俺に、盛り付け担当の三つ編み女性NPCがそう告げてきた。その直ぐ後に『タダ働き終了』とウィンドウが浮かび上がってきた。そうか、もう二時間経ったのか。

 俺は厨房の皆に世話になったと頭を下げ、厨房から直ぐにフロアに繋がる扉を開け、そこの横に立っている人物に体ごと顔を向ける。


 このNPCがこの喫茶店のオーナーであり、調理場主任の男性の奥さんだそうだ。スレンダーな体形で接客をしているウェイトレスの恰好とは違ってウェイターと同じ給仕服を身に纏っている。赤い髪を後ろで一纏めにしたものを左肩に掛けて前に降ろしている。調理主任と同い年と言っていたが、あまり皺も無く見た目よりも若く見える。

 何でも、夫が趣味を仕事にしたいと言い出し奥さんを説得。二十年前にこの喫茶店を始めたらしいと言うのをこの奥さんもといオーナーに訊かされた。

 趣味で始めた喫茶店は最初はそこそこ客が来たのだが徐々に減っていき、閑古鳥が鳴いてしまって一時は店を畳んだらしい。趣味だけで始めるべきではなかったと夫は反省し、十年間みっちり修行をした。オーナーはその間に店舗経営のノウハウを頭に入れ、同じ場所にもう一度喫茶店を開いた。

 開店当初はあまり客は入って来なかったが、口評判でどんどんと増えて行き、今では街でも結構有名な喫茶店になるまでに繁盛をしたそうだ。


 冒険とは直接関係ないNPCと店の設定を蔑ろにしないSTO。様々なストーリーが見知らぬ間に展開され、現在を形作っている。NPCの挙動だけでなく背景も設定する事で、よりリアルに近付けているこの演出は凄いと思う。

 因みに、このオーナーが俺を厨房に向かわせた張本人であったりする。会計の人経由でオーナーに話が伝わり、俺の所持スキルに【初級料理】があったのをどうやってか分からないが看破して夫の下へと派遣させた、と言う次第である。


「迷惑掛けて、申し訳ない」

「いやいや、こっちこそ手伝って貰って助かったよ。今度客として来る時はきちんとお金は持ってくるようにね。あと、手伝いは随時受け付けてるから。また手伝ってくれると嬉しいよ」


 金が足りなかったから働かせてくれと無理を言った俺を雇ったオーナーに謝罪をするも、オーナーは特に気にした素振りを見せずに、あまつさえ店側に迷惑を掛けた俺に礼を言う。

 そしてまた手伝いに来いとまで言ってくれる。この人、いい人だ。俺はこの人に頭が上がらない。


「エプロンと帽子は厨房を出て直ぐの所にあるハンガーに掛けてから帰ってね」


 俺はオーナーに頭を下げて厨房へと戻り、従業員用の通路へと向かう扉を出て、その直ぐ近くの所にあるポールに吊り下げられたハンガーに脱いだエプロンと帽子を掛ける。

 何となく、置いたエプロンと帽子をもう一度取ろうとするが、即座にウィンドウが出現し『この服は着る事が出来ません』と表示され、触る事は出来ても取る事は出来なかったた。

 この店で働いている間のみ着る事が許されるのか。流石はゲームだな。盗難防止はこれ一つでOKと見た。

 従業員用の通路を歩き、店の裏口から出て行く。外に出れば既に日が隠れ始めており、真っ赤に空が燃え上がっていた。STOの世界の時間の流れはリアルと同じに設定しているらしく、時計を確認せずともある程度の時刻を知る事が出来るようになっている。


 二時間ものタダ働きを終え、俺は夕陽に視線を向け、軽く肩の力を抜いて楽にする。ほぼ休まずの作業で体力が一割くらいになり、呼吸が乱れている。現実でも二時間ぶっ通しで泡立てだけをしてれば、こうなるだろう。いや、リアルでは筋肉痛やら関節痛が伴うのでここの方がまだマシだな。


「オウカ、さん」


 と、何時の間に俺の後ろにいたのだろうか。ウェイトレスの制服から元の姿に戻った桃色髪が肩をだらりと下げて、心底疲れ切ったような顔でそこに立っていた。


「お疲れ」


 取り敢えず、労いの言葉を投げ掛けた。


「で、お前は人見知りなのにどうして接客をやった?」


 次に当然の質問をした。一応、皿洗いとかあまり人と関わらない仕事もあったので、そちらを選べばよかったもの。俺の場合は強制的に泡立て係りにされたが、桃色髪は好きに選べた筈だろうに。


「…………それ、は」


 桃色髪は視線をやや左下に向け、重く息を吐きながらこう答えた。


「あなたは可愛いんだから、人前に出てお客さんの相手をして。と、オーナーさんに言われまして」

「……そうか」


 それは知らなかった。俺が一番最初にオーナーと話をして持ち場へと向かったので、桃色髪とオーナーの会話は全く知らない。まさか桃色髪も強制的に接客をやらされていたとは思わなんだ。


「……僕なりに、頑張ったんですけど、やっぱり駄目で……」

「色々言われてたな、お前」


 流石に仕事をする上で人見知りは言い訳にはならないのだろう。言われている場面をガラス越しに俺は何度か目撃している。その度に桃色髪はしゅんと身を縮こませてたな。


「もう、接客はやりたくないです」


 また息を吐く桃色髪。


「しー♪」

「ふぁー♪」


 そんな幽鬱としている桃色髪の後ろから出てきたリトシーと魚は満足そうな表情をしている。


「こいつらは接客楽しかったらしいが」


 まぁ、接客と言っても桃色髪のフォロー。そして客に撫でて貰ったりしていたのでこいつらとしては接客よりも頭を撫でて貰う事の方に主眼が置かれていた可能性もあるが。

 それはそれでいいとは思う。自分の役割をきちんとこなし、店側に迷惑を掛けなければな。

 実質、リトシーと魚は迷惑掛けず、その日限りの店のマスコットキャラとなって売り上げに貢献してたしな。その分俺がメレンゲやらホイップクリームを作る回数が増えた訳だが、そこに文句はない。自分のスキルも上がった事だしな。


 そう、実際にスキルが上がった。

 STOではスキルにも経験値が存在しており、スキルを使えば使う程に溜まっていく。ある一定まで貯まっていくと上位スキルに変化するそうだ。それをSTOではスキルアップと呼ぶらしい。例えば、【初級料理】なら【中級料理】にスキルアップする。【中級料理】は初級料理よりも更に一手間加えた料理を行う事が出来るようになる、とかなんとか。

 喫茶店の手伝いをして俺の【初級料理】の経験値は十六分の一程溜まっている。つまり、あの店であと三十時間くらい泡立て続ければ【中級料理】にスキルアップするが、流石にそれだけをしようとは思わない。


「しーっ」


 と、リトシーが俺の腹目掛けて跳び出してくる。


「おっと」


 俺は反射的にリトシーを捕まえる。下手すれば生命力が減りそうだったんで。

 因みに、生命力は回復していない。生命力は時間経過では回復しないそうだ。精神力も同様にそうらしい。一応自動回復するスキルも存在するのだが、生憎と俺はそのスキルを所持していないので、単眼岩から逃走した状態のまま生命力がキープされている。

 生命力の回復手段は生命薬を飲むか、補助魔法による回復か、宿に泊まるかをしなければいけない。

 だが生憎と今の俺の回復手段は補助魔法――と言うよりもリトシーの固有技しかないな。金を持っていないので生命薬を買えないし、宿にも泊まれない。ログアウトしても生命力はリセットされないので、一時的にゲームから離脱しても意味が無い。


 とまぁ、そう言う訳なので、パートナーとは言えども頭突きのような行動で生命力が減ってしまいそうなのでリトシーをきちんと捕まえた次第だ。


「で、何だ?」

「しーっ」


 顔の前に持ってきたリトシーに尋ねると、リトシーが左右に揺れ始める。すると、リトシーの双葉の間から光の粒子が漏れ出し、それが俺の胸の中へと流れ込んでいく。


『リトシーから1200ネルを受け取った』


「…………は?」


 何故かこいつからゲーム内通貨を貰った。と言うか、お前持っていたのかよ?

 いや、違う。これはもしかして。


「お前……喫茶店できちんと給金貰ったのか?」

「しー♪」


 どうやらそのようだった。あの店はモンスターでも平等に給金を与えるようだ。本当、あのオーナーは出来ている人だよ。


「でも、これは俺が貰っていいものなのだろうか……普通に考えればこれはリトシーが稼いだ金だから、こいつが持ってるべきだと思うが」

「しー」


 だが、リトシーは体を横にゆすってくる。これは何を意思表示しているのだろうか?


「それはだねオウカ君っ!」


 と、上空からあの大音声が聞こえた。

 見上げたくないので、視線をリトシーに向けたまま固定する。


「おーい! オウカ君! 聞こえているかーいっ⁉」


 視界の端から見えたのだが、桃色髪も魚から放たれた光をその身に受けていたので、俺と同様にあいつが稼いだ給金を受け取ったのだろう。その桃色髪の視線は魚にではなく上の方に向いているが。

 で、徐々に近づいてくる桃色髪。そして俺の裾を軽く引っ張って耳元で囁いてくる。


「あの、オウカさん。呼ばれてますけど……」


 くそっ。こう言われてしまったら無視が出来ないじゃないか。

 俺は渋々顔を上げて、声のした方角へと向ける。

 喫茶店の向かいの建物の屋根に一人と一匹が両手をメガホンに見立てて口元に当てている姿が見て取れた。白いプレートアーマーに大剣、緑の長髪。隣にいるのは蜥蜴。間違いない、あいつは自称(他称もだが)風騎士だ。


「……よう」

「何だいオウカ君! 聞こえていたのではないか!」


 リトシーを地面に降ろして緑髪に向けて片手を上げて軽く挨拶をする。するとあいつはしゅばっとジャンプして屋根から飛び降りた。蜥蜴も同様に。


「しゅたっと!」

「ぎゃうっ!」


 右膝と左手を地面につけ、左足を横に伸ばし、右腕を斜め上に向ける着地姿勢を作る一人と一匹。こいつらのシンクロ率は異常だと思う。パートナーモンスターのAI、緑髪の影響を受け過ぎだろう。

 その着地姿勢から一気に仁王立ちになり、そこから右手をびしっと掲げる。そしてにかっとスマイル100%を向けてくる。


「やぁ、オウカ君! 実に四時間ぶりだね!」

「そうだな……」

「そして、そちらの可憐な御嬢さんは初めましてだね!」


 と、緑髪が俺の近く……ではなく何時の間にか俺を盾にするようにして緑髪の視線から身を守るように隠れている桃色髪に向かって挨拶をする。桃色髪よ、服を掴むな。伸びるだろ。いや、ゲーム内だから伸びないかもしれないが。


「…………あ、ぅ」

 そして桃色髪はどもっている。しかも接客時以上に言葉を発し切れていない。


「私の名はリース! 人は私を風騎士と」

「それで、さっきの事だが」


 これ以上桃色髪に服を引っ張られたくはなかったので、俺は緑髪の意識を仕方なく自分に向ける事にする。それに、知りたい事を知っているようだしな。仕方なくだ仕方なく。


「どうしてリトシー……こいつが俺に稼いだ金を渡したんだよ?」

「ほぉ! オウカ君のパートナーの名前はリトシーと言うのか! 初めましてリトシー! 私はリース! 風騎士と呼ばれている! そしてこっちが相棒のトルドラだ!」

「ぎゃう!」

「しー」


 と、リトシーに挨拶をする緑髪と蜥蜴。リトシーは律儀に頭を下げる。と言うか緑髪よ、お前はパートナーのモンスターにまで二つ名を覚えさせようとしているのか。そこまで気に入っているのかその呼び名を。


「リトシーは礼儀正しいね! 将来苦労しないだろう!」


 緑髪は緑髪で訳の分からん事を口にする。何だよ将来苦労しないって。

 じゃなくてだ。


「で、結局の所、どうしてなんだよ?」

「それはだね! オウカ君のパートナーであるリトシー自分で稼いだお金をオウカ君に渡し」


 と、ポーズを決めて喋り出した緑髪が急に動きを止めた。蜥蜴も同様に動きを止めている。瞬きもせず、呼吸もしていない。まるで時が止まったかのような、はたまた精巧に出来た蝋人形のように見えてしまう。


「……おい、どうした?」


 緑髪の目の前で手を振ってみるも全くの無反応。

 と、次の瞬間には緑髪と蜥蜴が光の粒子となって消え去った。


「…………は?」


 何だ? もしかして何処からか攻撃を受けて生命力が0となりゲームオーバーとなったのか? と辺りを警戒し始めるが、それは杞憂に終わる。

 緑髪がいた場所に、このような文字が浮かんでいたからだ。


『Log Out』


 …………こいつ、制限時間を迎えたから強制的にログアウトされたのか。

 個人的には精神的な疲労が蓄積されずに済んだのだからよかったと思う反面、疑問が解消されなかったので、せめて答えを残していってからログアウトして欲しかったと思っている。

 結局、リトシーはどうして俺に金を渡したんだよ?



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