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鵺の森  作者: イヲ
第十二章・朱夏
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二、

 彼女は狂ってはいない。

 ただ、本当にそう思っているのだ。願っているのだ。


「そんなことさせない。誰もよろこばないでしょう。そんなことをしたって。願っているのは、思っているのはあなただけ」


 肩をゆらして嗤っていた月虹姫は、ふいに嗤うことをやめた。

 緋袴からでる白い足袋。草履が、ゆら、とゆれる。


「銀子!!」

「あっ!」


 銀子の体を抱きしめ、地面に転がる。

 土埃のなかには、巨大な氷の槍が突き出ていたのだ。それは溶けることなく、地面からまるで生えるように立ちはだかっている。


「わたしがいいと言えばいいの」

「傲慢だよ!」

「傲慢? そうだね、わたしは傲慢よ。だって、それがわたしなのだもの。それがわたしという証」


 占部に抱きとめられて、地面に倒れたままの銀子が叫ぶが、月虹姫はくすりと嗤った。

 傲慢だということさえ自身で知っているという。そして、それが月虹姫自身の証だとも。

 やはり、狂っていないのだ――。


 ふたりは立ち上がり、月虹姫を睨んだ。


「傲慢だと知っているなら話は早いな。月虹姫。それは間違っていうんだよ」

「間違っているからって何て言うの? それがわたしにとっての正義なの。真実なのよ。だから、いいの。誰にも分かってもらえなくても」

「開き直っちゃ、こっちもなんにも言えねぇな。銀子。もう、なにも問いかける必要はない」

「……私は……」

「私はおまえに死んで欲しくない」

 

 なにかを惑う銀子へ、叱咤するように占部が呟いた。

 彼女を占部のうしろへ押しやり、月虹姫へむかって札を投げたと同時に、自身も龍に変化した。

 赤い、神々しい鱗。

 幣が禍々しい風にゆれる。

 そして――咆哮がおとずれた。




(私はなにを惑っているのだろう。月虹姫を殺すことは、もう決定していることなのに。)

(殺したくない、という甘い考えでは、私はすぐに殺されるだろう。)

(私は目を見開いて、その殺人の罪を見届けなければならない。)


 銀子は伏せていた目を見開き、月虹姫をにらみつけた。

 いま、銀子がしなくてはいけないこと。

 それは鵺の森を守るという大層なことではなくて、生き残ることだ。

 死んで欲しくない、と言ってくれたひとのために。道具なんかじゃないと教えてくれたひとのために。


 銀子の目の前は、氷の槍が溶けることなくたたずんでいた。

 月虹姫が占部に気を取られている間に、氷の槍に手をあてる。


(私の、欺く力……。そして、言霊の力。それがあれば、あるいは――。)


「返って」


 つぶやく。

 氷の槍はおのれの主と見誤って、ふ、と消えた。

 月虹姫は、ようやくこちらに気づいたようだ。おそらく、氷の槍から発せられるかすかな冷気がなくなったことに気づいたのだろう。


「お前……!!」


 月虹姫が表のない顔で銀子を睨んだ――直後、彼女のちいさな体が氷の槍に貫かれた。

 腹部を貫通され、血まみれになった彼女はもう、動かない。

 血は草木を汚し、じわじわと地にしみこんでゆく。

 それは、あっけなく終わってしまった。


「……銀子」


 吐息のような声。

 すでにヒトの姿に戻った占部は、銀子を見下ろした。

 首にかかった首飾りを握りしめている銀子は、目を伏せている。

 罪の意識にかられているのかもしれない。


「これでいい。これで」


 銀子と視線を合わすように、膝をおった占部の目は、やさしかった。

 どこにも、さげすんだような色は見受けられない。


「……」


 かすかに流れる腐臭に眉をひそめる。

 占部が何度も感じてきた、肉を裂かれ、腐ってゆくにおい。

 うしろをふりかえる。ぴくりとも動かない月虹姫の体。

 反対に氷は徐々に溶け始めている。夏の日差しだ。もうじき溶けてしまうだろう。


「占部、血が……」


 頬に一閃、切り傷がある。

 そこから血が流れているが、占部はそれを何でもないとでも言うように手の甲でぬぐった。


「かすり傷だ」

「私……殺したの?」

「そうだな」

「……そうだね。私が殺した」


 占部の腕がのびる。そして、銀子を抱き寄せた。抵抗もなにもしなかった。前も――今も。

 愛情というものに慣れていない彼女を、どうすればいいのか占部にも分からない。


「私……私は……」

「銀子どの。占部どの」


 この場にいないはずの声が聞こえて、占部はらしくもなく慌てて銀子から体を離した。


「藤? どうした」

「いえ。嫌な予感がしたので参上した次第です」


 彼女はなにも見ていないように答えるので、占部は心の端で安堵した。

 藤の柄のうつくしい引き振袖を身にまとった彼女は、空を仰いでかすかにそのうつくしい眉をかすかにひそめた。


()がまだ引かないようですね」

「ああ、そうだな。月虹姫がああだから、戸惑ってるんだろ」

「嫌な予感ってなに? 藤」

「ええ。なにか不気味な――空気を感じまして。ですが月虹姫はもう――あんな状態。一体どうなっているのか……」


 藤が事切れた月虹姫の体がある場所へ向かう。


「気をつけろよ」

「ええ」


 藤が月虹姫の体にふれても、なにも起こらない。

 そう。なにも起こらないのが普通なのだ。


 だが――占部の目は見た。


 月虹姫の指がかすかに動いたのを。


「藤! 下がれ!!」


 遅かった。

 藤の体はちりぢりにされ、紙片と散った――。

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