十一、
八龍は巨大な剣を振りかざし、鴉たちを次々に葬っていった。
ほぼ、瑞音と藤の出る幕はなかった。
瑞音は諜報を得意とし、藤は門番だ。
ほかの妖を「殺す」ための式神は、八龍と数人しかいない。
20人の鴉は、もうすでに全てが息絶えていた。
「那由多様はいかがされている、瑞音」
「問題などありましょうか。――今のところは、ですが」
「私は一応、那由多どのの部屋へ戻ります。月虹姫の気配もありませぬし」
「そうですね。また鴉が襲ってくるかもしれませんが、八龍もいますし、大丈夫でしょう」
藤が背をむけ、屋敷に向かっている最中、八龍は油断なく周りを見ていた。
彼の性格をよく分かっている瑞音は、それでも索敵をし始める。
鴉の全容は分かっていないし、何人いるのかも分からない。
そして――那由多の精神力がなくならないかぎり、八龍たちは「死なない」。
何人来ようと同じことだ。
だが、だからといって自ら傷つくような攻撃もしない。それは那由多の精神にかかわることだからだ。
「那由多どの。20人の鴉どもは全て消しました。八龍と瑞音は、まだあの場にいます。そのまま待機でよろしいでしょうか?」
「ああ……。そうだね。そのままにしていておくれ。……月虹姫の気配はまだのようだね」
「ええ。私にも、分かるほどの気配です。それは間違いないでしょう」
「心配なのは、占部と銀子だが……。どうしている?」
藤はすこし遠くを見るように目を細め、うなずいた。
「落ち着いているようです」
「そうか。ならいい。藤。悪いがふたりの様子を見ていておくれ。銀子は今、まだ不安定だ」
「承知いたしました」
ふ、とそこから消えた藤を見送ってから、のこった那由多は丸窓を見上げた。
そこは黒く塗りつぶされている。鴉がこちらを覗いているのだ。
しかし、入ることは出来まい。
那由多はのぞき込む鴉から視線をそらして、目を閉じる。
糸が、ぴん、と張る。
鴉が十数人侵入してきたようだ。
八龍と瑞音だけで十分だとおもうが――。
那由多はもう一枚、札を取り出した。
「夜霜。頼むよ」
札から実体化した式神は、妖艶な女だった。
白い着物に黒い帯。凍えそうに冷たい色の瞳。
俗に言う、雪女が夜霜だった。
「那由多様。久しゅうございますね。この夜霜、どれほど待ちくたびれていたか」
「それは悪かった。だが、今回はきみ好みの鴉がたくさんいるだろう。それで許してはくれないか」
真っ白な髪をゆたかに結った夜霜は、考えるそぶりをして、妖艶にほほえんだ。
「ようございます。許して差し上げましょう」
「先に瑞音と八龍が行っている。そこで落ち合っておくれ」
「承知いたしました」
優雅に腰を折ってかしづいてから消え去った夜霜を見送る。
くら、とめまいを感じたが、気づかぬふりをした。
「頼むよ……」
銀子と占部がいる場所にも、鴉は襲ってきた。
「占部……大丈夫?」
鴉はおおよそ10人ほど襲ってきただろうか。
だが、すべて占部が片付けてしまった。
死体がそこらじゅうに散らばっているが、銀子は決して目を背けようとはしなかった。
これが「現実」だからだ。
「欺き」ではない。
「ただの雑魚だ。しかし、月虹姫はなにを考えているんだかな」
「……月虹姫……。……ん」
今まで感じたことのないめまいを感じ、手で頭をおさえる。
なにかが地面を這っているような、不気味な感覚が彼女を襲う。
「銀子? どうした」
「すこしめまいがしただけ。それに……なにか、いやな予感がする」
「……月虹姫か?」
背筋が凍るような感覚。
銀子自身の足が動かすことができないほど、すくむ。
「気配は……月虹姫一人だけ。ほかの鴉たちはいない」
「そうか。おそらく、那由多が検知して瑞音のところによこしたんだろ」
「無事だといいんだけど……」
「あのな。私たちが相手をするのは鴉の親玉だぞ。自分の身を守ることも考えろよ」
「う、うん……。……!!」
さく、と、葉を踏みつぶす音がする。背中に氷をあてられたように体がふるえた。
(来た……。怖がってはおわりだ。すべてが開けてしまう。)
無意識のうちにおもう。
月虹姫の「ねがい」が叶ってしまったら、鵺の森は滅んでしまうだろう。
鵺の森は、銀子の居場所だ。大切な居場所だ。
それを守るのは当たり前のことだろう。
占部はその音がする方向を睨み、銀子の前に足を踏み出した。
夏のはずなのに、風がつめたい――。
「ごきげんよう」
あきらかに少女の舌足らずな声なのに、銀子の背は冷たく震える。
千早に緋袴を身につけた少女――月虹姫は、まるで親しい友人に出会ったようにほほえんだ。
「結界に阻まれたけれど、それほど苦労しなかった。わたしが一番恋しい人の結界だもの。そっと、傷つけないように抜けだしてきたの」
「恋しい人……?」
銀子が問うと、月虹姫はにこりと再び無邪気にほほえんだ。
「わたしが一番愛している人は――那由多よ」
「……!」
「だから、わたしにとってもあなた、邪魔なの。だから、死んでちょうだい」
足を踏み出したのは、占部が先だった。
札をとりだし、それに息を吹きかける。
それは炎でできた、自らの眷属のような――龍二匹をうみだした。
銀子が見た占部の龍の姿とおなじ大きさだ。
「あら。邪魔をするの、守護龍。まあ、そうじゃなくちゃ面白くないけれど」
「これは遊びじゃねぇ。本気の殺し合いだ。そっちもその気にならなけりゃ、那由多の所に行く前に死ぬぞ」
炎の龍二匹は咆哮をあげ、月虹姫を威嚇する。
だが少女はくすっと少女らしく笑っただけで、赤い瞳を占部へむけた。
「もちろん、わたしは本気よ。だから、那由多の場所へ行く前に、銀子と占部。あなたたちの首を手土産にしなくちゃ」
おぞましい――ひどくおぞましい笑みで、瞳をほそめた。




