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鵺の森  作者: イヲ
第十一章・琥珀の蝶
95/129

九、

 朝、那由多が起きる前に起きた銀子は、藤を呼んで朝食の作り方を教えて欲しいと伝えると、彼女は喜んで教えてくれた。

 やはり、自分のあるじにまだ、無理をさせたくなかったのだろう。


「今日はなすをたくさん頂いたので、なすをいれたお味噌汁と卵焼きを作りましょう」

「うん」


 那由多が起きるのはきっと、いつもよりも遅いはずだ。

 それまでに作らなければならない。


「おい」


 この場にはそぐわない低い声で、銀子が握っていた包丁を落としそうになった。

 事なきを得たが、このまま包丁を落としていたら銀子の足に直撃していただろう。


「危ないですよ、占部どの。銀子どのは今包丁を握っているのですから」

「あ? ああ、悪かったよ。そんで、なにをしてんだ」

「朝ご飯だよ。那由多はまだ体が悪いから、藤に教えてもらって作るんだ」

「ふぅん……」


 占部はすこし面白くなさそうな顔をした。が、すぐに真顔に戻った。顎をなでて、なすを切っている銀子を見下ろす。

 緋色の瞳はなにを思っているのか、藤には考えもつかないが、どこかやわらかい色をしていると片隅で思った。


「約束だったから。那由多に手伝ってもらっても、作った料理を食べてもらうって」

「そういや、そんな約束もしてたな」

「那由多、よろこんでくれるかな」

「そりゃ喜ぶだろ」


 当然のように言う占部のことばを聞いて、銀子は安堵した。

 占部は壁に背をあずけて、じっと銀子の様子を観察している。

 彼女自身はやりづらいなあと思っているのだが、占部には伝わらないだろう。


 藤に、味噌の分量を教えてもらいながら、一生懸命料理を覚えようとしている。

 成長したもんだ、と占部は思惟した。

 弱かった彼女は、もう自分の足で立っている。

 占部が支えなくとも、那由多が心配しなくとも、もう大丈夫なのかもしれない。


 昨晩、喉まででかかった言葉をおもいだす。

 言わなかったことが正解だったのか、不正解だったのか分からない。

 那由多は、「心につけいるな」と言い、それでも銀子のためをおもうのなら「伝えろ」と言っていた。

 その意味はすこしだけ分かる。

 銀子はいま、不安定だ。それに寄り添えるなら、それはそれでいいだろう。

 けれど、それは那由多の言う「心につけいる」ということにはならないだろうか。

 彼女は聡い。

 嬉しいとおもうだろうが、おそらく喜ぶことはないだろう。


「占部、どうしたの?」

「あ? 別に、どうもしねぇ。それよりできたのか?」

「うん。みょうがもいれたんだ。おいしいよ」

「そうか」


 壁から背を離して、お盆をもって前を歩く銀子を注意深く転ぶことがないように見下ろす。

 藤はすでに姿を消していたので、ふたりで那由多の部屋に向かっている途中、銀子がふいに立ち止まった。


「どうした」

「……占部、ありがとう」

「なんだいきなり」


 ふわりと髪の毛がゆれて、占部をみあげる。うつくしい色の瞳が、占部をしっかりと見据えていた。

 

「私、ヨルの国とかがりにいたとき、いちばん会いたかったのはあなただったんだよ。だから、帰ってこれたのは、占部がいてくれたおかげ」

「……」

「私を、抱きしめてくれたおかげだよ」


 彼女はほほえんで、そしてゆっくりと歩き出した。

 占部をのこしてしまったことに、気づきもせずに。


(ああ、そうか。)


 炎が、ともった。ゆっくりとそれは燃え広がり、占部の「こころ」を焦がす。


(心というものは、こういうものだったのか……。)


 温かくて、そして冷えもする。

 哀しく、辛いほどに熱くもなる。

 そして――銀子の炎は、占部の心をともした。

 占部の闇をその炎で灯し、行く先を照らしたのだ。

 何千年の孤独を。

 見失ったはずの心を。

 それぞれを取り戻したのだ。

 それは辛いかもしれない。苦しいかもしれない。

 それでも、取り戻してよかったと強くおもう。



 銀子の首には、あの首飾りがかかっている。

 飴色にかがやく琥珀は、彼女をこれからずっと見守るだろう。

 かすかな気を感じる。

 やさしく、あたたかい気を。

 占部はそれに感謝した。

 銀子はほんとうの意味で「孤独ではない」のだ。

 彼女にはまだ親の愛情が必要なのだから。


「占部、どうしたのー?」


 やっと気づいたのか、那由多の部屋の前で叫んでいる。

 占部はそっと足をあげて、歩き出した。





「これを銀子が?」

「藤も手伝ってくれたんだ。お味噌汁、おいしいよ」

「そうか。ありがとう。銀子。だれかの手料理なんて、久しぶりだね」


 那由多が銀子の頭に手を載せそうになったとき、なにかに気づいて手を下げた。

 彼女には気づかれなかったが、占部は見ていた。

 ひとにらみした結果だ。


 諦めたのか、那由多はおとなしく味噌汁を飲んでいる。


「とてもおいしいよ。銀子。ありがとう」

「藤にも言ってあげて。私一人じゃ、なにもできなかったもの」

「そうだね。そうするよ」

「これから、たくさん料理を覚えたい。那由多の体が大丈夫になったら、教えてね」

「もちろん。占部にも手伝ってもらおうか」

「なんで私が!」

「おや、わたしと銀子がふたりきりになってもいいのかい?」

 

 小声で占部を茶化した那由多は、すぐに銀子にほほえみかけた。

 何を言っているのか分からなかったのか、彼女は首をかしげている。


 占部はというと、白米を必要以上に噛みしめていた。

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