八、
月江はすでに準備をするために屋敷から出て行った。那由多も疲れたのだろう、休んでしまった。
銀子たちが眠るにはまだ早い時間帯だ。
「那由多をどうやって起こしてくれたの?」
「口止めされている。あまり聞いてやるな」
「? うん」
カガネから口止めされているのは本当だ。
おそらく、王の義務から外れているからこそ、口止めされているのだろう。
「でも、よかった。那由多、戻ってくれたから」
「まあな。言っただろ。殺しても死なねぇ奴だって」
夜、すこし蒸し暑い外。
伊予姫のいる中庭で、銀子は空を見上げた。
星々がきらめく夜空は、彼女を見下ろしているようだった。
さみしくない、と思う。
けれど、さみしくないのは星々があるからだけではない。
となりに、占部がいるからだ。
「私、半妖だからって、占部にまた距離を置かれるのかと思った」
「……悪かったよ。もう、そんなことはしない」
「半妖は、鵺の森にも人間の世界にもいないんだね……」
「どこにもいない。半妖は、強い力を持つ妖と見る力を持つ人間がいなければ、生まれない。それぞれが中途半端なら、その半妖はすぐ死んでしまうからな」
縁側に占部が座ると、銀子もそれに倣った。
銀子の存在――自分の存在をどう受け止めていいのか、まだ分からない。
「私は……私をどうやって受け入れればいいのかな」
呟いた言葉は、銀子自身がずっと思っていたことだった。
人間だと思っていたときも、見ることができた自分をどう受け入れればいいのか、それさえ分からない子どもだ。
自分で考えろ、と言われるのがおちだと思っていたけれど、占部は不器用に銀子の頭に手を置いた。
「受け入れることは難しい。それが半妖であればなおさらな。私にとってはおまえがおまえであれば、それでいい。受け入れることができないのなら、私が受け入れる」
「え……」
すでに銀子の頭には彼の手はなかった。
ただ占部はそっぽを向いて、赤い幣がゆれた。
「どういうこと?」
「分からねえ奴だな!」
彼はなぜかひとりで怒っている。
それでも、銀子の手を握りしめた。
「!」
その手はとてもあたたかかった。
痛まないほどの強さで握られた手。そこに占部の気遣いがうかがえる。
それが、とてもうれしい。
その手を見下ろしてから、占部の顔を見上げる。
もう、どこか違う場所を見てはいなかった。
銀子をまっすぐ見据えている。
「おまえはそのまんまでいいんだよ。無理に心から変わろうとすることもない。私は、今のままのおまえが――」
占部の声が、だんだんと小さくなってゆく。言いづらいことだったのだろうか。
わざとらしい咳払いをして、すっとたちあがる。
「そろそろ寝ろ。おまえも疲れただろう」
「あ、うん……」
そう言って、占部は立ち去ってしまった。
呆然とそれを見送ってから――伊予姫の幹にそっとふれる。
声は聞こえてこなかったけれど、銀子のなかで何かが芽吹いた。
さんごではなくて、あたたかい何かが。
「何を言っているんだ、私は……」
自室に戻って、片手で顔をおおう。
「馬鹿な。まだ、十数年しか生きていない少女だぞ」
ひとり畳の上に座り込んで、無意味に背中をまるめる。
ふいに、襖のむこうがわにだれかがいることに気づいた。
――那由多だ。
嫌な予感しかしないが、もう一度立ち上がって開けてやると、予想通り那由多が立っていた。
「なんだよ。もう体はいいのか?」
「ああ、またいたずらな式がわたしを起こしてくれてね……」
「ああ!?」
まさか、あの言葉を聞いていたとでも言うのだろうか。
「まあ、座って話そう。わたしも、立ちっぱなしはまだ辛い」
座布団を投げてよこすと、那由多は特別怒らずに受け取った。そして律儀に座布団の上に座る。
「素直に問おう。きみは、どう思っているんだい。銀子のことを」
「……別に、どうも」
「嘘はきみらしくないね」
「なら聞くな。これは私の問題だ。おまえが口を出すことじゃねぇだろ」
「そうだね。だが、わたしは銀子が心配なんだ」
白い前髪からのぞくエメラルド・グリーンの瞳は、どこか憂えているようにも見えた。
銀子のこと。
彼女は、まだ自分のことを受け止め切れていない。
だからこそ、不安定なのだ。
そこにつけこむことをするな、と那由多は暗に言っているのだろう。
「言うつもりはねぇよ」
「言うなとは言わないよ。ただ、銀子を頼みたいだけだ。彼女を、どうか哀しませないでくれ。わたしが言いたいのはそれだけだ。……たとえ孤月の君の呪術のせいだとしても、わたしは彼女を守りたいとも思っていた。けれど、その役はわたしではない。――きみだ。辛い力を受け継いだ銀子を守れるのは」
「……ああ」
「似ているのかもしれないね。きみの心と、銀子の心は」
「……」
「あの子は、誰かに認められたいと思っている。そして、純粋だ。心が澄んでいる。つぐみの湖のように。だから、どんな心でも、受け入れるだろう」
「何が言いたい」
「銀子のことをおもうのなら、素直にきみの思いを告げたらいい」
「私は……」
那由多はすべてを知っているようだった。
言うべきか言わざるべきか、迷うことはない。
なぜなら、占部はだれかを恋うことなど、初めてだったからだ。
那由多の式神は、「かわいいところもあるものですね」と笑っていた。
けれど、ことはそう簡単なことではあるまい。
占部は、守護龍だ。
鵺の森を守るという使命がある。
その存在が「だれかのもの」になってもいいのかどうか、迷っているのだろう――。




