七、
「力は人を堕落させる。だが、おまえは決してそんなことはない。無理に押しつけられた力だ。哀しむなとは言えない」
「……」
銀子は後ろを向いたまま、肩をおとした。
カーヴをえがく髪の毛が、ゆっくりと風に揺れる。
「だが、哀しまなくてもいいように、私がおまえを守る。今度こそ、おまえの心も守る」
「……占部」
波達羅盈のいる「かがり」にあった銀子のこころは、銀子自身で取り返した。
母である孤月の力で。
それが助けになるとは皮肉だと思う。
けれど、それがなければ心は取り返せなかった。
それが辛いのだ。
「もう、なくさなくてもいい」
すべて嘘だった。
虚像だった。
母も、祖父も。
そしてほんとうの母も、銀子にとって、虚像にしか過ぎなかったのかもしれない。
そう思っていたほうが、彼女にとって救いになるだろう。
だが、おそらく銀子はそれさえ――道具として扱われることさえも、事実として飲み込むのだろう。
逃げなかったのだ。
自分から。真実から。
それでも、力を得てしまった。
「欺く」力を。
そうっと、銀子はなにかを恐れるように振り返った。
目は赤く、長い間泣いていたのだと知る。
「やっぱり、泣いていたんじゃねぇか」
「……」
「おまえに、渡したいものがある」
「……なに?」
占部は首にかけていた琥珀の首飾りを銀子の手においた。
飴色にかがやく琥珀は、銀子の手の上でかすかに熱を持った。
「あたたかい……。これは、なに?」
「おまえの父親の、形見だ」
「お父さんの!?」
なごりの涙が、すっとほおを抜けた。
大きな瞳が、琥珀をじっと見つめる。
「どうして……。お父さんは人間なんでしょう? どうして、占部が持っていてくれたの?」
占部は言いづらそうに、そっぽを向いた。
そして、暁暗と共に人間の世界におりたのだと、伝える。
「暁暗と……。じゃあ、お父さんの家はあったのね? 誰かいたのね?」
「ああ……。おまえのばあさんがいたよ」
彼のすこしだけ嫌そうな口調を聞いて、やはりあの「虚像」だった祖母と同じく、銀子を否定していたのだな、と理解した。
それでも、それ以上にこの手の上の琥珀の、あたたかさが嬉しかった。
まるで肉親で唯一、父が銀子を認めてくれているような気がしたからだ。
「ありがとう。占部。うれしいよ」
「……そうか」
「暁暗にも、お礼を言わないと」
「……那由多も待っている。もう入れるだろう」
「那由多!? 那由多がいるの!?」
「ああ、まあな」
占部は銀子に背をむけて、目を細めた。
まだ、これでおわりじゃない。
波達羅盈もまた、なにか術を張り巡らすかもしれない。
そして、今回の件で月虹姫も動き出すだろう。
コトという撒き餌が失敗したのだから。
「那由多! それに、月江も!」
「銀子。ほんとうに、無事でよかった」
「ほんとうに。私もそちら側に行った甲斐があったよ」
「ありがとう。ふたりとも。心配をかけてごめんなさい。私……」
那由多はふらつく体をひきずるように立ち上がって、銀子の前に立った。
すぐにでも倒れてしまいそうな那由多だったが、彼女に心配をさせないように、細心の注意を払った。
「いいんだよ、銀子。きみはなにも変わってはいない。力を得ても、なにも」
「まだ、私分からないよ。この力を、どうすればいいのか……」
「この力は、きみのご母堂から受け継がれた力だ。酷だが、それは自分で考えねば。その力は、銀子。きみのものなのだから」
銀子の瞳は、まだ揺らいでいる。
不安なのだろう。重すぎる力を受け継いでしまったことが。
「銀子」
ふっと、風のような声を出したのは占部だった。
琥珀の髪飾りを握りしめたままの彼女に、ことばを紡いだ。
「これからは、私は私の意思でおまえを守る。だから、もう手の届かない場所に行くんじゃねぇぞ」
「……うん!」
「おやおや、私たちはお邪魔だったかしら。那由多?」
那由多はそっとほほえんで、銀子の頭をしずかになでた。
そして彼女の視線にあわせるように膝を折る。
「きみはひとりきりではない。きみはきみのために生きるんだ。忘れてはいけないよ。もう、きみの命はきみだけのものではないのだから」
そうだ。
銀子の命を大切にしてくれるひとたちがいる限り、ひとりだけの命ではないのだろう。
「いいかい、銀子。これからおそらく、鴉たちが押し寄せてくるだろう。きみの力がより増す前に消すために。月虹姫も動くはずだ」
「……うん」
「きみは、強くなったね。かがりからここにきたときより、ずっと。強い意志を感じる」
「ほんとう?」
彼は再びほほえんで、すっと立ち上がった。
「占部。銀子を頼むよ。おそらく、彼らが襲ってくるのはそう遠くはないだろう」
「ああ、分かってるよ」
「月江。きみに、ひとつ頼みがある」
「なんだい?」
「このあたり一帯に、糸を張り巡らせて欲しい。いつ何時、襲ってくるか分からない。もし、きみの糸にふれる鴉がいたら、わたしは即座に結界を張る。誘い込むんだ。ここへ」
「いいのかい。そんなことをして。この屋敷、バラバラになってしまうかもしれないよ」
「なに、構わない。また建て直せばいい。銀子は占部が守ってくれるだろうから、わたしはなにも心配はしていないよ」




