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鵺の森  作者: イヲ
第十一章・琥珀の蝶
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六、

 銀子の体は、檻から出された。

 那由多の封印を施されたまま。波達羅盈は諦めてはいなかったのだ。

 こころはまだ鳥籠のなか。

 それは波達羅盈にとって唯一の「人質」ともとれるものだった。


 那由多との交渉が決裂した今、波達羅盈の人形たちは彼女のまわりを取り囲み、ひざまづいている。

 だがひざまづいているものたちは、みな実体は持っていない。影のみだ。

 そのせいか、ゆらゆらと揺れて、頼りない。


 波達羅盈のとなりには、目をうつろに開いた銀子がいる。

 那由多の封印がなければ自立も可能だったが、今や力なく倒れてぴくりともしない。

 この体のなかにはなにもない。

 心も、魂もなにも入っていない。

 最初、魂だけの存在にするつもりだった。だが、那由多の封印のせいで魂を連れ去られてしまった。

 

「憎らしや……」


 波達羅盈の、呪詛のような声が大広間に響き渡る。


「孤月。そなたのねがいも、娘は拒絶したぞ。鵺の森をその身を以て守るという尊いお役目を。だが、体はここにある。どうせ死ぬ定めならば、今こそ、そのときだ。銀子の血は清められ、鵺の森を潤すだろう……」


 ほとんど独り言だった。

 許さない。

 許さない。

 許さない、と、ひとり彼女は囁いている。



「ゆるさないとでもいうの?」


 背中を冷たい手で撫でられるような、不快な感覚が波達羅盈を襲った。

 それは冷ややかとはいえ、銀子の声と変わりはない。


 波達羅盈――彼女は、ほんのすこしだけ、喜んだ(・・・)。 


 銀子から発せられる気は、孤月の力のものだったのだ。


「私はあなたを許さないわけじゃない」


 ゆっくりと、彼女は自立した。立ち上がって、赤い紋様もするすると皮膚から消えてゆく。


「戻ってきたのか!!」

「月江に誘導してもらったの。でも、今はそんなことじゃない……。私は、あなたが鵺の森を救いたいという気持ちはすごく分かるよ」

「人形ども! 捕らえろ!」


 銀子のことばを無視し、波達羅盈が叫んだのち、人形と称した影は銀子を捕らえようと瞬時に動く。

 その動きは影のごとく不規則で、捕らえどころがない。


 しかし銀子は、すでに受け継いでしまっていた。孤月の力を。すべてを「欺く」力を。

 

「私は、鵺の森を守りたい。そして、占部に会いたい……」


 そう呟いたときにはもう、銀子はそこにはいなかった。

 声だけを残して彼女はそこからもう、いなくなっていた。






「!!」


 月江と那由多の瞳が同時に開いたのは、数分前だった。

 そして、後悔する。

 「遅かった」と。


「孤月の君の力を継承してしまったようだ」

「……孤月の力とは何なんだ」


 占部が歯がみをしながら問うと、那由多ははっきりとこう言った。


「化け狐の力――すなわち、欺く力だよ」


 と。


「欺く? なるほどな。銀子自身も、私もおまえも、欺かれていたわけだ。その孤月という奴に」

「そうだね。わたしの記憶をも――暁暗の記憶をも欺くとは、希代の力を持っていたようだ」


 人間の世界で銀子が那由多に会ったことも。

 おそらくそれは、那由多が銀子を知っていれば、保護してくれると思ったからだろう。

 そしてそれは暁暗もおなじだ。


「継承したのならば、おそらく――孤月の君はほんとうの意味で亡くなっているだろう。継承するために、死にながらも生きていたのだから」

「……銀子はどうなるんだ」

「彼女自身、孤月の君の力を継承してしまったんだ。欺き、真実を塗り替える力を持ってしまっただろう……。彼女の性格から考えて、重荷にしかならないだろうね」


 月江は、はっと玄関がある方角へ顔をむけた。


「帰ってきたよ。銀子が。けど、様子が変。泣いているみたい」

「行ってあげておくれ。占部。銀子は、きみに会いたがっている」


 占部は膝をぐっと掴んで、立ち上がる。

 赤い幣をゆらして、彼はこの部屋から走り出て行った。


 おかしかった。

 最初はただの弱い人間の少女だと思っていた。

 

(だが、私にとっては今も、弱い銀子のまんまだ。なにも変わっちゃいない。)


 人間だろうが半妖だろうが、なにも変わらない。

 それは占部が、興味を示さなかった結果だろう。

 それに今は感謝すべきか――。


 玄関の外――木の扉の下にあるガラス戸に、影が出来ている。

 まるでこの屋敷のなかに入ることを迷っているように。


 そっと、扉に手をかける。

 だが、かけただけだ。開けるつもりは、まだ、ない。


「銀子」


 かたん、と扉がゆれる音がする。


「また泣いているのか」

「泣いてない」


 喉が詰まったような声。泣いているのだと断定する。

 占部は頭を掻いて、意味もなく咳払いをした。


「いいか。よく聞け。おまえが人間じゃなかったことも」


 かたん、と二度目の音が聞こえる。


「半妖だったということも」


 鼻をすする音がする。


「私は知っている。望まぬ力を手に入れちまったこともな。だが、私はそんなことに興味はない。おまえが人間だろうが半妖だろうが、力を持っていようが持っていまいが、どうでもいいことだ。おまえという存在が変わらないのなら、それでいい。それだけでいいんだ」

「私は変わってしまうかもしれない。力は、ひとを変えるから」

「おまえは変わらない。そういう娘だ。おまえは」


 銀子は、決して力によって驕らない。

 むしろ、力を持ったことによってこんなにも嘆き哀しんでいる。


 そして――とうとう、占部は扉の取っ手に手を掛けた。


 視界の先にはまったく変わらない、浅葱色のうつくしい髪の毛をもつ少女が、後ろ姿で立っていた。

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