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鵺の森  作者: イヲ
第十一章・琥珀の蝶
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五、

「俺は餓鬼。食っても食っても腹の減りがおさまらない。哀れな妖怪さ」

「……扉が開いても開かなくても、あなたに喰われるはずだったの?」

お前(・・)は騙されたんだ。姫と、この俺にね」


 影がゆらりとゆらめいて、銀子がいる場所へ一歩一歩近づいてゆく。

 

 ――騙された。

 銀子の胸のうちがわがかっと熱くなるのが分かった。

 怒りでも恐怖でもない。

 わけのわからない熱が、銀子の胸元を照らした。


「私は、喰われるために、殺されるために生まれたんじゃない……」


 そうだ。

(私は、死ぬために生まれたんじゃない。生きるために生まれたんだ。そう思わなければ……。たとえ、お母さんが私のことを道具としてしかみていなかったとしても。)

(占部や、那由多は私を大切にしてくれた。その命を、軽々と餓鬼なんかに奪われてはいけないのだ。)


「生きるために、私は戦わなければいけない」

「立派な決意だ。けれど、お前は丸腰だ。どうすることもできないだろう。大人しく喰われておけ。なに、心配はいらない。なにも怖い思いをさせるつもりはないし、痛ませることもない。一瞬で根の国におちるだけさ。俺は上手に喰える餓鬼だからね」


 根の国は死者の国だ。

 その国へ、銀子は行かなければならないというのか。


 銀子は餓鬼をにらみつけて、胸元に手をあてた。

 手のひらがあたたかかった。

 最後に残った札が、熱をおびているように。


 今こそが、使うべき時だ。

 懐に忍ばせておいたことに、まだ餓鬼は気づいていないようだった。


「私は占部のところに戻る。優しい人たちのところに」

「できないよ」

「私は、ずっと逃げてた。戦うことを。自分のために戦うことだけがこわかった。でも、今はもう、ちがう……」


 銀子の決意だった。

 もう、戦うことから逃げない。

 誰かのために戦うことからも、自分のために戦うことからも。


(だって私はもう、ひとりぼっちじゃないから。)


 すっと、懐から札をだす。

 最後の一枚。

 これがだめだったら、と思うと怖くて仕方がない。

 けれど、諦めない。決して。ほかになにか手段があるのかと問われれば、ないというしかない。

 それでも――。


「……札を持っているだと? 聞いてないぞ、そんなこと」

「占部が持ってきてくれた札。あなたが引いてくれないなら、私はこれで応戦するしかない」

「占部……。守護龍か!! あいつの名はヨルの国でもよく聞くよ。それにしても、占部の札か……。だが、結局は使い手の力だ。発現させる前に、喰ってやる!」


 影は大きくふくらみ、巨大な口のようなものに化けた。

 だが銀子は恐ろしくはなかった。近づいてくる餓鬼。

 自分のことを哀れだと言った餓鬼は、たしかに哀しいだろう。

 しかし、銀子は生きねばならない。なにより、自分のためと、自分をたすけてくれた人たちのために。


 くしゃくしゃになってしまった札を、占部がそうしたように、札に、ふっと息を吹きかけた。

 万感の思いだった。

 すべてが、上手くいくわけがない。

 それでも現実と思いは別だ。

 分かっている。十分すぎるくらいに。


「ひっ!」


 占部が以前出現させたように、炎に燃える一角獣が銀子の札からうまれた。

 気高く美しい、炎につつまれた聖なる馬は、餓鬼を敵とみなしたのか、ひづめを土に研いで狙っている。

 影は炎の光につつまれ、やせ細ったようにしおれていた。

 そして、逃げようとした餓鬼を、馬は逃がせまいと駆け、炎を散らせながら餓鬼をその角でひと突きにした。

 おそろしい悲鳴をあげ、餓鬼の影はやがて霧散し、消えていった。

 

 銀子は、すこしの間呆然としていた。

 殺すということはこういうことなのだ。

 根の国に送るとはこういうことなのだ。


 だが、これでよかったのだと思い込まなければ、どうにかなってしまいそうだった。


 

 その思いを心配するかのように聖なる馬は消えはせず、銀子の隣によりそっている。

 ふしぎと熱くなく、だがあたたかい。

 

「ありがとう……。あなたのおかげで、私は生き延びられた」


 そっと馬の背を手でなでると、馬は顔を揺らした。

 馬の瞳は、いまだ閉ざされている岩戸へと向けられている。


 そうだ。

 これをなんとかしなければ、何の意味もないのだ。


 ふと、岩戸の隙間に白いなにかが通ったのが分かった。銀子はそれを岩戸の隙間から目をこらして見つめた。

 

「蛇だ……。白蛇……」


 驚いたけれど、いやな感覚はしなかった。

 それに白蛇と聞くと、思い当たる人がいる。

 月江だ。


「月江……?」


 そっと呟くと、蛇はこちらを見つめ返した。ことばはなかったが、元気づけていることは分かる。

 手指がぼろぼろになってしまった銀子の手で、もう一度岩戸を開けようとするが、やはりだめだった。


(やっぱりこれは、力ずくで開けるものじゃない……。)


 ちりっとする、指先の痛みを手のひらでおさえつけて、馬を見上げた。

 「彼」は瞬きをして、その角で岩戸の隙間に押し入れ、ぐっと顔を上に向ける。


 すると、隙間がわずかに開き、そこから炎が吹き出した。

 やはり、熱くない。

 銀子は胸に手を当てたまま、それを見届ける。

 炎は岩を焼き尽くすように、じりじりと音をたてた。


 やがて――銀子が簡単に出られる大きさになった直後、馬も炎も消えてしまった。

 まるで、役割を終えたかのように。


 焼け焦げた岩をまたいで歩くと、すぐちかくに白蛇がいた。

 初めて見た月江よりは大きくはないけれど、蛇のなかに比べたらとても大きいだろう。


 どうあれ、ヨルの国から出ることが出来たのだ――。

 ほっと、銀子は胸をなで下ろした。


 彼女は銀子を促すように、体をくねらせてあぜ道を進んだ。

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