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鵺の森  作者: イヲ
第十一章・琥珀の蝶
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四、

 馬鹿なことを言ってしまった。

 占部はそう思った。


 コトに頭でも何でも下げて、銀子を救ってくれと言えばよかった。

 だが、占部の誇りがゆるさなかったのだ。

 銀子の命をたすけることよりも、占部自身の誇りが邪魔をしたのだ。


 首におざなりにかけた琥珀の首飾りを握りしめる。


 那由多の結界をぬけ、屋敷につくと背中がひんやりと凍えた。

 夏だというのにおかしいが、ここはこういう所なのだ。

 彼が部屋のなかにまで結界を張っている証だ。


 那由多の部屋の襖をそっとひく。


「那由多」


 彼は目を閉じ、大きく深呼吸をした。そして、ゆっくりと目を開いた。

 相変わらず、エメラルド・グリーンの瞳は深く、あの湖のようだった。


「まだ、波達羅盈との話はついていないのか」

「そうだね。今もまだ、話はつづいている。もっとも――絶望的だが」

「そうか……。こちらも、悪い話がある。コトは、ヨルの国への道を開くことを拒否した」

「だろうね。きみが交渉などできはしないと思っていたよ」

「ああ!?」


 だが、言い訳はできまい。その通りなのだから。

 那由多は動かず、ただほほえんだ。

 疲れが出てきているのだろう。顔色が悪い。


「とは言っても、わたしも波達羅盈の説得は無理だと思っている。彼女の決意は固い。彼女は鵺の森の救世主になるつもりだ」


 那由多はこめかみに指をあてて、目を伏せる。

 まるで、幼い子どものわがままを目の当たりにするように。


「ガキの夢だな」

「だが、彼女はこの世に器を得ていない。その苦しみや哀しみは、誰にもわからないだろう。一概に愚かだとは言えない」

「それでも、娘ひとりの命がかかっているんだぞ」

「そうだね。愚かだと言っても、命と天秤にかければ命が重たいに決まっている。それでも今は――銀子の力にかけるしかないだろう。だが、きみが銀子の父君の形見を持ってきてくれた。それは、銀子にとって大きな力になるはずだ」


 彼は祈るようにことばを紡いだ。

 もう信じることしかできない、ということを暗に言っているのだ。

 那由多でさえそう言うのならば、それが真実なのだろう。

 それでも、と彼は占部に視線をあげた。


「銀子が――彼女が行きつく場所はきみの場所だ。きみも祈ってくれ。彼女が、きみにたどり着くことを」

「祈る……か。滑稽だな。私が祈るなどと……」

「そんなことはないさ。きみはもう、昔のきみではない」


 すべてのことがどうでもよかった。

 守ることがすべてだと思った。それ以外に意味などないと思っていた。

 それでも、暗がりにいた占部を、炎のもとに手を引いてくれたのは銀子だ。

 ずっと一緒に暮らしてきた那由多でさえ、それはできなかった。

 なぜなら、おなじ闇を抱えていたからだ。

 

「どうだかな」


 那由多は、ふっと笑んで、文机に手を置いた。

 そこから、じわりと緋色の墨のようなものがにじむ。

 それは蛇のように那由多の肌へと吸い込まれてゆく。彼は苦しげに眉を寄せ、消えるまでじっと体をかたくしていた。


「那由多。もうやめろ。これ以上銀子への干渉を続けたら、おまえが死ぬぞ」

「……銀子の命はもう、銀子だけのものではないよ。それを別にしても、わたしはわたしの命を賭けて、あの子を助けたい。あの清らかな少女を……」


 那由多がいま施しているのは、遠距離での封印だった。

 心と体が今や離れてしまっている今、銀子がヨルの国へ行くことになったのは那由多の封印のせいだ。

 魂だけの存在となった彼女が唯一、自分自身で心を取り戻すことができるのが、その術しかなかった。

 それがたとえ、コトによって危険な道になったとしても。


「……誰だ」


 占部の低い声。

 襖のむこうにいるだれかが、「私だ」と返ってきた。


「招いてくれないか。招いてくれないと、私はそちらにいけぬ」

「月江か……?」


 占部が驚いたような表情で、襖のむこうを見据える。

 那由多は分かっていたのか、彼女を招き入れた。


「流石よの、那由多。この結界、この私でさえ入ることができなかった」

「何の用だ? 月江。今、客人の相手をする暇などないぞ」

「ずいぶんな言いぐさよ。私は銀子の危機を聞いて参上したというのに」

「ああ?」

「私の力はアソウギ通りを監視するだけではないぞ。那由多の力ほどではないが、銀子の力になれるだろう。私は蛇。誘うことはお手の物だ」

「……そうか」


 月江は白い着物を着て、畳の上をすべるように那由多の隣にすわった。


「待っていたよ、月江。さっそくで悪いが、手を」


 彼女の白い手が、那由多の手にふれる。

 緋色の、紐のような形の紋様が文机に拡散し、やがて月江のなかに消えてゆく。

 

 それきり、彼女は動かなかった。




「……」


 銀子は肩で息をしていた。

 どう力をこめても、開かない。

 それでも、分かっていたのかもしれない。力で開けることなどできない、と。


「どうした? もう、諦めて俺に喰われるかい?」

「そんなこと、ぜったいにない!」


 銀子は傷だらけになった手を岩にふれて、開けと念じてみるも、びくともしない。


「私はぜったいに、戻る。あなたなんかに喰われない。占部のもとに戻るもの……」

「それこそぜったいに無理だ。ここにきて、帰って行けたものは誰一人いないのだから。それに、姫との約束もあるからねぇ……」

「姫……?」


 不穏な空気を感じ取って、銀子はふりかえった。

 壁に背中をあずけて、にやにやと意地の悪い笑みをうかべていたはずの男。

 ――そこにいたのは占部ではなかった。

 見知らぬ男ですらない。

 影だった。

 ゆらゆらと影がゆらめいている。

 炎のように。


「ここで喰われるんだよ。銀子」




 もう限界だ、とでも言うように、影は言った。

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