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鵺の森  作者: イヲ
第十一章・琥珀の蝶
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三、

 すぅっと、彼女――コトはあらわれた。

 うつくしい水色の振袖を着て、顔は涼しげだった。


「占部様。ごきげんよう」

「コト。ぼくは占部と話をしているんだ。お前を呼んではいない。この部屋から去れ」


 怒りをあらわに、御簾のむこうでカガネが声をあらげた。

 それでもコトはなにも悪いことをしないような表情で、首をかたむけた。


「あの娘の命を握っているのは私なのですよ、兄様(あにさま)。ヨルの国の道を征けるのは私だけなのですから」

「気でも狂ったか! コト!! あの娘の存在が、どれほど希有で鵺の森にとって大切な存在かあれほど言っただろう!」

「そんなこと、存じませんわ。あの娘など、死ねばよいのです。あの娘がきてから、兄様も占部様も変です。あの娘がきてから、悪いことばかり。不倶戴天も来ましたし、鴉もさわがしいではありませんか」

「貴様……。すべてが銀子のせいだと思っているのか!!」


 少女は嘆くように、ほおに手をあてた。

 まだ分かっていないのですか、と囁く。


「あの娘は半妖です。半妖だからこそ、災いをおこすのです」


 両脇にかしずいている采女たちが一気に顔を上げた。

 大勢の采女たちが、ひどくざわめいている。

 カガネの脳裏には、あのきよらかな少女の顔が浮かんだ。

 あの娘のせいで、災いがおきたと?

 そんなことはありえない。彼女の「気」はたしかに特別だが、清浄だ。

 

「静まれ」


 カガネの一閃で、ざわめきが瞬く間に消えていった。

 その声色が、ひどく冷めているものだったからだ。焦りなど、どこにもなかった。

 ただただ冷静で、逆にコトを馬鹿にしているようなものだ。


「銀子を殺してみろ。次に殺されるのはお前だろう。コト。そこの龍にな」


 コトはそっと占部を見下ろした。

 占部は彼女を睨み、怨んだ目をしている。コトはかすかにたじろいだ。

 おそらく――ほんとうに殺すだろう。コトを。

 それほど、銀子のことが大切なのだ――。

 そう、コトは思い知った。

 誰かのものにもならない。

 だれにものでもないと思っていた。

 

 それなのに。

 それなのに、占部のこころは銀子にむかっているのだ。

 

 誇り高き龍は、もう、だれかのものだ。

 コトは振り向いて欲しかった。

 それだけだった――。

 

 コトは、鴉と繋がっていた。

 それは、つい最近だ。

 銀子がかがりに捕まってからなので、まだ3週間程度。

 銀子の命を掴んでいる、と鴉に告げると、驚くべきことばが帰ってきた。

 彼女は「半妖」である、と。

 鴉はとっくに銀子が半妖であることを知っていたのだ。

 月虹姫の目から、孤月の力が及ばなくなったのも、3週間前だ。


 ゆえに――もう、戻れない場所まできてしまっていた。

 命を掴んでいるのはコトだと、鴉は信じている。だからこそ、裏切れば王の妹姫だろうとタダではすまないだろう。

 むしろ、見せしめに殺されるのかもしれない。


「すべては、あの半妖の娘のせいなのです。もしも私が死んでも、それはすべてあの娘のせい……」

「銀子のせいだと本当に思っているのなら、お前はなにも見えていない。カガネのことも、銀子のことも……私のこともな」


 驚くほどにおだやかな声を発した占部は、それでも怒りをまとっていた。

 龍の逆鱗にふれたように。


「お前が銀子のことをどう思おうが私は関係ない。好きになれとも言わない。だが、お前よりは優しい娘だよ。銀子は。苦難にも負けず、傷ついても傷ついても誰かのせいにしない。すべて、自分で背負おうとしている。だから私はあの娘を守るんだ」

「私が間違っているとでも? 占部様。すべては本当のことでしてよ。この世界はきれいなものだけではありません。目を背けたくなるほどの汚いものもあるのです」

「だからだ。まだ分からないのか。お前は。銀子はそれを知っていて、それでも鵺の森を守りたいと言っているんだ。お前は守れるのか。お前が言う汚いものをも」


 コトは顔色をすうっと変え、真っ青になった。

 銀子の覚悟。

 それをコトは踏みにじったのだ。

 だが彼女はそれを知って、後悔したのではない。


 なにを言っても、もう占部から銀子を取り戻せない、と知ったのだ。

 銀子の呪いにかかったのだ。

 半妖の呪いに。


 占部の守護が、コトにむくことはもう――ない。


「占部様。占部様も……あの娘の呪いにかかってしまわれたのですね。解くことのできない、永遠に続く呪いに」


 力なく呟いたコトは、裾をすっとかえして広間から出て行こうとしたところを止めたのは、カガネだった。


「銀子を殺すな。あの娘はお前をも守るのだぞ。お前の立場は今こそ、危うくなったのだから」

「……!」


 カガネの、緋色の目はコトにむけられている。

 そして、知っているのだ。

 コトも、鴉と繋がってしまったということを――。


「それとも、コト。お前は死ぬ覚悟があるのか。死は、すべてを無に帰す。お前がお前であった意味も、意義も、すべてを失わせるのだ」

「……兄様はなにも分かっていないのです」


 それだけ吐き捨てると、コトは再び裾をひるがえし、広間から出て行った。


 残されたのは、いまだ困惑している様子の大勢の采女たちと、黙り込んだ占部とカガネだった。


「強情な女だ。波達羅盈も――あれも」

「どうする、占部。このままだとあの餓鬼どもに喰われるぞ」

「……信じるしかないだろう。もう、こうなっては。銀子は札を持っていると言ったな。餓鬼は光を恐れる。うまくやれば……おそらく」


 そう言った占部の表情は苦痛にゆがんでいた。

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