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鵺の森  作者: イヲ
第十章・ユキサの主
83/129

十一、

 ここに放り込まれて、どれくらいの時間を過ごしただろう。

 時間の感覚がわからなくなっていた。

 それでも、お椀を無理矢理おし込まれてから、おそらくそれほどたっていない。

 銀子は衣擦れの音を聞き分け、体を硬直させた。


 波達羅盈だ。


「なにをしにきたの」

「あれからどれほどたったと思う?」


 歌うように、彼女はささやいた。

 分からなかった。時間の感覚がもう、麻痺をしていたからだ。

 それでも、ここにきて一度も食事や何かを飲むということはしていない。

 不思議とお腹もすかないし、我慢出来ないほど喉が渇いたと言うこともなかった。


「おおよそ、二週間だ」

「……!」


 息をのむ。

 それほどまでの間、ここにいたとは到底おもえない。


「そういう場所なのだよ、銀子。しかし二週間の間、助けもなにもこないとはねぇ……。まあ、占部はこちらに来ることがでいないのだから、そなたの味方は誰もいないであろうよ」

「……だれかに助けてもらおうなんて、思っていないもの。私はいつだって助けられてきた。だから、私は私が守ってみせる。そうしなくちゃ……私は生きているって言えないから」


 波達羅盈は冷めた目で銀子をみおろした。

 それは、なにかを信じていないような目だった。


「生きている? そなたは、そなた自身が生きていると言うのか。なんておこがましいのだろう。そなたは守られなければいつ死んでもおかしくないのだぞ。自分の力で生き抜くことができぬものが言う言葉ではないだろう」

「そうだよ。私はずっと守られてきた。大事に、大切にされてきた。みんな私を守ってくれた……。だから、そのひとのために私は死ねない」

「まだ殺さぬよ。銀子。殺すのは、月虹姫が死んだあとだ。強すぎる力は、鵺の森の脅威になる」

「……」


 銀子は気丈に歯を噛みしめた。

 波達羅盈はそれをたのしむように、喉の奥でわらい、扇をとりだした。

 うつくしい、金粉をまき散らした緋色の扇。

 それをすっと銀子へむけた。

 そこから、かすかな光を帯びた蝶がふわりと舞い込む。

 黄色の鱗粉をまき散らしながら、あるじたる波達羅盈の意をくむように、ゆらゆらと揺れていた。


「……」


 銀子はそっと足をさげた。

 その蝶がよくないものを運ぶと本能的に理解したのだ。


「少々強引だが、そなたの心をもらい受けるぞ。なに、なにも恐ろしいことなどないよ。ただ、なにも感じなくなる、お人形になるだけなのだから……」


 波達羅盈が「ふっ」と蝶に向かって息を吹きかけると、銀子の胸に蝶が吸い込まれるように消えた。


「……!!」


 体がびくりと跳ね、銀子は意識が遠のくのを感じた。

 そして、最後に浮かんだのは――占部の哀しそうな表情だった。





「よしよし。うまくいったな」


 満足そうに倒れた銀子を見下ろした波達羅盈は、しゃがみこんで銀子の顔をみおろした。

 

 そしてー―ぎくり、と顔がこわばる。

 その顔には孤月とおなじ、入れ墨のような赤い紋様が色も鮮やかに這っていた。

 まるで蛇が這うように。


「これは……那由多か!!」


 叫んだ波達羅盈は、悔しげに爪を噛んだ。

 だが、たしかにこの手のなかに銀子のこころは眠っている。

 心がこちらのものになれば、いいように扱うこともできるだろう――。

 遅かったのだ、これは遅かったのだ。と波達羅盈は心中でくりかえした。


 なぜ気づいたのか?

 那由多はまだ、あの命さえ凍りつく場所で眠っているはずだ。心も、体もまだ完全ではないはずだ……。


 波達羅盈は捕らえた銀子の心を具現化した「白い蝶」を鳥籠にいれ、那由多のことを忘れようとした。

 だが、それはできなかった。

 まるで、捕らえたのが自分の心だったかのように。

 

 ふっと、波達羅盈の目の前に、白い鳥が横切った。


「!!」


 瞬間、波達羅盈の体がふるえる。

 招いていない(・・・・・・)はずだ。

 

 鳥は、ちいさかった。まだ幼い鳥だ。しかし、強い――とても強い力を感じる。

 白い鳥は、目は緑色だった。


「那由多!! 貴様……」


 片膝を立て、波達羅盈は供も呼ばずにただ叫んだ。

 その声は、恐怖と混乱を招いた。

 おなじ顔のふたり。だが、圧倒的に力の差では波達羅盈のほうが強い。

 しかし――しかし、恐怖するのだ。

 その存在に。

 闇と闇の、おなじであるはずの存在に。

 那由多のほうが、深い。

 混沌だ。

 ヨモツヒラサカの闇よりも、暗いのだ。


「……許さない。赦されないことをしたね。波達羅盈」


 白い、ちいさな非力な小鳥はくちばしをとじたまま呟いた。

 波達羅盈はその鳥をにらみつけ、後ろ手に鳥籠を隠した。


「わたしの性格は、きみがいちばん知っているはずだ」

「黙れ! わたしは、おまえの言いなりにはならぬ!」

「そのつもりは一切なかったけれどね。きみはわたしを恐れるあまり、そんな幻影を見ていたんだ。まだ間に合う。銀子の心を返すんだ」

「ならぬ」


 苦虫をかみつぶすように呟いた波達羅盈に、小鳥はそっと息をついた。

 那由多から見れば、波達羅盈はだだをこねているようにしか見えなかった。


「なぜ、きみはそんなに鵺の森にこびを売るんだろうね。恐ろしいのかな? 銀子が」

「……銀子は半端者だ。人間ではなく、妖怪でもない。その意味を知らないとは言わせぬぞ」

「やはり、そうか……」


 かなしげに囁いた那由多は、すぐに次のことばを紡いだ。


「では、銀子の母は孤月の君だね。だが、銀子の母が誰かなどと、どうでもいいことだ。わたしが許せないのは、銀子を贄にしようとすること。半端者で強い力を持っているということだけで、きみはえらんだのだろう。―ー月虹姫を殺すための人形に。きみは恐れたんだ。嫌われることを。疎まれることを」


 那由多のことばが、波達羅盈の胸に突き刺さった。

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