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鵺の森  作者: イヲ
第十章・ユキサの主
82/129

十、

「やはり、言霊をもつ娘はいうことを聞かないねぇ」


 たのしそうに波達羅盈は囁いた。鬼百合のような、壮絶な笑みをうかべ、男を見た。

 男は申し訳なさそうに、頭をたれている。


「申し訳ありません」

「よい。時間はそれほどないが、ほかの手は考えてある」

「は……」

「わたしが直々に、術をほどこしてやろう。孤月が邪魔をしないかぎり、うまくいくだろうからね」


 だが、波達羅盈はわかっていた。

 あの孤月はすでに気が狂っている。

 鵺の森のためなら、自分の娘でさえも「使う」だろう。

 孤月が愛しているのはあの人間だけだ。

 銀子など、愛してはいない。そういう狐だ。あの女は。だからこそ、あまり脅威ではないだろう。

 ほんとうに脅威なのは――那由多だ。

 今はおとなしく養生しているが、銀子がこの「かがり」に連れ去られたと聞いたら、ただではすまない。

 その前に、波達羅盈の言うことをよく聞く人形にしなくては――。


 すっと波達羅盈はたち上がった。

 この男は彼女の人形だ。

 波達羅盈に絶対の忠誠をおくものだからこそ、あの大広間に入ることもできるのだ。けれど、それでも実体ではなく、力も持たないただの魂の存在なのだが。


「今すぐ、でございますか。波達羅盈さま」

「そうだ。もっとも、ほんとうは時間をかけてゆっくりと術をかけるものだが、まあ――壊れたら壊れたで仕方があるまい。どちらにせよ、わたしのよい手足になるだろう……」


 くっくっと笑い、波達羅盈は扇を手にして、ゆっくりと歩いた。

 もう、そのときには男の姿かたちはどこにもなかった。






「銀子が、かがりへ連れ去られた、だと?」


 カガネが御簾ごしに声を荒げた。

 大広間の両脇にすわっている采女(うねめ)たちもざわつく。


「波達羅盈の仕業だ。おまえ、波達羅盈のことを何か知っていないか」

「よもや、あの玄狐の娘だったとは……」


 ひとり呟いたあと、カガネが御簾のむこうで立ち上がる仕草をした。

 まわりの采女たちが「カガネ様」と叫んだが、彼はそれを無視して御簾から占部たちがいる場所へ向かってきた。

 采女たちは額を床に落とし、肩をふるわせていた。


「銀子のためにぼくがしてやれることは何もない。ぼくは鵺の森の王だ。たったひとりの娘のために、なにかをするということはできない」

「そう言うと思ったよ、カガネ。だがな、恩を仇で返すつもりか?」

「占部、このぼくを脅すつもりか。鵺の王たる、このぼくを」

「脅して銀子が助かるのなら、いくらでも脅してやるさ。私は銀子を助けたい。ただそれだけだ」

「……。占部。お前、もしや……」


 カガネは額にふれるように黒い二本の角に触れ、目を閉じた。

 なにかを、ゆめを見るように。

 占部のうしろには暁暗がいた。表情をかためたまま、なにを考えているのか分からない。


「いくらぼくが鵺の森の王だとしても、ユキサの一族には手をだせない。何故なら、表では鵺の森を守っているということになるからだ。この森を守る存在に、罰を与えることはできない」

「ユキサの一族は、裏では妖怪たちを殺していますよ。カガネさま。力を持ちすぎた、かわいそうな妖怪たちを」

「知っている。ぼくが知らぬと思っていたのか? 化け狸」

「ならばなぜ罰しないのです」


 カガネは不自然なことばを聞いたように、頭をかたむけた。


「なぜ、そんなことを言う。暁暗と申したか。それは自分を罰せよと言っているようにも聞こえるぞ」

「真実ですから。俺も、たくさんの妖怪たちを殺してきた。人間でさえも。罰せられるべきです」

「……罰せられることで逃げられると思ってはいまいな?」

「どうでしょうね。……それより、今は銀子のことです。銀子をカガネさまが助けることができないのなら……」

「那由多を目ざめさせるほかないだろうな」


 幾重にもかさねた美しい布を床にひろげて、カガネはすわりこんだ。

 采女たちはいまだ、頭をさげている。


「あれからおおよそ3ヶ月がたった。まだ、半分だ。那由多はまだ、完全ではない」


 きっぱりとカガネは言ってから、「しかし」とさらに続けた。


「ぼくが何とかしよう。こう見えてもそこのユキサの一族よりは力を持っている」


 いやみっぽく言ったカガネは、暁暗を見もせずにいまだ幼さの残る手を、采女たちへと差し出した。


(つるぎ)を持て」


 御簾のいちばん近くにいた女官に似た采女は、ちいさく返事をし、すぐに金色に輝く鞘に入った剣をしずしずと渡した。

 占部はその意味を知り、すっと目を細めた。


「ぼくの血を那由多に分け与えればいい。あと三ヶ月も待てはしないだろう」

「そうだな。いつ、波達羅盈が動くか分からない。礼を言う」


 カガネにとって、那由多は「あるじ」と言っても過言ではない。

 無論、誰にも――占部以外は知りはしないであろうが、表の王がカガネならば、裏の王は那由多だ。

 裏の王でなければなしえぬ事も、那由多はしてきた。

 それはきれいな事では、決してなかったのだろう――。


 カガネは剣を素手で握り、したたった血を小瓶に入れて占部に渡した。


 その意味を、采女たちは知りもしない――。




 ことばを忘れてしまいそうになる。

 それくらいに長い時間がたったような気がしてきた。

 漆塗りのお椀は倒れたままで、銀子はすこし疲れて母に背をむけ、檻の前に座り込んだ。

 麻の着物のなかで、かさりと札の音がした。

 だめだ。まだ使わない。

 銀子の思いに呼応したのか、札はほんのすこしだけ、熱を発した気がした。


 そして――ゆっくりとした、衣擦れの音が銀子の耳に入った。

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