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鵺の森  作者: イヲ
第十章・ユキサの主
78/129

六、

 最初は――そう、最初はなにを言っているのかわからなかった。

 けれど、どこかではっきりと分かってしまった。

 なぜ、あんなにもたやすく捨てられたのか、あんなにもたやすく鵺の森にこれたのか。

 人間は、鵺の森にくるにはひどく難しいと言っていた。

 けれど銀子は――あの赤鬼に手を引かれただけで、すぐに鵺の森にくることができた。

 それがなぜなのか。

 こころのどこかで引っかかっていた。

 ふつう、人間を簡単に捨てることはできない。学校にも行っていたのだから、いきなり銀子だけいなくなるのは不自然だ。だれかが警察に相談するだろう。

 いま、人間の世界がどうなっているのか分からない。

 銀子を捜索しているのかもしれないし、ちがうかもしれない。

 でも、それも両親が見通せられたことだ。

 警察に事情を聞かれるかもしれない。それは、祖母のプライドがゆるさないだろう。

 

 そこで、やっと銀子は答えにたどり着いた。


 すべて、銀子にとって「まったく違う意味の過去」だったのだ、と。



「利口な娘だ。すべて分かったのだな? 那由多も、占部も知らぬ孤月との秘密を」

「分かったよ……。私は、人間じゃなかった……。人間の世界にもいなかった。私がいたのは……ここだった……。真っ白なだけの空間。そして、ギンイロがいた海……その海で、私とお母さんは秘密をギンイロに託した……」


 人間の世界にいたことにすれば、銀子はまだ苦しまないでいられる。

 それでも、年頃になったら鵺の森に行かなくてはいけなかった。

 人間の世界で半端者はいきられないから……。

 だから、捨てられたという気持ちと記憶、母親の思いと記憶を封じたのだ。


 半端者ということばが哀しかった。

 人間でも妖怪でもない、どっちつかずの存在。

 せめて人間だったなら、せめて妖怪だったなら。

 今のこの、どうしようもない気持ちはなかっただろう。


「そなたの母に会わせてやろう。ついてまいれ」

「おかあさん……?」


 そっとまぶたの裏をかけぬける母の姿と、偽りの、鬼のような形相の母の面影。

 銀子には、どちらがほんとうの母親なのか、分からなくなっていた。

 頭では分かっている。

 黒い髪の毛がうつくしい、桜の息吹のような彼女が銀子の母親だ。

 けれど、学校から帰ってきて「おかえりなさい」とほほえんだ表情の母も、忘れられなかった。

 たとえそれが――銀子を守るため、母がほどこした、呪術であっても。


「どうした? おのが母に会いたくはないのか? 銀子」

「……私はもう逃げない。会わせて。波達羅盈」


 にっと笑った彼女は、打ち掛けをするすると廊下を這わせて、銀子を促した。

 


 白いのに、暗い。まるで真逆の空間のなかに、波達羅盈が立ち止まる。

 手前には、金色の襖が立ちはだかっていた。


「この奥に、そなたの母がいる。さあ、手をかけよ。わたしはここにいよう。親子水入らず、ことば(・・・)を交わすがよい」


 そのときの彼女は、冷めた瞳をしていた。銀子は見てはいなかったが、かすかに感じた。

 波達羅盈は、なにかを隠している、と。

 それでも、もう後ろをふりむけない。

 ふるえる手で、そっと襖を開けた。襖のむこうの空間は、ぽっかりと穴が空いているようだった。

 暗い。

 銀子はそっと足を踏み出して、ほんとうに床があるのか確認する。無論、そこには床があった。

 一歩、踏み出す。

 すると、燭台が一斉に炎をうみだした。

 まるで、歓迎するように。

 ぐっと胸元で手をにぎると、明るくなってもまだ奥が見えない、おそろしく広い広間をあるく。


 (お母さん。私の、ほんとうのお母さん……。)

 (あの影は、私のお母さんだった。若桜のたくさん植わっている、広い場所でひとり立っていた、あのひとは。)


 やがて銀子がおとなうたのは、洋風の、重厚なカーテンが下がっている場所だった。

 このなかに、母がいる――。

 銀子は、そっと重たいカーテンを引いた。


「……!!」


 そこに存在していたのは――。

 真っ白な顔、黒くうつくしい髪、そして――きれいな黒い着物を着た女性だった。

 まつげは黒く、くちびるは赤かった。

 そして、まじないなのか、顔中に赤い刺青のようなものがほどこされていた。

 とてもうつくしい――女性。

 みずみずしい葉から、朝露がこぼれおちるような。


(銀子。)


「!」


 びくりと体がふるえる。けれど、その声はどこかで聞いたことがあった。

 あの桜のある場所で語りかけた、あの女性の声だ。


 (ようやく、会えましたね。銀子。わたしの、たったひとりの娘……。)


「お、かあさん……? どうして? どうして、お母さんは動かないの?」


 (わたしはもう、死んでいます……。死んでいるのです。)


「死んで……いる? そんな……。でも、声が……」


(これは、わたしが死ぬ前にかけたわたしへの呪い。わたしは死ななければならなかった。その代わりに魂だけをこの体にとどめておく術をほどこしたのです。)


 体に魂をとどめておく。

 それは、生きているということではないのだろうか?

 いや、ちがう――。魂だけでは、体は動かない。


(すべては銀子。あなたのために。)


「え……?」


(どうか、鵺の森を救ってください。月虹姫の欲望を満たしてはいけません。そのために、私はあなたを産んだのだから……。)




 銀子は、こころのどこかが崩れてゆくのを感じた。

 鵺の森を救うために。


(それだけのために、私は生まれた……。)


 それでも、どこかで安堵するようなこころもあった。

 なぜなら、占部とおなじだったからだ。

 占部のきもちが、すこしだけ分かるようになるかもしれない、という黒ずくめの希望だった。

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