四、
葛籠の姉は働き者で、彼が幼くしてなくした親の代わりに朝な夕な働いた。
しかし、無理がたたって床に伏せったのが10年前。
そのまま、葛籠に謝りながら死んでいったのはその一年後だった。
そしてその様子を見ていた月虹姫が、自分のもとで働けば、姉を生き返らせてやろうと笑った。
葛籠は、その悪魔の手を取ったのだ。
死したものは、月虹姫でさえ連れ戻すことはできないのだ。
食べ物をたべたものは。
それをしらずに、葛籠は必死に働いた。たくさんの妖怪たちを殺してきた。
そして、今から一ト月前に知った。
月虹姫から聞いたのだった。
おまえの姉はもうよみがえらない。
いや、最初から死者は私でさえも連れ戻すことはできないのだ、と声高らかに笑ったのだ。
それが真実だと分かった葛籠は、すでに死んでいたのだ。こころが。
姉に、腕をつかまれた。やさしい力で。
もういいのよ、とやさしい微笑みで。
そして、――葛籠は満ち足りたおもいで死した。
それが幸福だったのかは、占部も銀子もわからない。
もう、いないのだから。
葛籠は、高台の墓場に埋めた。
だれにも見つからぬように、そっと。
「……葛籠」
「哀れにおもうのはやめろ。それが葛籠にできる唯一のはなむけだ」
「うん……」
高台に立つふたりは、蝉の声をきいていた。
木々はむこうがわに生い茂っている。高台は、芝だけが生えていた。そこを掘り返して、石をおいた。
ちいさな石だけれど、墓標として知っているのはふたりだけでいい。
銀子はしゃがんで手をあわせた。
占部はなにもしない。ただ石を見下ろしているだけだ。
「戻ろう、銀子」
「うん」
林のなかを歩く。
ゆっくりと、銀子の足を気遣いながら。
ことばはなかった。
ただ、蝉の声を聞いた。かなかなと、ひぐらしがないている。
「銀子」
かさ、と銀子の足もとから草の音が聞こえた。
占部がそっと彼女の腕をとり、そこから遠ざける。
「?」
ちいさな影。
まるまるとしたたぬきだった。
「暁暗? 暁暗なの?」
「そうだよ、嬢ちゃん。占部どの、ひさしぶりだね」
「何の用だ。暁暗」
くるりとその場で一回転すると、ヒトのかたちをとった暁暗は、すこしだけ疲れているようだった。
それでもくちびるを曲げて笑ってみせると、銀子を見下ろした。
「嬢ちゃん、この前は悪かったね」
「ううん。暁暗が助けてくれたようなものだよ」
「おまえ……ユキサの一族だったんだな」
「そうだよ。占部どの。ユキサの一族といっても、俺は比較的自由にやらせてもらっているけどね」
「……波達羅盈は銀子をどうする気だ……」
うめくような占部のことばに、暁暗は眉根を寄せた。
疲れた顔が、よけいに顔色が悪く見える。
「銀子。銀子は、ほんとうのことを知りたいと思うかい」
「……ほんとうのこと?」
声が無意識にふるえる。
占部は獣のように唸って、暁暗を睨んでいた。
「占部どの。占部どのが銀子のことを大切に思っていることは分かっているよ。でも、銀子には真実が必要だ」
「なぜだ……。なぜ、銀子ばかりを傷つける。真実がヒトを傷つけることもあるだろう」
「それも、必要なことだよ。まだ、俺からは言わない。そう約束しているからね……」
約束しているのは、だれだろう……。
ぼうっとする頭で、暁暗を見上げた。なぜだろうか。自分のはなしをしているのに、どこか他人事のようだった。
「私のしらない私をしっているの……。暁暗は」
「そうだね。でも、安心していい。いずれ、知ることになることだろうから。占部どのも、銀子の過去はしらないだろう。鵺の森とつながっている占部どのさえも知らない、鵺の森の秘密だよ」
「銀子になにをさせるつもりだ」
暁暗はすっと目を細めて、肩で呼吸をするように動かした。
「銀子は、傷つかなければならないだろう。だが、その代わりにつぐみ以上の力を手に入れることになる。おそろしい、呪いの力をね……」
「呪いの力だと! 知っていて、おまえは知っていてなおも銀子に力を押しつけるというのか!」
「占部。私はだいじょうぶだよ……」
ふらふらとするような、倒れてしまうような声。
銀子自身も、自分がなにを言っているのかわからないのだろう。
それでも、おそらくそれは真実だ。
彼女はそういう娘なのだから――。
「私、鵺の森が好き。みんな、やさしいもの。でも、やさしいひとだけじゃないことも知ってる。だから、守りたいと思う」
「嬢ちゃん。ありがとう。嬢ちゃんがそう言ってくれることが、どれほど俺たちを救ってくれるか……」
占部のこころのなかは、嵐のように荒れ狂っていた。
このやさしい娘を犠牲にしても、鵺の森を守る価値があるのだろうか――と。
守るのは、自分だけでいい。
傷つくのも、占部だけでいい。
そう思っていたのに、そのこころのなかに、少女が入ってきた。
そしてやさしい温度で、占部を癒やした。
だが――それに甘えた結果がどうだ。
銀子は呪いの力を発現し、つぐみとおなじ道をたどってしまっている。
彼女の力は暴走し、そしてつぐみ自身を殺してしまった。
「嬢ちゃん。今宵、またむかえにくるよ」
「暁暗!!」
暁暗はくるりと一回転して、占部の制止をふりきるように林道を駆けていった。
銀子の手が、そっと占部の袂をひく。
その手はふるえていた。
「占部……」
「言ったはずだ。私がおまえを守ってみせる。波達羅盈のところにも行かせない。ユキサの一族にも渡さない。おまえは私の……」
そのことばの先を、ぐっと飲み込んだ。




