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鵺の森  作者: イヲ
第十章・ユキサの主
75/129

三、

 波達羅盈は白いお社のなか、ひとり彷徨うように歩いていた。

 けれど、その足取りははっきりとしていて、どこへ行こうとしているのか、分かっているふうだった。


「ようやく、このときがきた」


 ふっとちいさな葉が風にふくように、彼女は呟いた。

 厳重な鍵と術をほどこした場所。

 そこに波達羅盈が手をふれると、そこはいともたやすく封印がとかれた。


 その場所は、ひどく広かった。

 この森の王の部屋よりもはるかに大きい。

 ゆっくりと波達羅盈は歩いた。

 歩くたびに、まわりにおいてあるハゼから作った燭台に火がともる。



 そして、やがてたどりついた場所は暗かった。燭台も行燈もなかった。


「ようやく、銀子も自覚したようだ」


 洋風の赤いカーテンのむこうに語りかける。

 彼女(・・)はなにもいわない。あたりまえだ。死んでいるのだから。


「おまえとしても、嬉しかろう。孤月(こげつ)


 死んでいるはずのそれが、のそ、と動いた。

 波達羅盈は目を見張って、それでも――くちびるをゆがめた。


「憂うのか? 孤月。よかったではないか。銀子も自覚をすれば、そなたを認識出来るのだから。いや――。親に捨てられたという記憶を植え付けた(・・・・・)そなたは、やはり憂うにあたいするのだろうか? まあ、わたしはどうでもいい。月虹姫を殺すため、われらは本格的に動く。孤月。そなたはもう死んでおる。なにかをしようとするでないぞ」


 にいっと笑い、波達羅盈はそこから立ち去った。

 きつく、焼くような痛みを背に感じる。

 やはり、死んでからも奴は力がある。那由多、占部以上に――。




「波達羅盈さま」


 そっと、影のように寄り添う男がぼそりと呟いた。

 この男も、ユキサの一族だった。


「どうした?」

「波達羅盈さま。鴉が動き出しました。おそらく、葛籠かと」

「葛籠か。奴など、放っておいてもよい。占部が殺すだろう。今度こそな(・・・・・)

「は」


 男は白い社から風のように消えた。

 のこされた波達羅盈は、さまざまな色をした組紐が風もないのに揺れ動くさまを見て、目をほそめた。


 うつくしい男、そしてうつくしい女だった。


 それも、過去のはなし。

 しかし、その力はいまだ残されている。残滓といっては大きすぎる、力が。






 銀子はねむった。

 すでに日は傾いている。

 このまま、今日は彼女は目をさまさないかもしれない。


 占部はじっと銀子をみおろした。

 すこしだけまだ肌は青白い。

 すっと呼吸をする。すると、翳ったにおいが占部の鼻をついた。


 あれは――葛籠だ。


 音もなく立ち上がる。

 竹林のなかにいるようだ。だがそれも、動かない。

 まるで、なにかを待っているように。


「しかたねぇな」


 覚悟というものがあれば、葛籠はその覚悟がある。

 死と生。

 そのふたつを選び取る覚悟が。

 銀子をのこし、占部はそっとその場所から立ち去った。



 竹林のなかには、ぼうっと立っているだけの葛籠がいる。

 幽霊のように、ただ立ち尽くしていた。占部がくると、ようやくその暗い目が彼へと動く。


「きたか。占部」

「仕方ねぇからきてやったよ。覚悟ができたんだろ。私が相手をしてやる」

「あの娘はどうした」

「お守りのテメェが問うか。あの女に襲われて寝込んでいる」

「そうか……」


 葛籠は疲れたような表情で、ため息をついた。

 占部の眉がかすかにうごく。「死相」というものが出ていたからだ。

 疲れ切り、自ら殺されるようにこちらに来たのだろう。


「死ぬ前に、もう一度会ってみたかったが……」

「死ぬ気か」

「どうあがいても、お前には勝てぬ。これまではあの娘がいたからどうにかなっていたがな……」


 ふっと、顔がかげる。今にも倒れそうなほどまで、顔色は青白い。

 おそらく、占部が本気を出さなくとも殺せるだろう。

 死にたがっていることを、占部は痛むほどにわかった。

 だが、しにたがっているものを殺すこと程、占部にとって嫌悪感をいだくことはあるまい。


「――殺されるためにきたってわけか……。迷惑だ。死ぬのなら、勝手に死ねばいい」

「お前は……あの娘が大事なのだな。だからこそ、その手を血に塗らせたくないのだろう」

「馬鹿を言うな。もう私の手はとっくに汚れている。今更ひとりやふたり、どうということではない」


 そのとおりだ、と思う。

 死にゆくものに、こころのなかを覗かれることになるとは、と失笑する。


 大切だ。

 あの弱き存在が。

 鵺の森の何をさしおいても、銀子が大事だ。

 その娘に、これ以上汚いものを見せたくはなかった。

 

 だが、もう遅い――。

 占部は、葛籠を殺すだろう。


 言うとすれば、「情」か――。

 この男を殺すことで、この男が救われるのならば。

 銀子がそうしたように。

 銀子の足を損ねたように。痛みを受けとるように。


「ひとつ聞こうか。なぜ、そんなに死にたがる? テメェは、ねがいがあったはずだ」

「……もう、無理だと分かったからだ。死んだ姉さまを、姫は生き返らせることを約束してはくださらなかった。今、姫様は自暴自棄だ。鵺の森をもなきものにしようとしている」

「そうだな」

「おそらく、鴉はもうすぐ崩壊を迎えるだ……」


 そのことばは、最後まで続かなかった。

 葛籠の体が傾き、血を吐き、地に落ちた。

 占部は反射的に空を見上げ、ぎりり、と歯を軋ませる。

 そこには何もない。だが、残滓があった。

 以前、那由多の洞窟にいた、顔の見せない鴉。そのにおいがした。


 葛籠は倒れ、すこしだけ咳をしている。まだ生きているのだろう。


「葛籠!」


 銀子の声が聞こえた。

 葛籠の死の気で起きてしまったのだろう。


「銀子、来るな」

「葛籠! どうして、こんな……」


 仰向けに倒れたままの葛籠は不思議そうに銀子を見上げた。

 焦点が定まっていない。もう、目は見えていないのだろう。


「その声……銀子、か」

「しっかりして! 私が……」

「やめろ。銀子。もう、いい。ねがいは果たされなかった……。だが、なぜだろうな。とても、清々しい……」


 強い口調で葛籠が制す。

 彼は、笑っていた。そして、分かっていたのかもしれない。

 彼自身の心がもう、すでに死んでいたと言うことに。


「姉さま……」


 葛籠の手を銀子が握りしめる。そして、彼はふっとほほえんだ。

 今まで見たことのない、やさしいほほえみだった。


「姉さま、……俺は、おおくの罪を……犯しました……。だから、そちらには、いけません……。けれど、俺は……」


 銀子の手を握りしめ、彼はもう一度、吐血した。

 彼女のほおを汚すが、銀子は気にはしなかった。


「葛籠……」

「だが、占部……貴様の手で終わらせて欲しかったものだ……」

「すまねぇな」


 ふっと、占部は皮肉そうに笑った。


 だがもう、葛籠はなにかを話すことはなかった。

 ただ、呆然とする銀子の呼吸の音が聞こえただけだった。

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