一、
「われわれ? 暁暗のほかにも、あなたに仕えているひとがいるの?」
「そうだよ。嬢ちゃん」
そのとき、お社について初めて暁暗は口を開いた。
焦げ茶の瞳は真摯で、銀子を心配しているようにも見える。
「われらは鴉と対をなす、ユキサの一族。鵺の森を占部とは反対に、裏から守ってきた。ユキサの一族は鵺の森の住人でさえ知らない、影の一族なのだよ」
「ユキサの一族……? 裏から守ってきた?」
分からないことばかりだ。
銀子は必死に考えようとするけれど、首のひりついたような嫌な感覚が邪魔をして、うまく考えがまとまらない。
「まあまあ、波達羅盈さま。銀子はいま、魂と体が別の次元にあるんです。ぜぇんぶ説明しようたって無理でしょう」
「うむ、そうだな。わるかった、銀子。ユキサの一族は簡単にいえば、月虹姫の敵だ。姫に家族や親しいものを奪われたもの、家族が鴉に成り下がって嘆いているもの、そういったものたちの集まりだよ」
朱色の扇をくちびるに当てて、波達羅盈はふ、とわらった。
「きみは呪者になってしまった。いのちを生むということは、呪われた子にしかできぬ、力なのだよ――」
「……なんとなく、分かってた。だって、草木をよみがえらせたあと、私の足はうまく動かなくなってしまった。それはきっと呪いなんだって……」
「嬢ちゃん。それでも、鵺の森を救ってくれたことは変わりない。足を犠牲にしてまで、嬢ちゃんは救ってくれた。そのとき、考えていたはずだ。なにをもってしても、占部どのをたすけたい、ってね」
「……!」
はっと、銀子の瞳が開かれる。
そうだ。
あのときは必死で分からなかったけれど、たしかにそう思っていた。
自分の身がどうなってもいい、と。
それは言霊の力だったのだろうか。
言霊の力は、呪いの力。だから、つぐみも――。
「暁暗も……だいじなひとを鴉に殺されてしまったの?」
「そうかもしれないね」
彼はそれだけしか答えてくれなかった。
波達羅盈を見ると、すこしだけ、苦笑いをしていた。
「暁暗は化け狸だ。真実を語ることなど、滅多にないことだよ」
「波達羅盈さま。なんてことを言うんですか。俺だってそんな嘘をついてばっかりじゃありはしませんよ」
「どうだかね。まあ、よい。銀子。そなたの過去は、そなただけのものではない。それをよくよく覚えておくように」
「え?」
銀子は、親に捨てられた。いともたやすく。
それだけのはずだ。彼女も、はっきりと覚えている。鬼のような形相の祖母。母。そして、冷めた目をした父。
それらに、銀子は鵺の森に捨てられたのだ。
これは、真実だ――。
それが――なぜだろう。
がらがらと音をたてて崩れ落ちてゆくように思えた。
その崩れ落ちていく音のかたすみで、だれかが笑っているように見える。
ふっ、と、気が遠くなったあと、彼女は目を開いた。
そこは、見慣れた天井だった。
「……占部……?」
銀子のとなりに、占部がすわっていた。
とても、険しい表情をしている。
「ああ、気づいたか」
「月虹姫は……」
「気が済んだのか、どっかへ行ったよ。おまえは――ただ、気を失ったわけじゃなさそうだな」
「ユキサの一族……波達羅盈というひとにあったよ……」
「ユキサの一族だと!!」
その単語を叫んだ占部は、黒い、喪服のような着流しを握りしめて、ぐっと歯を噛みしめた。
彼の表情はどこか、悔しさに滲んでいるような気がする。
「そうか……。見つかっちまったか」
「でも、暁暗は……」
「まさか、奴がユキサの一族だとは思わなかったよ。奴は化け狸だ。ひとの心を躱すくらい、わけもないさ」
「……」
こころのなかには、波達羅盈が言った「銀子の過去」のことがずしりと重たい石のようにのしかかっていた。
それでも、占部に言うつもりはない。
これは、銀子の問題だ。
占部にすがっても、どうしようもないということは分かっている。
「ユキサのユキは冬の雪。サは再来の再。冬が再びやってくる。そういう意味を持つ一族だ。決して――いい意味ではないだろうな。私も、ユキサの一族のことはよく分からないが――」
「うん……」
「首、赤くなっているな。悪かった。もうすこし早く気づいていれば……」
「いいよ、私の力が足りなかっただけだから」
銀子は首の赤みを隠すように、首をすくめた。
「呪い」
くちびるが、そうかたどった。無論、銀子の。
ぎくりと占部の表情がこわばった。
「この力は、呪いだね」
「後悔しているか」
「これは、こうなる運命だったんだよ。こうなるしかなかった。私が、呪いの力を受け継ぐしか……」
そうだ。
つぐみから受け継いだこの力。
呪われた力は、銀子の身やいのちを削りながら、発現させるのだろう。
(たぶん、月虹姫を殺せるのは、呪いの力だけ。波達羅盈も、呪いの力をもっているのかもしれない。)
そう思ったのは、ほんとんど本能のようだった。
「銀子」
不器用に、占部は銀子の頭にふれた。そして、ゆっくりと撫でてみせた。
占部の手はあたたかかった。
なにかを許してくれるような気もする。
銀子の、あのがらがらと音をたてて崩れた過去の光景。
あれは、何だったのだろう。
目をそっと伏せて、おもわず銀子は占部のせなかに手を伸ばした。




