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鵺の森  作者: イヲ
第九章・影がいない
72/129

十、

「なにをした」


 月虹姫は、しずかに問うた。

 占部をじっと見据えている。感情のかけらも見せない黒い瞳で。


「……さぁな」


 占部自身、「なにが」おこったのか、確信はしていない。

 ただ、暁暗のにおいがした。かすかに。

 あの化け狸は、だれかに仕えていると聞いたことがある。遠い昔だったから、忘れていたが。


 銀子はただ、からくり人形の糸が切れたように、畳の上に伏せっている。


「魂ごとなくなっている。こいつは今やただの人形よ。人形に私は興味などない。私がほしいのは、こいつの魂と力」

「そうか。テメェが欲しいのは、銀子の魂と力か。魂と力はこの世では同意。魂がなくなれば力は自然となくなる。私たちが見えなくなった精霊たちは、そのなれの果てだ」


 梅の精霊や氷の精霊とは、魂と力が切り離されてしまった、あわれな妖怪の果てだ。

 何者かに魂と力を千切られ、体をなくしてしまった妖怪たち。


「こいつが精霊どもとおなじようになるのも見たいけれど、私は力が欲しい。この娘の、『奇跡』の力を」

「奇跡? あの呪われたような力が、テメェは奇跡だとでも言うのか」


 吐き捨てるように、占部は呟いた。

 

 奇跡。

 あの力――生命を生み出す力は、呪力だ。

 いわば銀子は呪力をうむ、呪者になってしまった。

 

「呪いの力は術者を呪う。それが、奇跡の力だと?」

「奇跡よ。だって、命をうむことは、カミにしにかできないはずよ! あははは……!」


 獰猛な肉食獣のような瞳をもちながら、嗤った。

 あざ笑った、と言ったほうがよいだろうか。

 占部はそっと目を細め、そのぞっとするような形相で嗤う姿を見つめた。


 カミ――。


 占部のくちびるが、うごく。


 月虹姫が「カミ」と呼ぶ存在は、鵺の森自身のことを言っているのだろう――。

 那由多を地に落とし、翼を奪い、生と死を封じ込めた、鵺の森の意思。それを、月虹姫は「カミ」と呼んでいる。


「私はカミを超える! 鵺の森なんて、ほんとうはどうでもいいの! 私はカミになって、人間の世界と同化する。鵺の森と人間の世界の境界を消し去るの」

「消し去ってどうする。ここに住む妖怪たちは人間に殺されるだろう。人工的につくられた、鉄くさい武器でな」

「いいじゃない。もう、私はどうだっていい。あなたにだって、いいことのはずよ」

「……守る対象がなくなるから、楽になるってか? ああ、たしかにそうだ――」


 緋色の瞳がよっつある。

 燃えるような、深紅の色。それが、静かににらみ合っている。


 占部は、気の遠くなるほど昔から、ヒトの世界や鵺の森を守ってきた。

 だが今や、どうでもいいと思っている。

 守りたいものだけを守り、守りたくないものはどうでもいいと思っている。

 

 それだけでいいのか、と問われれば「おまえには関係ない」とでも言うのだろう。

 けれど、このままでいいのかと問われれば「よくはない」と答えるだろう。


 月虹姫のいうように、ヒトの世界と鵺の森の境界をなくせば、守るものはいなくなる。

 無論、自身もヒトに殺されるだろう。

 

 それが、お似合いだと思う。

 どっちつかずの龍には。


「それで? おまえはその境界をなくしてどうしたいんだ」

「おもしろそうだからよ。それだけ。私はもう、飽き飽きしているの。だから、あの人間を呼んだのよ。那由多にあっけなく噛み殺されてしまったけどね!」


 まるで愉快な喜劇を思い出すように、腹をかかえて笑って見せている。

 ただ、占部は冷静だった。

 燃えるような色の瞳とは反対に、月虹姫を冷え冷えと見据えた。


「私がこいつの力を手に入れられれば、カミにも勝る力になる」

「愚かだな。なにがカミだ。なにが銀子の力だ。月虹姫。テメェはこの世で一番愚かな存在だ」


 その言葉は彼女にはとどかなかった。

 ただ、ふいに思い立ったように月虹姫は幼いくちびるを開いた。


「そんなことはどうでもいいの。私が知りたいのは、どうしてあのひとは、あんな娘のことを大切におもうの?」

「……銀子は、そういう存在だ。嘘でぬりかためられた過去をもつ少女。それを慈しむことは当然の結果だろう」

「ああ……。そういうこと。その過去(・・・・)は、こいつは知らないのね。自分のことなのに、疑いもせずに。悲劇のヒロインを気取ってる! ばっかみたい!」

「銀子を愚弄するな!!」


 歯が軋んだ音が聞こえた。

 なぜ、銀子のことがこんなにも大切なのか分かりもせずに、ただ漠然と守ってきた。

 おそらく、考えたことなどなかったのだろう。

 守らねばならない存在――。那由多の言われたとおりに守ってきた。

 ただ、それだけだった。


 それだけではいけないと思い始めたのは、銀子が「呪われた力」を発現させた後からだった。

 占部は自分の意思で、思い始めたのだ。

 おしきせの意思ではなく――。

 だからこそ、愚弄するのは許さなかった。誰であろうとも。

 

 占部は、そっと横たわったままの銀子を見下ろした。

 いやみたらしくにやついた月虹姫の表情を見ぬふりをして。





「波達羅盈さん……。あの、もうひとつの理由って?」

「波達羅盈、でよい。銀子。わたしはこのとおり、現世(うつしよ)に体を持っていない。だからこそ、鵺の森の根っこをよく知っている――」

「根っこ?」

「そう。たとえば――月虹姫を木とするならば、その根まで届く――除草剤(・・・)のありかを」

「月虹姫の、弱点ということ……?」

「そう」


 波達羅盈はゆっくりとうなずいた。


「月虹姫は、鵺の森のカミになろうとしておる。それは断じて許せぬ事だ。だから、われわれは本格的に雑草を枯らすことにした」


 お社にきてから一言も喋らない暁暗を不思議に思いながら、波達羅盈のエメラルド・グリーンの瞳を見上げた。

 その目は、憎しみに満ちて、淀んでいるようにも見えた。

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