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鵺の森  作者: イヲ
第九章・影がいない
71/129

九、

 それから、おそらく――二週間はたっただろうか。

 ぞっとするような、季節はずれの冷たい風が吹いた。


 まるで、雪が降るような冷えた空気。


 占部は布団から飛び起きて、中庭がある方向を睨む。

 

(こんなに早くくるとは。)


 このにおい。

 この、汚れきったにおいは―ー月虹姫だ。

 うまく隠しているが、その残滓は決して隠せない。


 銀子はきづいているだろうか――。いや、愚問だ。きづいている。

 そして、警戒しているはずだ。

 数ヶ月前、背に傷をつけた張本人である月虹姫が、ここにいるのだから。





「だいきらい。おまえなんて」


 月虹姫は、ほほえみながらささやいた。

 銀子の首をまだ幼い手で締め上げながら。


「……っ」


 千早と緋袴を身につけた月虹姫は、ただただ笑んでいた。

 銀子の苦しげな表情をたのしむように。


「おまえなんて、死んじゃえばいいのに。どうしてあのひとは、おまえなんかのことを……」


 銀子は必死にその細い手首を掴むが、まるで成人男性のような力の前では、びくともしない。


 彼女は、月虹姫がこの屋敷に入り込んだことを知っていた。

 だが、占部に知らせる時間もなく、彼女はまっすぐこの窓のない部屋に来たのだ。

 なぜ、彼女が銀子の部屋を知っていたのかは分からない。

 姫にとってはどうでもいいことなのだろう。ことばは、紡がなかった。


 あのひととは、誰のことだろう――。


 銀子は薄くなっていく意識のなかで、そっと思う。

 赤い瞳が狂気にゆがんだ。

 そうだ。

 彼女は、この姫は――最初から、正気なのだ。

 狂っているんじゃない。

 そうでなければ、こんな目はできない。

 

「銀子!」


 黒くうつくしい髪の毛がふわりとゆれる。

 襖を開け放った占部を見上げ、くちびるの端をゆがめた。


「あれ……? もうばれちゃった?」


 くすっと無邪気に笑った月虹姫は、占部を見上げても銀子の首を絞める手をゆるめなかった。


 彼女の首を絞める力は、まるでゆっくりと効いてゆく薬のようだった。

 一気に意識を失わせず、苦しいまま、ゆっくりといたぶる。


 占部の声が聞こえる。

 けれど、なにを言っているのかは分からない。


「……っ、ぅう……っ」


 意識が遠くなってゆく。けれど、このまま意識を手放してしまえば、おそらく帰ってこれなくなる。

 せめて失わぬように、ぐっとくちびるを噛みしめた。

 血液が、すっと顎をつたう。


 占部がなにかを叫んでいる。

 目の前の月虹姫は、およそ少女がするものではない、壮絶な表情をしていた。


 笑っているのだ。

 けれど、決して狂っているわけではない。


「占部。どうしてこんな娘の肩を持つの? どうして、人間なんかを守るの?」


 その笑みをふっと消し、彼女はほんとうに分からないような表情をして、首をかたむけた。


「おまえには関係ない。関係があるはずもない」


 いきなり首から手をはなされ、銀子は激しくせきこんだ。喉がひりひりと痛み、背中をまるめて目をぎゅっと閉じる。


 その直後、「なにかが」銀子の腕をひいた。


 うしろを振り返っても、それはどこにもいなかった。いや――小さかっただけなのだ。

 下をみおろすと、たぬきがじっとこちらを見つめていた。黒くてすこし茶色い瞳。


「暁暗!」


 暁暗だった。

 彼は、くるりと回転するとヒトの姿になった。

 緋色の羽織はもう肩にかけておらず、ただ焦げ茶色の麻の浴衣を着ていた。


「あぶなかった」


 暁暗は膝を床において、銀子をじっとみつめた。


「え……」


 今、きづく。

 ここは、銀子の部屋ではなかったのだ。

 ただ白く、時折緋色や、さまざまな色の組紐のような太いひもがゆらゆらとゆれている。

 ここは、どこだろう。

 銀子は立ち尽くしたまま、ぼうっと広い空間を見つめた。


「嬢ちゃんの体は、置いてきてしまったよ」


 申し訳なさそうに、暁暗はつぶやく。


「ど、どういうこと?」

「俺のあるじがね、きみに会いたいと言っているんだ。というのは建て前で、危なかっただろう? すまなかったね、もうすこし早くに助けられればよかったんだけど」


 答えになっていないけれど、問う気はしなかった。

 説明のしようがないのだろうから。

 

 暁暗は立ち上がって、ふっと遠くを見つめた。銀子もならうと、そこには立派で――とてもうつくしい社殿が建っていた。

 今まではなかったというのに、いきなり現れたようなその社殿を、呆然と見上げた。


「行こう。銀子。なにも取って食おうとするあるじじゃないから大丈夫さ」


 暁暗は手をさしだし、銀子はそっとその手をとった。

 その社殿はこの白い空間に融けてしまうような白さだった。

 まるで、白樺の木でできたお社のようだ。


 お社の中は、うつくしい色の御簾が垂れ下がっていた。

 その御簾の前には、座布団がふたつ、敷かれている。

 暁暗はどかっと座ると、銀子にも座るように目でうながした。


「危なかったわね。銀子。占部は気づいていたようだけれど、助けるのがおそくなってしまった」

「あ、あの……。あなたは?」

「わたしは波達羅盈(はだらえ)


 波達羅盈、と言ったまだ顔の分からない女の人は、御簾をきれいな扇でそっと上げた。

 御簾のなかにいるのに、彼女は顔をもったいぶらずに出した。

 

「なゆ、た?」


 那由多と、うり二つだった。

 たしかに那由多よりも女性らしさがあるけれども、緑色の目、とがった耳、長く真っ白な――雪のような髪。

 那由多の髪の毛はゆっくりとゆらいでいたが、彼女はすっと通るような、真っ直ぐな髪の毛をしていた。


 彼女も――白鷺の妖怪なのだろうか?


「那由多とわたしは、似ているかい?」

「にています。とても」

「そうね。わたしと那由多はよく似ている。けれどわたしは白鷺の妖怪ではなく、鶴の妖怪だ。この眉のあたりを見てごらん」


 さらっとした髪の毛が額をかくしていたけれど、波達羅盈は手でそっと額をみせた。

 そこには、赤いしるしがあった。

 たしかに、鶴のようだ。

 豪華な打ち掛けも、赤地に鶴の刺繍を施されている。


「そなたを呼んだのは、助けるためでもなるが、もうひとつ、理由がある」


 銀子はそっと、自らの首を無意識になでた。

 すこし、熱を持っていた。

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