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鵺の森  作者: イヲ
第九章・影がいない
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七、

 那由多の声は、たしかに銀子を安堵させた。

 一ト月以上聞いていなかった声。やさしい声色。


「那由多、半年もかかるって、ほんとう?」


(そうだね。それくらいかかってしまうだろう。けれど、これくらいですんだと思えば、そうそう長い月日ではないよ。)


「まったく、腕が鈍ったんじゃねぇのか」


(そうかもしれないね。)


 ふっと、どこかかなしそうにほほえむ気配を感じた。

 那由多は、この氷のように冷たい湖のなかにいる。姿形は見えないけれど、いるのだ。

 さみしいのだろうか。

 ずっと、半年もこんなところに閉じ込められて。


「ねえ、那由多。那由多は、ひとりぼっちじゃないよ。占部も、私もいる。ここは、冷たくてさみしい場所。でも、私はいつも、那由多のことを覚えているよ」


 銀子のちっぽけなことばは、那由多や占部のかなしみを取り去ることはできない。

 そんなことは分かっている。その氷は、とてつもなく硬いのだから。

 けれど、言わざるを得ない。

 あなたはひとりぼっちじゃないのだと。


(……ありがとう、銀子。そのことばだけで、わたしは救われる。)


「……那由多。なんのためにここに呼んだ? なにか、あるんだろ」


(今言ったとおり、わたしは当分ここから出られそうにない。……鴉には気をつけるんだ。なぜ今になって、不倶戴天がここに来ることが出来たのか、わたしは疑問だった。おそらく――おそらく、だが、月虹姫とつながっていたのかもしれない。)


「どういうこと!?」


(月虹姫は、そういう少女だからだよ。鵺の森とヒトの世界の境界を壊そうとしているのだろう。推測にしかならないけれどね。)


 境界を壊そうとしている――。

 そうしてしまえば、ヒトは妖怪がいる鵺の森を恐れ、危害を加えるかもしれない。

 けど、そうなっては月虹姫自身の身も危うくなるのではないだろうか。


「境界を壊せば、あの女の思う黄金郷(エル・ドラド)とやらが築けると思っているんだろ。すべてを我が手中にってな。――馬鹿馬鹿しい」

「……月虹姫は、そんなことを考えているの?」


(そう考えることができるほど、力を持っているんだよ、銀子。あの少女は、ねがいを叶えることができる力を持っていてなお、求める。底知れぬ、願望をもっているんだ。)


 ふたつの、別々の世界を無理矢理ひとつにして、その頂点に月虹姫がたつということだろうか。

 そんなことが、本当にできると思ってるのだろうか?


 狂っている、と思えばそれまでだ。

 けれど、狂人と捨てて切ることができるほど、銀子はあまりにもその少女のことを知らない。

 何を思って、そう考えるのかも分からない。


「銀子。あいつのことを分かろうとするな」


 占部のことばに、ぎくりと身体がこわばる。

 うん、と頷くことしかできずに、ただまるい水銀のような色をしている湖を見下ろしていた。


(占部。わたしがいない間、銀子をよろしく頼むよ。)


「分かってるよ……」


 彼はそれだけつぶやき、そっと立ち上がった。

 指先がかじかんでいる。銀子はそっと指先をこすって、もう一度那由多のいる場所を見下ろした。


(さあ、もうお帰り。銀子、占部。すまなかったね、こんな場所まで呼びたててしまって。)


「ううん、いいよ。那由多が生きていてくれて、うれしかったから」

「行くぞ、銀子」

「うん」


 那由多の声はもう、聞こえなかった。

 それでも、声を聞けてよかったとおもう。


 氷の精霊たちがこちらをじっと見つめていた。硝子のような剣をもって、まるで那由多がいる洞窟の番人のように、立っている。

 彼女たちがいる間は、きっと那由多はだいじょうぶだろう。

 入り口には、来るときに襲ってきた鴉たちの氷像があった。顔を恐怖におののかせたまま、凍りついている。

 銀子はそれを見上げてから、すぐに出口にむかった。


「……」


 空を見上げると、もう昼になろうとしているようだった。月は遠く、白い。

 初夏のあたたかい風が、銀子のかじかんだ指先をあたためた。


「銀子」

「なに?」

「朝言ったことは、謝る」


 みずみずしい、清らかな風。占部の角から垂れている緋色の幣が、風にのってなびく。


「朝言ったこと?」

「おまえに私の何が分かると、言ったな」

「あ、うん……」


 けれど、きっとそれは本当のことだ。

 だれにも、自分以外のひとの心のなかなど、分からない。

 自分でさえ分からないというのに、他のひとが分かろうとするなんて、もしかすると無駄なことではないのだろうか、とおもっていた。


 那由多の想いも、占部の想いも、銀子の想いも、みんな――。


「いいよ。だって、本当のことでしょう。みんな、自分の気持ちや想いで精一杯だから」

「……そうかもしれない。だが、それは不倶戴天のような人間のことだけだ。自分のことだけを思っているから、信じているから、ああいったことができる。すこしでも――おまえのような、気遣うことができる想いをもっているのなら、あんなことはできないはずだ」


 あんな、ひどいことを。

 自由があまりきかなくなった足を、一歩ふみだす。

 空を見上げて、白い、かすむような月をみつめた。


「悪かった」

「大丈夫。私は、占部が悪いなんておもっていないよ。……誰もわるくなんてない」


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