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鵺の森  作者: イヲ
第九章・影がいない
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六、

 あたりがかすかに暗くなった。

 この洞窟のなかは、それほど暗くはない。

 入り口はとても暗かったけれど、なかに入ってみると、どういうわけか暗くはなかった。

 

 男たちの足が一歩、さがる。

 なにかに怯えるように。


 カガネと占部は、男たちを見つめている。なにかがおこる、と銀子は理解した。

 冷たい風が、銀子のほおを駆けぬける。

 

 そして、彼女は見た。

 氷の衣を身につけた、氷の精霊を。彼女たちは手に透明な剣をもっていた。

 水晶のような、氷でできている剣。

 その存在を、彼らは見えないようだった。

 ただ、男たちは慌てふためいている。


「どうするんだ!?」

「くそっ!」


 カガネの瞳が、すっと細くなる。まるで、哀れむように。


「どうやら、進むことさえできなくなったようだな」


 無意味に叫んでいる男たちの足もとを見ると、その足は徐々に凍りついていた。

 命を削られるとは、こういうことだったのだろうか。

 氷の精霊たちは笑っていた。楽しそうに。


「占部……鴉たちは、どうなってしまうの?」

「さぁな。死ぬか生きながらえるかのどちらかだろう」

「……」

「助けるなんて、馬鹿なまねはするなよ。奴ら(・・)は好奇心旺盛だ。標的がおまえに移ることもある」

「やつらって、氷の精霊たちのこと? 占部は見えないんじゃなかったの?」

「見えねぇさ。だが、知っている。ここにいるってことは」


 びきっと音をたてながら、徐々に凍らされるさまは、恐ろしいものだった。

 氷はすでに肩まできている。

 すさまじいスピードで、凍っていた。

 氷の精霊たちは、なにかをうたっていた。


 眠れ、眠れ、母の胸に。


 シューベルトの「子守歌」だった。作詞は、内藤(あろう)。星の王子さまの訳を書いたひとり。

 母がうたっていた子守歌だと、思い出す。


 男たちが完全に凍らされたとき、カガネは、ふん、と鼻で笑った。


「眠らされたか。那由多にしては、甘い判断だ」

「……銀子がいるからだろ」


 カガネのことばに、当然のように答える占部は、つぎに洞窟の奥を見据えた。

 氷の精霊たちは、銀子のまわりをくるくると回っている。

 どうしたのだろう、と思っていると、その意味をようやく見て取れた。

 彼女たちはどこかへ導こうとしている。

 鳥は、この冷たい場所へは入れなかったのだろう。

 かわりに彼女たちは、那由多のいる場所へ導こうとしているのだ。


「まあ、こいつらもそのうち元に戻るだろ」

「……うん」


 この人たちは、那由多をなぜ殺そうとしたのだろう。

 月虹姫の意思ではなくて、この人たちの独断だと言っていた。だから、分かる日はずっと先だろう。

 氷はとても硬いから。


「カガネ。私たちは那由多のいる場所へいく。おまえはもう帰るんだろ」

「ああ。ここの冷たさはぼくにも辛い。那由多がお前たちを呼んだのだろう? だからこそこの洞窟はお前たちを受け入れたのだから」

「せいぜい、気をつけることだ」


 占部はそう言ってせなかをむける。

 そっけないことばだったけれど、カガネは驚いたように目を見開いた。


「珍しいな。占部。このぼくの身を案じるとは」

「ただの気まぐれだ。気にするな」

「そうしよう」


 彼らはせなかを互いにむけて、歩き出した。

 凍りついた彼らを一度見てから、占部のせなかを追う。

 この洞窟のなかには、なにもなかった。生き物や植物の姿が、まるで見受けられない。

 こんな冷たい洞窟なのだから、当たり前なのだろうけれど。

 だからこそ、とても人工的なものに見えた。


「占部、どうして那由多はこんなところにいるの?」

「……業ってやつだ」

「業?」

「那由多はいろんな罪や罰を犯し、そして受け入れてきた」


 しずかに語った。

 罪。罰。

 那由多はどんな罪をおかしたのだろう? 

 でも、銀子はどんな罪をおかしていても、那由多のことを憎めないだろうと、理解している。

 なぜなら、銀子を救ってくれたのは、だれでもない那由多だったのだから。

 いのちがまだ続いているのは、那由多のおかげなのだ。それをどうして憎めようか。


「あいつは、死ぬことを赦されていない、あわれな男だよ」

「え……?」

「……」


 占部はそれ以上はなにも語らなかった。

 那由多も占部も、孤独なのだろう。ずっとひとりきりで生きてきて、これからも存在し続けなければいけない。

 ふたりはふたりでいるのに。

 ひとりぼっちだ。

 まるで、那由多が占部を、占部が那由多を見えていないようだ。

 一緒にいるというのに。

 それほど、見えなくなってしまうくらい、こころが遠くなってしまっているのかもしれない。

 それも、銀子の想像にしかならないのだけれど。


 氷の精霊たちが、音もたてずに銀子たちを先導する。

 手にした氷の剣が、まわりの氷と反射してきらきらと輝く。

 やがて、開けた場所にたどり着いた。その先は行き止まりのようだった。


 氷の精霊たちは、この広場の真ん中にある、ちいさな湖のなかをのぞき込んでいた。


「こんなところに那由多がいるの?」

「ついてこい」


 輝く衣をふわっとなびかせて、彼女たちは道をあける。

 ちいさな湖のまわりには、木の杭がうたれ、ぐるりと糸を張られていて、そこに幣が垂れ下がっていた。


「このなかに、那由多がいる」

「このなか……? 湖のなかに?」

「そうだ」


 おそるおそる湖のなかを覗いてみるが、そこには暗い水銀のような水しか凪いでいなかった。

 那由多の姿はどこにもない。


「那由多……。きたよ。占部も一緒。あなたが、私たちをここに呼んだんでしょう?」


 たずねると、ゆらりと湖の水面がゆれた。

 まるで、銀子の問いに答えるように。


 (すまない。銀子、占部。このような場所に呼びたてて。)


 洞窟のなか全体がことばを発しているような、不可思議な残響が耳朶をうがつ。


「那由多! 那由多なの!?」


 湖に飛び込もうとする銀子の衿をまるで猫のように掴んで、占部はため息をついた。


「危ないだろうが。おい那由多。そのぶんだとおまえ、半年はかかるそうじゃねぇか」


(ああ。ふがいない。)


 那由多だ、と思うと、銀子は安堵したような、歓喜したような、久しぶりにきもちが高鳴ることに気づいた。

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