六、
あたりがかすかに暗くなった。
この洞窟のなかは、それほど暗くはない。
入り口はとても暗かったけれど、なかに入ってみると、どういうわけか暗くはなかった。
男たちの足が一歩、さがる。
なにかに怯えるように。
カガネと占部は、男たちを見つめている。なにかがおこる、と銀子は理解した。
冷たい風が、銀子のほおを駆けぬける。
そして、彼女は見た。
氷の衣を身につけた、氷の精霊を。彼女たちは手に透明な剣をもっていた。
水晶のような、氷でできている剣。
その存在を、彼らは見えないようだった。
ただ、男たちは慌てふためいている。
「どうするんだ!?」
「くそっ!」
カガネの瞳が、すっと細くなる。まるで、哀れむように。
「どうやら、進むことさえできなくなったようだな」
無意味に叫んでいる男たちの足もとを見ると、その足は徐々に凍りついていた。
命を削られるとは、こういうことだったのだろうか。
氷の精霊たちは笑っていた。楽しそうに。
「占部……鴉たちは、どうなってしまうの?」
「さぁな。死ぬか生きながらえるかのどちらかだろう」
「……」
「助けるなんて、馬鹿なまねはするなよ。奴らは好奇心旺盛だ。標的がおまえに移ることもある」
「やつらって、氷の精霊たちのこと? 占部は見えないんじゃなかったの?」
「見えねぇさ。だが、知っている。ここにいるってことは」
びきっと音をたてながら、徐々に凍らされるさまは、恐ろしいものだった。
氷はすでに肩まできている。
すさまじいスピードで、凍っていた。
氷の精霊たちは、なにかをうたっていた。
眠れ、眠れ、母の胸に。
シューベルトの「子守歌」だった。作詞は、内藤濯。星の王子さまの訳を書いたひとり。
母がうたっていた子守歌だと、思い出す。
男たちが完全に凍らされたとき、カガネは、ふん、と鼻で笑った。
「眠らされたか。那由多にしては、甘い判断だ」
「……銀子がいるからだろ」
カガネのことばに、当然のように答える占部は、つぎに洞窟の奥を見据えた。
氷の精霊たちは、銀子のまわりをくるくると回っている。
どうしたのだろう、と思っていると、その意味をようやく見て取れた。
彼女たちはどこかへ導こうとしている。
鳥は、この冷たい場所へは入れなかったのだろう。
かわりに彼女たちは、那由多のいる場所へ導こうとしているのだ。
「まあ、こいつらもそのうち元に戻るだろ」
「……うん」
この人たちは、那由多をなぜ殺そうとしたのだろう。
月虹姫の意思ではなくて、この人たちの独断だと言っていた。だから、分かる日はずっと先だろう。
氷はとても硬いから。
「カガネ。私たちは那由多のいる場所へいく。おまえはもう帰るんだろ」
「ああ。ここの冷たさはぼくにも辛い。那由多がお前たちを呼んだのだろう? だからこそこの洞窟はお前たちを受け入れたのだから」
「せいぜい、気をつけることだ」
占部はそう言ってせなかをむける。
そっけないことばだったけれど、カガネは驚いたように目を見開いた。
「珍しいな。占部。このぼくの身を案じるとは」
「ただの気まぐれだ。気にするな」
「そうしよう」
彼らはせなかを互いにむけて、歩き出した。
凍りついた彼らを一度見てから、占部のせなかを追う。
この洞窟のなかには、なにもなかった。生き物や植物の姿が、まるで見受けられない。
こんな冷たい洞窟なのだから、当たり前なのだろうけれど。
だからこそ、とても人工的なものに見えた。
「占部、どうして那由多はこんなところにいるの?」
「……業ってやつだ」
「業?」
「那由多はいろんな罪や罰を犯し、そして受け入れてきた」
しずかに語った。
罪。罰。
那由多はどんな罪をおかしたのだろう?
でも、銀子はどんな罪をおかしていても、那由多のことを憎めないだろうと、理解している。
なぜなら、銀子を救ってくれたのは、だれでもない那由多だったのだから。
いのちがまだ続いているのは、那由多のおかげなのだ。それをどうして憎めようか。
「あいつは、死ぬことを赦されていない、あわれな男だよ」
「え……?」
「……」
占部はそれ以上はなにも語らなかった。
那由多も占部も、孤独なのだろう。ずっとひとりきりで生きてきて、これからも存在し続けなければいけない。
ふたりはふたりでいるのに。
ひとりぼっちだ。
まるで、那由多が占部を、占部が那由多を見えていないようだ。
一緒にいるというのに。
それほど、見えなくなってしまうくらい、こころが遠くなってしまっているのかもしれない。
それも、銀子の想像にしかならないのだけれど。
氷の精霊たちが、音もたてずに銀子たちを先導する。
手にした氷の剣が、まわりの氷と反射してきらきらと輝く。
やがて、開けた場所にたどり着いた。その先は行き止まりのようだった。
氷の精霊たちは、この広場の真ん中にある、ちいさな湖のなかをのぞき込んでいた。
「こんなところに那由多がいるの?」
「ついてこい」
輝く衣をふわっとなびかせて、彼女たちは道をあける。
ちいさな湖のまわりには、木の杭がうたれ、ぐるりと糸を張られていて、そこに幣が垂れ下がっていた。
「このなかに、那由多がいる」
「このなか……? 湖のなかに?」
「そうだ」
おそるおそる湖のなかを覗いてみるが、そこには暗い水銀のような水しか凪いでいなかった。
那由多の姿はどこにもない。
「那由多……。きたよ。占部も一緒。あなたが、私たちをここに呼んだんでしょう?」
たずねると、ゆらりと湖の水面がゆれた。
まるで、銀子の問いに答えるように。
(すまない。銀子、占部。このような場所に呼びたてて。)
洞窟のなか全体がことばを発しているような、不可思議な残響が耳朶をうがつ。
「那由多! 那由多なの!?」
湖に飛び込もうとする銀子の衿をまるで猫のように掴んで、占部はため息をついた。
「危ないだろうが。おい那由多。そのぶんだとおまえ、半年はかかるそうじゃねぇか」
(ああ。ふがいない。)
那由多だ、と思うと、銀子は安堵したような、歓喜したような、久しぶりにきもちが高鳴ることに気づいた。




