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鵺の森  作者: イヲ
第九章・影がいない
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四、

 新月の日だった。

 銀子はそっと布団から抜けだして、庭にむかった。

 目が覚めたのだ。

 なぜだろう。だれかが呼んでいるような気がした。声も聞こえていないのに。

 月がでていない夜は、すこしさみしい。


 庭にでると、暗い空がひらけていた。

 真っ暗だ。

 月もでていないから。

 銀子の髪の毛が、風にゆれる。

 初夏の、すこしなまぬるい風がほおを駆けぬけた。


「だれか、いるの」


 おちた椿が、風にのってころころと転がる。

 紺の浴衣の裾も、足にもつれるようにゆれた。



 伊予姫は静かにたたずんでいる。

 彼女のほかに、だれかがいるような気配がした。

 風が軽やかにあそぶ音。

 銀子は息をのんで、その音をきいた。

 やわらかな風の音。空のおと。


「……」


 ちいさな鳥がいた。

 きれいな鳥。なまえもわからない、うつくしい鳥。

 きっと、それは夜だからだろう。

 月のない夜にきた鳥は、じっと銀子をみつめていた。

 夜目がきくのだろうか?

 その澄んだ瞳は、まっすぐ顔をあげている。


「だれ?」


 鳥が羽ばたいた。

 そして、銀子の肩にそっと降りたつ。

 けれど、そのやわらかな命は啼くことはなかった。

 その固いくちばしが開いても、なにも音をかなでることはなかった。


「あなた、声がでないの?」


 鳥は銀子のことばに同意するように、顔を上下にうごかす。

 そして、どこかにいざなうように、宙に舞った。

 空を旋回して、銀子を待っている。


「まっていて」


 彼女は反射的に、鳥がいいたいことを理解した。

 部屋に戻り、羽織をはおって、足袋をはく。まだ、夜はすこしさむかった。


 下駄を持ってこようと玄関にむかうと、扉をこんこん、とくちばしで叩く音が聞こえてくる。

 なんて利口なんだろう。

 銀子はそっと扉をあける。


「どこに行く」

「!!」


 ぎくりと肩がゆれた。

 占部の声だった。

 うしろを振り向くと、やはり占部がどこか不機嫌そうに立っていた。

 ぼさぼさの赤い髪をそのままにして、彼は頭をかいている。


「鳥が……」

「ああ? 鳥?」

「鳥がね、私を待ってる」

「なに言って……」


 鋭い瞳をすっと細めると、彼は眉間にしわを寄せた。


「そこにいるのは誰だ(・・)


 扉を半開きにしたままだったからか、鳥は占部を見上げている。うつくしい瞳が占部をじっと見ていた。


「この子、声を出せないみたい」

「……野菜はおまえの仕業だろう? 翡翠(ひすい)

「え?」


 占部が指をならすと、玄関に火が灯った。

 あかるい火で、ひすい、と呼ばれた鳥が姿をあらわす。


「あ……っ」


 翡翠は、翡翠(かわせみ)だった。

 きれいな、翡翠色の羽根。目が覚めるような色。

 銀子はちいさく息をのんだ。


「銀子。おまえ、どうするんだ」

「この子、行きたい場所があるみたい。ついてこいって言っているみたいだから」

「そうか」


 拍子抜けするほど、かるく占部はうなずいた。

 まるで分かっていた、とでも言うように。


「なら、行くぞ。そいつのあとを追えばいいんだな?」

「うん」


 銀子がうなずくと、彼はすこしだけ笑った。

 かすかなほほえみ。

 その笑みは、前のように自信に満ちたものではなかった。どこか痛みを抱えているような、繊細なほほえみをたたえている。

 彼女はそれをみるたび、胸の痛みを感じるようになった。

 それが何なのか、分からない。

 哀しみではない気がするけれど、はっきりと感じとることはできない。

 固まらない氷のよう。

 ゆらゆらとゆれて、どっちつかず。

 

「銀子」


 銀子の名をよんで、うながす。

 赤い鼻緒の下駄をはいて、屋敷からふたりは姿を消した。



 翡翠は、風を身体にうけてゆっくりと旋回しながら飛んでいる。

 まだ、夜明け前。

 早朝とよぶにもまだ早い。

 月もでていない、とても暗い林のなかを歩く。

 占部のまわりに浮かぶ炎だけが、足もとを照らしていた。


「……」


 どれほど歩いただろう。

 すこし、足がしびれてきた。


「銀子」


 心配するように、占部が彼女の名を呼ぶ。

 

「だいじょうぶ。まだ、歩ける……」

「無理をするんじゃない。すこし、休むか?」


 (あなたは、そんなひとじゃない。)

 (やさしいけれど、そんなことばを紡ぐひとじゃない……。)


 こころのなかでそっと思う。

 彼の銀子にたいする心配というものは、おそらくただの「罪ほろぼし」だ。

 占部のけがを治したせいで、足がうまく動かなくなった。

 そのことを、とても心苦しく思っているのだ。

 そう思うと、とても悔しかった。


「ねえ、占部……」

「なんだ」


 ずっとずっと言いたかった。

 あなたのせいじゃない、と。


「私の足がこうなったのは、あなたのせいじゃないよ……」

「私のせいだ」


 きっぱりと、占部は宣言した。

 彼はくるぶしをくすぐる草を見下ろして、緋色の瞳をふせる。

 

 こころが痛かった。

 しらずしらず、銀子の足がとまった。

 鳥の羽ばたく音が聞こえて、木の枝にとまったのだと知る。


「私がためらわなければ、不自由な思いをさせることはなかった」

「……どうして……」

「人間を殺すのは久しぶりすぎたんだよ」

「嘘!」


 彼は、自分のこころを見失っているのだ。

 自責のおもいが、こころを隠してしまっているのだ。


「あなたは、そんなひとじゃない! そんな嘘をつくひとじゃない!」

「おまえに何が分かる……」


 うめくような声色。

 占部の鋭い視線が、銀子を突きさす。

 見たことがないほどの、冷めた瞳。

 それでも銀子は、怖いとは思わなかった。反対に痛むほどの哀しみが、胸をこがす。


「おまえに、私の何が分かる。私がどんな思いで、今まで過ごしてきたと思っている。すべて、すべて、赤の他人のためだ。私は、私のために生きてきたことがない。嘘も真実も、私にとっては私のためじゃないんだ」


 かなしかった。

 つらかった。

 そう言ってほしかった。

 それでも占部は、それさえも飲み込んでしまうのだ。

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