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鵺の森  作者: イヲ
第九章・影がいない
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三、

 無事ならば、それでいい、と彼は言った。

 けれど、今は喋ることができない。那由多はただ、そのうつくしいエメラルド・グリーンの瞳を開いた。

 白い、けがれのない髪の毛は水面がゆれるたびに、風にそよぐように揺れる。


 彼は、水銀のような水のなかにいた。

 ただただ、そのなかで生きていた(・・・・・)

 

 ここは、丸い湖。

 しかし、ただの湖の様子ではなかった。

 異様なのは湖を短い木で囲み、白い幣が垂れ下がっている。

 まるで、儀式(・・)のようだった。


 そして、湖があるべき自然が、ここにはなかった。

 氷づけの洞窟のなかであった。すべてがこおり、しかし湖だけは生きているように凪いでいる。

 吐息さえも凍りそうなほどの、洞窟のなか。

 那由多はそこで、生きていた。

 目をひらき、そっと眼球をうごかす。

 生命の息吹がひとつもない、すべてを凍りつくすこの場所は、久しぶりだった。


 那由多が生きながらえるためだけの、場所。

 

 (ああ、そうか。また、わたしは死ねなかったのか。)


 くちびるが動く。しかし、口から出てきたのは泡だけだった。

 ことばさえ赦されない。


 (何度目の罰だろうか――。)


 氷をつきさすような、鋭い音が聞こえる。

 那由多は、そっと顔をあげた。だれかがのぞき込んでいる。

 顔は見慣れていた。

 カガネだ――。


 那由多は、その顔をぼんやりと見上げる。



「体調はどうだ。白鷺の那由多――。いや、ぼくのあるじ、と言ったほうがいいかい?」


 口調は重々しい。

 カガネは燃えるような緋の色の瞳をすっと細め、まだいとけないくちびるを結んだ。

 

 (あるじ、か。わたしのことをあるじと呼ぶのは、この森の父王以来じゃないかな。)


 那由多の思考を読み取るように、カガネは耳をかたむけている。白い、那由多と似た(・・・・・・)髪が、しずかに凍ってゆく。

 しかし彼は意に介することなく、ただ那由多を見下ろしていた。


 (きみは、鵺の森の王。軽々しくわたしのことをあるじなどと、呼ぶのはよしたほうがいい。)


「心配痛みいる。今回は、どれくらいかかりそうかな。――那由多」


 (半年はかかるんじゃないかな。この体もだいぶ、ガタがきているからね――。)


「体を換える時期が近づいているのかもしれない。体なら、いくらでも換えはあるけれどね」


 (……。この身体が気に入っているんだ。せめて、銀子が生をまっとうするまでは、この身体でいたい。)


「銀子。……銀子、か。風の噂で聞いたよ。足をもっていかれたらしい、と」


 那由多の瞳が、そっと哀しげに細められる。

 白い衣が水の動きにそうように、揺れ動いた。

 

 奇跡には、代償をともなうということ――。

 那由多も知っていた。だからこそ、銀子をヒトから遠ざけたというのに。

 しかし。

 しかし、そのおかげであの森の草花は息を吹き返した。

 占部の怪我もそうだ。

 あのままだったら、おそらく――占部のいのちは「ほぼ」失われていたことだろう。


 (気の毒なことをした。あの子はまだいとけないというのに。もう、失わせたくはなかった……。)


「これも、鵺の森の意思なんだろう。善し悪しなど、この森には関係ない。すべて、手の内なんだろう」


 (辛いことだ。)


「……きみと話したのは一体何年ぶりだろう。ぼくがまだ幼かったころだ。どうかな。すこしは、王らしくなっただろうか」


 (鴉とつながっている、と。わたしは銀子に忠告した。それは間違いではなかったようだね。)


「すべては鵺の森のため。ぼくは、鵺の森のためだけに存在しているのだから……」


 あわれな王だ、と那由多はかすむ心中でおもう。

 王とて、こころがある。気持ちがある。

 それなのに、自分を否定している。こころや気持ちなど必要ないという。


「そろそろ、ぼくは行くよ。ここは冷たい。ほかの生物を、きみ以外の生き物のいのちを否定する」


 (それがいい。王であるきみでさえ、この冷たさは辛いだろう。)


 那由多は瞳を閉じ、カガネが去っていく足音を聞いた。

 ここはつめたい。

 つめたい湖だ。

 それでも、那由多のいのちを繋いでいる。

 これは罰。

 何人もの妖怪たちを殺してきた、罰。

 生きなければならない。

 この、ちいさな鳥かごの中で。




 白い鳥はゆめをみた。

 まだ自分がちいさな鳥だったころのゆめを。


 自由に空を舞い、うたい、そして小枝でやすんだ。

 けれど、その鳥はやがて羽根をむしられ、地に落とされた。

 まるで、外つ国の神話に描かれた堕天使(ルシフェル)のように。

 だがそこに意思はなかった。罪もなかった。

 ただ、何らかの「ほかのものの意思」が、白い鳥を地に落としたのだ。

 それが――鵺の森の「意思」。

 名のとおり鵺の森が、白い鳥の「鳥かご」であった。


 森はなにかを恐れるように、鳥に罰をあたえ、そして罪さえあたえた。

 なんのための罪や罰なのかわからない。

 白い鳥でさえ。

 やがてその鳥は空をうらやむことも忘れ、うたうことも忘れ、ただひたすらに――生きた。

 生きねばならなかった。

 森が、鳥を生かせているのだ。

 森が、鳥のいのちを操っているのだ。

 そのこと自体が、いのちの冒涜だというのに。

 森は、残酷なまでに鳥をもとめた。

 ずっとずっと、永遠にも似た時のなかで。

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