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鵺の森  作者: イヲ
第九章・影がいない
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二、

 銀子の足はすこしだけ不自由になったが、自身はとくに気に病むような表情をすることはなかった。

 外出するときは、かならず占部がよりそっている。

 まるで、罰のように。

 それが銀子にとって、とても哀しかった。

 占部のせいではない。

 銀子の足がこうなってしまったのは。


「もうすこしで、夏がくる……」


 空をみあげる。

 雲ひとつない快晴だった。襲撃者が死んで、もうじき一ト月がたとうとしている。それは那由多がいなくなって一ト月ということでもあった。

 それでも那由多の式神たちは、屋敷のなかにいた。

 那由多のかわりに食事をつくり、掃除もしてくれている。

 これは計画的だったのだ、と知った。

 那由多は、自分がいなくなることを知っていたのだ。


 初夏の夕暮れはまだ、肌寒い。

 銀子がすわっていた切り株から、かすかな木のかおりが漂っていた。切ったばかりなのだろうか。

 そっと立ち上がる。

 椅子のようにすわっている状態から立ち上がるのは、それほどおっくうではなかった。


 彼女たちがいる場所は、森の奥。

 しずかな鳥のさえずりや、草花がゆれる音しか聞こえない場所。


「鵺の森の夏は、それほど厳しくはない」

「そうなの?」

「かといって、涼しいというわけでもないがな」


 占部は銀子が歩き出したことを確認すると、うしろを歩いた。

 いつもは、となりを歩いてくれるか、銀子の前を歩いてくれていたのに。

 赤い幣が、風にゆれる。


「占部」


 銀子が立ち止まると、占部も立ち止まった。

 大きな瞳は、彼を責めるようだった。

 そう思うのは、自身だけだ。分かっている。

 銀子がいいたいことは。


「占部。どうして、あなたはいつも哀しそうなの?」

「……別に、哀しくはない」


 彼女から逃れるように視線をはずす。

 占部の首筋は白い。すこしだけ、やせたと思う。


「那由多がいないから?」

「……あいつがいなくなることを、私は知っていた」


 予言をささやくように、彼はつぶやく。

 え、と銀子声をもらして、足を止めた。

 占部は知っていた。あの晩、那由多が占部にこの娘をたくしたのは、こういう意味だったのだ。

 それを現実としてとらえたのは、不倶戴天を那由多が殺した瞬間だった。

 あのとき、那由多と不倶戴天は別の場所にうつっていた。

 銀子に見せたくなかったのだろう。あの獣の姿を。自分が、人間を殺す瞬間を。


「託されたんだ。那由多に」


 それだけ言い放って、そっと目をふせた。

 哀しくはない。ただ、こころが海にしずむように、重たかった。


「那由多は……いきているの?」

「生きている」

「ほんとうに?」

「ああ」


 銀子の目がゆるむ。安堵したようにそっと息をついた。

 やさしい娘。おのれの身さえかえりみない、危うく、うつくしい。


 そんな少女は、いま、どこか変わろうとしていた。

 つぼみから花へ変化するように。

 どこか、こころに憂鬱をうかべるようになった。鵺の森にきたときよりも不安感を覚えていることを、占部は知っていた。

 それは、喜ばしいものではなかったのだ。


「よかった……。私、ずっと不安だった。那由多の姿がみえないから」

「あの男は殺しても殺せねぇくらい、しぶとい」


 軽口をたたくようにつぶやく占部を見て、彼女はわらった。

 それでも、暗い色の花は銀子のなかで徐々に開こうとしている。

 そんな鬱蒼としたものを抱えながら、少女と龍は生きていかければならないのだろう――。


「帰るぞ」

「うん」


 屋敷に帰ると、藤がでむかえてくれた。

 おかえりなさいませ、と藤棚に重たく垂れる、やさしい色の着物を着た彼女はほほえんだ。


「ただいま」

「お夕飯なのですが……」

「?」


 彼女はすこし、言いづらそうに手でくちびるを押さえている。なにか問題でもあったのだろうか。


「玄関先に、こんなものが」


 うしろに隠してあったかごを取り出すと、そこにはたくさんの野菜が入っていた。

 きゅうり、トマト、きゃべつ、おくら、みょうが……。たくさんの、初夏の野菜。


「これが、玄関先に?」

「ええ。銀子どの。これをどうしていいのか分からず……」

「……」


 占部はそのたくさん入ったかごに顔を近づけて、においをかぐ仕草をした。

 まるで、毒の有無を判別するように。


「いいんじゃねぇか。もらっても。変なまじないもかかってないみたいだし」

「では、そのように。これだけあったら、何にしようか迷ってしまいますね」


 藤は笑って、うれしそうにかごを持ち上げた。

 誰が、置いていったのだろう。

 まったく見当がつかないし、何のために置いていったのか分からないけれど。


 彼女が台所で夕食の準備をしている間、占部は考えごとをするように、腕をくんでいた。

 那由多の部屋。

 墨で白鷺が描かれた屏風がある、あるじのいない部屋は、寂しい。


「占部、どうしたの」

「いや……。すこし、気になることがあってな」

「野菜のこと?」

「ああ。まあそんなに重要なことじゃないが。おまえ、私のけがを治したことを覚えているか?」


 今から一ト月と半月前。

 銀子がおこした、代償をともなう奇跡。

 彼女はかぶりを振った。

 あのときは必死で、何がおこっていたのか、はっきり覚えていない。


「そうか。まあ、いいさ。おまえは、浄化したんだ。人間が傷つけた大地を」

「よく分からない……。覚えていないもの」

「あの男は、鵺の森の妖怪たちを焼き尽くすつもりだったようだ。だが、森や林や、建物を焼くつもりはなかった。……気が狂う前は」


 狂気に笑う。

 あの男の死に様は、占部自身見ていないが――。おそらく、ひどいものだったのだろう。

 呪い、祟り、怨み、憎み――すべてを焼き尽くすはずだった。

 そう。だった、のだ。

 銀子の「たすけたい」ということばが、全てを救った。占部の血液で腐った大地も、救われた。

 その場にいなかった、那由多をのぞいては。

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