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鵺の森  作者: イヲ
第九章・影がいない
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一、

 つぐみの力以上だ――。


 カガネは草原のなかにいた。

 風がふく。

 やさしい音。すずやかな温度。

 彼女の力。創造さえできるというのか。

 草花の生命が絶えたこの場所で、息を吹き返すように現れたこの場所。

 カガネのいまだ幼い表情が、畏怖にゆがむ。


「カガネ様! お下がりください! まだ、危険です」


 供のものが叫ぶ。

 人間がこの鵺の森を穢して、一ヶ月がたった。いまだ、人間が息絶えた場所にあった石からは、黒い煙がまるで怨嗟のようにのこっている。これに触れれば命さえ、おとしてしまうという。

 人間が遺した怨みは、ひどいものだった。

 あの男は、那由多に噛み殺された。四肢をばらばらにされて。

 すさまじいものだった。

 人間の死に様は。顔は恍惚にゆがみ、もはや見られたものではなかった。

 だが、その人間を憎み、恨んでも、もうそれはうしなわれている。

 ただ、いまは悼み、祈っている。

 ここにすむ妖怪たちが、みな。


 石のあたりは黒ずんでいるが、それを覆うように草花が生きている。死と生が、ここにあった。

 銀子がうみだした草花は、しずかに風に揺れている。


「カガネ様」


 うやうやしく、男が草むらに膝をおとした。


「どうかしたか」

「カガネ様。ここは危険です。はやくお戻りに……」

「危険なものか。ここは、生命にあふれている。あの娘がうんだ、奇跡だ」


 カガネは、空をあおいだ。

 空は、初夏のうすい青に染まっている。

 彼女はいま、なにをしているのだろうか。

 あの舞踏会から会っていない。

 おそれを飲み込むことができる、凜とした娘だった。

 鴉とつながっているこの鵺の森の王を、強い瞳でみつめていた。

 あの娘は強いからこそ、危うい。

 つぐみのようにならなければいい、と、おもう。

 そのためにカガネができることは、何もない。

 たったひとりの少女のために、尽力することは、できないだろう――。

 なぜなら、王だからだ。妖怪たちのための、偶像。その偶像には、感情はいらない。ただ悠然とたち、ことばを紡ぐだけでいいのだ。

 人格など、どうでもいい。

 王は、孤独であり、孤高でなければならないのだ。

 父王から、そう教わった。

 愛されることはなかった。

 愛することもなかった。

 そういった意味では、あの龍と似ているのかもしれない。


 カガネはそっと、呼吸をした。供のものに気づかれぬように。

 みずみずしい、空気のかおりがした。






 占部が、銀子の名をよんだ。

 銀子はほほえんで、首をかたむける。

 カーヴをえがく長い髪の毛が、健康的につやめいていた。


「なに?」

「ほら」


 白く、細い手。

 占部がさしのばした手を、そっと取る。


 銀子の足は、いうことをきかなくなっていた。

 歩くことはできるけれど、走ることができなくなっていた。

 それは、代償(・・)だ。

 奇跡をうみだしたことへの。

 けれど、銀子はけっして後悔などしていなかった。

 すこしも。


「だいじょうぶだよ。ひとりで立てる……」


 縁側にすわっている銀子に手をさしのべた彼の手。その手を見上げただけで、そっとかぶりを振った。


「……」


 ただ、波打ちぎわに取り残されたような、哀しみがあった。

 距離が、できたように感じたのだ。

 占部と銀子の距離。それが、ほんのわずかに開いてしまった、と銀子は感じていた。

 

「銀子」


 手のひらを廊下について、そっと、ゆっくりと立ち上がる。

 それでもまるで廊下が生きていて、うねったように銀子の足もとが、ぐらりとゆれる。

 

「あっ」


 反射的に、目をとじる。

 体に感じるはずの、衝撃。それがなかった。かわりにあたたかい温度をかんじる。

 占部の体温だった。


「大丈夫か」

「だいじょうぶ」


 大丈夫だと、答えるしかなかった。

 かすかな痛みを感じたけれど、かぶりを振ることしかできない。

 ゆたかな髪の毛が、ふわっとゆれる。

 占部の手は大きかった。銀子のものよりもはるかに。


「……」


 恐々と、銀子から手をはなす。

 まるで、うしなわれてしまう何かを惜しむように。


「ねえ、占部……」

「なんだ」

「那由多……どこにいってしまったの?」


 占部の瞳が、すっと細められる。

 緋色の目の色が、もっともっと深くなる。銀子はそっとくちびるを結んだ。

 聞いたことはなかったのだ。

 銀子が目を覚ましたのは、今から半月前のことだ。半月間のあいだ、眠っていた。

 なぜかは分からない。銀子にとって、それはたった一晩のことだと思っていた。

 けれど、目が覚めると季節は初夏になろうとしていたのだった。


「……どこに……」


 そっと、目を伏せる。

 かなしい光が、かすかに見える瞳をさす。


 彼女が眼を覚ますと、那由多は――どこにもいなかった。

 真っ白な影は、どこをさがしてもいなかった。

 屋敷のなかをくまなく探しても。

 彼は屋敷のなかではないと、姿をたもっていられないと聞いた。

 

 (どうして……。那由多。あなたはいま、どこにいるの……?)


「銀子。私は」


 占部が、なにかを言おうとしている。

 けれど、銀子はただぼんやりと屋敷のなかを見渡した。

 伊予姫。

 伊予姫は、もとの元気をとりもどしているようだった。

 幹にふれると、会話はできた。那由多のゆくえも聞いたけども、しらないという。

 それでも――彼女は、なにかを隠しているようだった。きつく問うこともできずに、銀子はそっと伊予姫から離れたのだった。

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