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鵺の森  作者: イヲ
第八章・破壊・くうのおと
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七、

 目が覚めた。

 そっと身体をおこす。

 暁暗はたぬきになって眠っていた。

 目をこらして、しずかに立ち上がる。

 暁暗はうごかない。


 行かないといけない、という無意味な使命感を感じていた。

 行って、なにができるのだろう。

 行って、だれかを助けることなどできないかもしれない。

 それでも、占部の無事を、那由多の無事を信じたかった。すこしでも、はやく。


 お社のささくれだった扉をひいて、一気にかけだす。

 どこに行けばいいかなんて、わかっていた。

 なぜだろう。

 足が勝手にうごく。

 息が切れて、心臓があつくなる。

 けれど、足は生きていた。足がおしえてくれる。

 着物のおはしょりが乱れても、裾がよごれても、足はおぼえていた。

 鵺の森へのみちを。

 それがきっと、鵺の森に認められたということなのだろう。


 やがて現れたのは、大きな鳥居。息が切れる。呼吸もみだれる。

 鳥居を見上げる。

 月を背負うようにしてたつ鳥居。ここをくぐれば、鵺の森にいける。

 いってどうなるの、と自問する。

 どうすることもできないだろう。

 もしかすると、妖怪たちの遺体をみて、激しい胸の痛みをおぼえるかもしれない。

 胸をこがすほどの痛みをおぼえるかもしれない。

 それでも、信じたかった。

 自分のために。そう、自分本位だ。

 だから、何があっても自分のせい。

 そう言い聞かせる。

 手をにぎりしめて、目をつむる。


 目をつむっていてはだめだ。

 すべてを見なければならない。真実を。


 目を開く。

 黒い木々がたたずんでいる間にそびえたつ鳥居を、銀子はくぐった。



「……!」


 銀子のまだ幼いくちびるがふるえる。

 黒ずんだものがふたつ、あった。

 煙があがった、それ。

 それは、ふたつのいのちだったものだった。


「……」


 瞳がふるえ、足の力がなくなりそうになった。

 それでも、必死にたつ。

 そして、頭のどこかでなにかが――燃えた。

 赤い炎が、ともったのだ。

 呼吸がとまる。

 苦しかった。

 けれど、このふたりのほうがもっと辛かっただろう。苦しかっただろう。


 ふわり、と、白い影が銀子のそばにおとなう。

 白い髪の毛。

 白いほお。

 赤いくちびる。


「……つぐみ?」


 彼女の瞳は、炎のように赤かった。

 怒っている――。そう感じた。


「そうだね、つぐみ……。行かないと」


 人間のにおいが、銀子をけがす。

 銀子はしゃがんで、ふたりに祈りをささげた。

 そして、その場から走りだした。


 つぐみの想いが、銀子とひとつになる。

 怒っていた。とても、とても。

 血がにえたぎるぐらいに。

 銀子の指先が、その怒りにふるえる。

 

 人間がどこにるのかは、つぐみが教えてくれた。においをたどってくれた。

 銀子の瞳が、怒りに濁る。

 きよい光は消え、怒りの炎を見つめるように、火照っていた。


 人間のいる場所への道に、点々と妖怪たちの遺体が連なっている。

 恐ろしさよりも、怒りが銀子を襲う。

 こころのなかで、うああ、と叫んだ。

 歯の間からもれる、呼吸音。

 

 背中が熱かったけれど、いまは不思議と痛みはなかった。ただ、うるさかった。その熱が。



 やがて見えてきたのは黒ずんだ煙だった。

 まっすぐに、空に吸い寄せられるようにのぼっている。

 銀子はそれを確認して、再び走った。




「が……っ」


 黒く濁った炎。

 それがうつくしい鱗を裂いた。赤い血がほとばしる。

 地面に落ち、そこから煙があがった。


 占部の血液は、猛毒である。

 龍の血。

 それは触れてはならない禁忌。

 その禁忌にふれたものは、すべて滅ぼされる。

 木や草であろうと、地面であろうと、石であろうと、――妖怪や人間であろうと。


「占部!」


 那由多の足は、もう使い物にならなくなっていた。

 トラの足のように鋭い爪は折れ、血が散乱している。背の白銀の翼も折れ、羽根があちらこちらに舞い散っていた。

 彼の叫びは、むなしく空に消えていく。


「ふふ……っ」


 不倶戴天の笑声がきこえてくる。

 だが、彼も全くの無傷というわけではなかった。

 ――右腕がなかった。

 流れ出た血液のうえに立つ不倶戴天は、まるで狂人のように笑い狂っている。

 あはは、あははは、と、残った左腕を空へのばしていた。


「愛しの那由多。もうすこしで、あなたを殺すことができる……。そのためには、ふふっ、聖なる龍を殺めなければ……」


 占部の身体から、煙が上がっている。血液が地面に落ちる前に、空気にとけて蒸発しているためだ。

 彼の呼吸は荒かった。

 長い口からも、血がしたたっている。

 地面にそして空気に落ち、とけ、どす黒い煙を出して蒸発し、空を汚している。


(なんて……)


 占部は白くかすむ視界のなかでおもう。


(なんて、無様な……。こんな姿では……)


 あの少女の前に立つことはできない……。


 ゆらめく意識。

 波のように。

 風にゆれる花のように。

 あの少女のほほえみが脳裏にうかぶ。

 きよい笑みをうかべる、清廉な少女。

 彼女は血にまみれてはいけない。

 血に触れてはいけない娘なのだ……。


(私が龍ではなかったら……。私がふつうの生命をもつことが赦されていたら、あの少女に……)


 緋色の幣がつよくゆれる。

 すずやかな風だった。

 なにかを運んでくるような。


 星の光のようにかすむ意識。


 


 龍は、愛されることをねがった。

 それは禁忌だった。

 永遠の孤独。

 晴れることのない霧。

 ひとりが恐ろしかった。

 孤独が哀しかった。

 何千年も、その孤独と共にいた。

 その孤独をふりはらうことにも疲れ、やがて――こころは死んでいった。

 生も死も、どうでもいいと、妖怪の命も人間の命も、途絶えようが続こうがどうでもよかった。

 何にも興味をしめさなかった。

 ただ、少量の酒を飲んで、酔えないために酔ったふりをするだけの夜。

 それを、一体どれほど続けていただろう。

 それが当たり前のことだと、いつから感じていただろう。


 死んだような日々に、廉潔な風が吹いた。

 それは占部にとってのかがり火だった。

 その火は、やがて徐々に燃え広がった。

 やさしく、たおやかに。

 その炎の名は、銀子といった――。

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