六、
地鳴りが、ひびく。
占部の咆哮。
ちりちりとする殺気。那由多のエメラルド・グリーンの瞳が見開かれる。
占部の怒りを見たのは、久しぶりだった。
「占部」
那由多の声がとおい。
不倶戴天はほほえんでいる。
まるで、ほほえましいものを見るように。
とがった岩が不倶戴天を襲うが、彼にはとどかない。まるで水面が彼を守っているように、はじかれている。
楽しそうに笑う不倶戴天を睨み、占部は唸った。
「あなたは死に場所を求めている」
「……」
そうっと、しずくを拾うように、彼は呟く。
切れ目の瞳が、細められる。まるで、同情するように。
地面がいっそう揺れ動き、ごとん、と不倶戴天の張った膜に衝突した岩が倒れた。
「占部。あなたの命はまだつづくでしょう。それこそが罪であり罰」
「人間ごときが分かったような口をきくな!」
「ええ、そうでしょうとも。あなたのこころというものは、常に孤独がつきまとう。みな、あなたを置いて死にゆく。あなたは孤独だ。永遠にね……」
「黙れ!!」
占部の高い咆哮があたりにある木々をなぎ倒す。
音波が幹を切り裂き、やがて倒してゆく。あたりに散った妖怪たちの遺体。哀れなほどに、それは黒ずんでしまっていた。
不倶戴天の声は、占部にとっての「敵」だ。
だが、彼の声は悠然とかまえながら、ほほえむ。
「かわいそうな龍。あなたは、永遠にひとりだ」
占部の脳裏に彼女の顔がうかんだ。
銀子。
非力な、人間の少女。
力があっても、だれかを傷つけることを恐れる、残酷なほどにやさしい少女。
なぜ、今うかぶのだろう。
占部は疑問におもう。
ひとりにしないでほしい、と、言えるわけがなかった。
鵺の森に認められたとはいえ、彼女はヒトだった存在。純粋な妖怪よりずっと、寿命は短い。
占部にとって、刹那の命だ。
占部のこころは誰にも分からない。自分でさえ。おのれの思いや思考など、時の流れに逆らうことはできない。ただただ、流れに身を任せるのみであった。
占部。
かなしい、永遠のときを生きねばならないことを命じられた龍。
その命じたものが分からないからこそ――恨むこともできない。
「彼女も、あなたを置いて死んでいくでしょう」
(銀子。)
――彼女のことを、どう思っている?
那由多は以前、聞いた。
守らねばならない存在だ、と答えた気がする。
ただ、そうでなければならなかった。
守護龍が、とわの命を持つ龍が、非力な少女を愛することなど、できやしない――。
罪であり、罰である。
(ああ、不倶戴天。貴様のいうとおりだ。私という存在は、罪であり、そして罰である)
(銀子……)
頭のなかが真っ赤に染まるような感覚に、占部はただ溺れた。
暁暗は、銀子の瞳をのぞき込んでほほえんだ。
安心させるように。
「俺はね、嬢ちゃん。ヒトの世界が好きだったんだ。露子がヒトだったから。彼女がすんでいるヒトの世界が好きだった。でもね、ヒトは残酷だね。銀子。ヒトは、俺を置いて死んでいってしまうんだから」
「それは、寿命だよ……。だれにも、覆せない」
「そう。だれにも覆せない。露子も、病にかかって俺と出会って2年で死んでしまった。まだ、16歳だったというのにね……」
彼の瞳がそっと伏せられる。彼女を悼むように。
16歳。
銀子と4歳しか違わない。
「だからこそ、尊いんだと私はおもう。寿命があるから、時というものを大切にすることができる。一瞬一瞬を大事に考えることができる。だって、死んでしまったらすべては無意味になるんだもの……」
それは、占部や那由多にも話した。
思い出や記憶にしかのこらないのに、生というものに意味はあるのだろうかと、何回も考えた。
だれかが言っていた。
生も、無意味なものなのだと。
死も生も無意味だったら、人間とは、妖怪とはなんなのだろう?
なんのために生まれて、なんのために死んでいくのだろう?
(死……)
占部。那由多。こころのなかで想う。
死なないで、とおもう。
そして、銀子のこころの片隅で、なんて無責任なのだろう、と自分を批難する。
おもうのは、誰だってできる。銀子には力があると那由多は言った。それなのに彼らのために、なんの力も示すことができていない――。
「誰でも、迷うものだよ。生に、死に」
「うん……」
「だから、そこに意味があるんじゃないかい? 迷った先に、答えというものがあるのかもしれない。俺はまだ、分からないけれどね。きみには、見つけてほしいと思うよ。生きているのに無意味なんて、かなしいからね」
暁暗のことばは、とても重かった。
見つけなければならない。
無意味に死ぬことのないように。
そういった意味では、生きていることに、生かしてもらっていることに、感謝しなければならないだろう。
けれど、いまは――とても、辛かった。
那由多と占部はいま、鵺の森を守っているのだろう。いのちをかけて。
(でもほんとうは、私の意味なんて、どうだっていいんだ)
(いまは……)
「銀子」
「?」
「心配?」
「心配だよ。いまも、すぐに帰りたいくらい……」
「そうか。愚問だったね」
そして、暁暗は口をとざした。
その日、ゆめをみた。
かなしい表情をした占部のゆめを。
それでも、彼は泣かなかった。
自分のこころが傷だらけになっても、うしなわれそうになっても。
泣くことをわすれてしまったかのように。




